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是枝監督に続き、今回は石川慶監督。日本映画の才能を惹きつける、SFの人気作家、ケン・リュウの世界

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ケン・リュウ氏 (c) Lisa Tang Liu

是枝裕和監督が、カトリーヌ・ドヌーヴら国際的キャストを迎え、フランスで撮影した、2019年公開の『真実』。その劇中、ドヌーヴが演じるベテラン女優ファビエンヌは、新作映画を撮影していた。『母の記憶に』という作品だ。

回復の見込みのない病を宣告された母親が、娘のために重大な選択をする。宇宙空間で延命治療を受けて、7年に一度だけ、娘に会いに地球に戻ってくる物語。その間、母親は年をとらず、外見は変わらない。娘だけが年をとっていき、やがて見た目は母と同年代、そして彼女を追い越していく。SF的な設定の『母の記憶に』だが、SFというより、親子の切ないドラマという印象。この関係が、演じるファビエンヌの実生活とも鮮やかにシンクロするのが『真実』の面白さでもあった。

相手との間に流れる時間。そのスピードが変わる悲しさ、切なさ。本来なら別の時間にいるはずの相手との短い出会い……。『インターステラー』や『ある日どこかで』、『時をかける少女』など、時空を超えるSF的設定をもちつつ、「時間」によって胸を締めつける名作は数多い。『母の記憶に』も、まさにそんな作品だ。

この原作を執筆したのは、ケン・リュウ。中国生まれのアメリカ人作家で、SFファンには有名。というのも、ネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞という、SF・ファンタジー文学の最高峰の賞で史上初めて3冠を達成した人なのだ。その3冠作品の短編「紙の動物園」は、幼い頃、紙で折った動物で遊んでいた主人公が時を経て、亡き母の思いを知る物語。紙の動物に命が宿ったようなファンタジー描写もあるが、メインとなるのは、母子関係の切なく、胸を締めつけるテーマ。

SFやファンタジーの要素をちりばめながら、短編を次々と発表するだけあって、ケン・リュウの作品は多種多様。中には突拍子もない展開、あるいは哲学的で不可解な設定、さらにブラック&シニカルな作品もあるが、最も人気の高いのは「紙の動物園」、そして「母の記憶に」のような感動モノ。中国出身ということで、どこかアジア的なエモーションで、われわれ日本人も共感しやすい。実際に「もののあはれ」という、日本の漫画(「ヨコハマ買い出し紀行」)を題材に、日本人を主人公にした作品もある。

このように特異な設定と、感情移入しやすいエモーション、そして短編ゆえに脚色の醍醐味があるという意味で、ケン・リュウの作品は映画向きである。

是枝監督が劇中劇に使った「母の記憶に」も、それ以前の2016年、『Beautiful Dreamer』という26分の映画になっている。原作にほぼ忠実な作品なので、興味ある人はこちらで全編を観てほしい(日本語字幕はないが、物語はわかりやすい)。ケン・リュウの世界観、その一端が伝わるはずだ。

またケン・リュウ作品では、映画の現場で働くことを夢みた主人公が、映画製作の魔法を知る「リアル・アーティスト」も短編として映画化された。さらにSF・ファンタジーということで、映像化するには実写よりもアニメにふさわしい作品もあり、Netflix配信の「ラブ、デス&ロボット」の一編「グッド・ハンティング」は、その好例。原作の「良い狩りを」は、悪霊から人々を守る「霊の狩人」の息子と、人間に化ける妖怪の奇妙な、そして艶かしいストーリー。ちょっと民話的な懐かしさもあり、ケン・リュウ作品とアニメの不思議なケミストリーを実感できる。

そして是枝監督に続き、日本の映画界からケン・リュウ作品に挑んだのが、石川慶監督だ。長編監督デビューとなる『愚行録』では数々の新人監督賞に輝き、2作目と『蜜蜂と遠雷』は日本アカデミー賞優秀作品賞を受賞。一気に日本映画を代表する監督となった彼が、ケン・リュウに直々にアプローチして、彼の短編「円弧(アーク)」を3本目の長編監督作として完成させた。

「円弧」は、これまた奇想天外なストーリー。亡くなった人の肉体をそのままの状態で保存するプラスティネーションという仕事に就いた主人公が、その後、老化防止の新技術に自ら人類で初めて身を捧げ、100年以上も30代の容姿のままで生き続ける。自分の子供が、外見では先に歳を重ねていき……。永遠の命、生と死、時間の感覚のズレを描くというケン・リュウらしい一編で、偶然にも是枝作品で使われた「母の記憶に」と重なる部分も多い。ともに、感動できるSFという点が「映画向け」と考えられる。

筆者とのインタビューで、ケン・リュウは「『円弧』はアメリカ的な物語だと信じていたので、日本を舞台に映画化されると聞いたときは心から驚いた」と告白している。

ただ、これまでのケン・リュウ作品の映画化と違い、石川慶監督の『Arc アーク』は2時間7分の長編。原作は短編なので、映画化においてアレンジが試される度合いは、格段に高い。プラスティネーションという遺体保持の技術の詳細は、原作ではイメージしづらいが、映像にすることで、はっきりとわかる。しかも石川監督のその表現は、あまりに大胆。ここにケン・リュウも感動したという。

亡くなった肉体をどのように保存するのか? その過程に誰もが目を疑うはず……。(c) 2021映画『Arc』製作委員会
亡くなった肉体をどのように保存するのか? その過程に誰もが目を疑うはず……。(c) 2021映画『Arc』製作委員会

原作の「円弧」がそうであるように、SF的な要素が日常にじわっと浸透し、誰もがシンパシーを感じずにはいられない人生のテーマが見えてくるのは、石川監督の『Arc アーク』も同じ。まったく新しいSF作品を狙っており、映画の中の時間が先へ進んでいるようで、過去に戻っていく感覚もあったりと、とにかく予想の一歩先を進む世界に、われわれは没入していく。これはケン・リュウ作品の本質をとらえていると言ってもよさそう。

6/25に劇場公開される『Arc アーク』に何かを感じた人は、ぜひケン・リュウの他の作品も読んでほしい。不思議な世界に足を踏み入れる感覚と、予想外の感動が、短い物語にたっぷりと込められている。

『Arc アーク』

6月25日(金)、全国ロードショー

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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