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『ボヘミアン・ラプソディ』金曜ロードショー、ノーカットでもやはりエンドロールはカットされるのか?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ライブ・エイドのシーンは、CMで中断されないことを切に願う。(写真:Splash/アフロ)

5/28の金曜ロードショー、『スタンド・バイ・ミー』ノーカット放送では、終了時、悲痛な叫びがツイッターに溢れた。エンドロールでのベン・E・キングの同名曲がぶった切られ、唐突に「80年代映画名シーン特集」になだれ込んだからだ。

スティーヴン・キングの原作では「死体(The Body)」だったタイトルを、映画では『スタンド・バイ・ミー』の曲を使うことでタイトルになったわけで、その意味も含め、作品の余韻にじっくり浸りたかった人も多いはず。「そこでカットする!?」「作品の意味、わかってるのか!」などと軽くネットが炎上し、「EDカット」がトレンドに上がる事態になったのだ(ED=エンドロール)。

ノーカットと言っても「本編ノーカット」なので、致し方ない。NHK-BSではなく民放、とくに地上波のロードショー番組は近年、エンドロールのカットは「基本中の基本」。たかが数分だろうと、CMや予告を流した方がテレビ局にとって無駄がない。80年代特集も、今後の『グーニーズ』放映への布石である。

冷静さと残念な思いを代弁したのが、このようなツイート。

5月上旬の『タイタニック』でも、『スタンド・バイ・ミー』ほどではないが、エンドロールまで流してほしかった、という書き込みが多数見られた。

こうした嘆きは近年の特徴でもある。今や名作、またはカルト的な人気を誇る映画のテレビ放映は、ただ鑑賞するだけでなく、リアルタイムでツイートしながら、あるいはそのツイートを読みながら観る人が急増。一度観たものを、時に激しく感動し、特に気の利いたツッコミを入れ、また時にウンチクを披露しながら、みんなで一緒に視聴するのが、新たな楽しみになっている。

だからこそ『スタンド・バイ・ミー』のような作品では、エンドロールでテーマ曲とともに、感動を分かち合いたくなるものである。

ともあれ、『スタンド・バイ・ミー』終了の時点から心配の声が上がった。「次週の『ボヘミアン・ラプソディ』はどうなるのか?」だ。

まず心配なのは、伝説のクライマックスとなったライブ・エイドの再現の間にCMが入るかどうか。あの流れは一気に体感したいところ。そして、その後、エンドロールに突入した際に流れる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」。この導入部ではフレディおよびクイーンのその後が字幕で簡単に語られるので、おそらくカットはないだろう。そこからフレディ・マーキュリーの実際の映像とともに、クレジットが流れる。その時点のどこかで放映は終わってしまうのか? そうであれば『スタンド・バイ・ミー』の二の舞、いやそれ以上の悲報になりそうだ。

なんとか「ドント・ストップ・ミー・ナウ」の最後まで持ちこたえてほしい……。しかしできれば、その後の「ショー・マスト・ゴー・オン」も流れれば、どれだけうれしいか!

「ドント・ストップ・ミー・ナウ」は曲自体も、日本ではCM(コスモ石油、ノエビア、ダイハツ「ムーヴ」など多数)で使われたりと、クイーンの中でも人気が高い名曲。ライブ・エイドで上がったテンションをそのまま持続する。

歌詞もパワフルかつ心に沁みるものだ。

Don't stop me now

'Cause I'm having a good time

Don't stop me now

Yes I'm having a good time

今は僕を止めないでくれ

心から楽しんでるのだから

今は止めないでくれ

いいところなんだから

(作詞・作曲:Freddie Mercury、日本語訳は筆者)

「頼む、エンドロールの途中でストップしないで!」ってこと。

そして「ショー・マスト・ゴー・オン」。フレディ・マーキュリーの存命中に発売された、クイーンとしての実質上の最後のアルバム「イニュエンドゥ」。そのラストに収められたという意味でも、フレディとの別れの曲である。ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンによるコード進行を基に、フレディとブライアン・メイが作詞・作曲。エイズの進行で見るからに辛い状態だったフレディが、渾身の思いでレコーディングした歌唱を、ブライアンは生涯で最高だと感激したという。

その歌詞も、タイトルが示すとおり、フレディの最後の叫びと受け取ることができる。

My soul is painted like the wings of butterflies

Fairy tales of yesterday will grow but never die

I can fly, my friends

The show must go on, yeah

僕の魂は蝶の羽にように彩られている

昨日までのおとぎ話は永遠に語られる

友よ、僕はまだ飛べるんだ

だからこのショーを止めるわけにいかない

(作詞・作曲:Queen、日本語訳は筆者)

まさに『ボヘミアン・ラプソディ』の最後を飾るのにふさわしい。フレディが亡くなって30年近くが経っても、こうして映画でショーは続いている……。

この「ショー・マスト・ゴー・オン」の部分は、劇場公開時にも字幕が入っていなかったので、おそらく今回の地上波放送でカットされる可能性は濃厚。

しかし『ボヘミアン・ラプソディ』という作品は、クイーンという、歴史に残るバンドの名曲で構成され、音楽が観る人の心に突き刺さったわけで、『スタンド・バイ・ミー』を含め、過去の例以上に最後まで余韻に浸りたいというのが、正直な気持ちだ。

無料で楽しめる地上波放映に対し、注文をつけるべきでもないし、最後まで観たければDVDや配信を選べばいい。しかも6月6日には、BS日テレの日曜ロードショーで、ライブ・エイドのノーカット(21分バージョン)を入れた『ボヘミアン・ラプソディ ライブ・エイド完全版』も放映される。

とはいえ、やはりリアルタイムで大いに盛り上がるのは地上波放送。もし万が一、今でもエンドロールをどうするか迷っているようなら、日本テレビ様、どうか英断を!

クイーンのメンバーにそっくりの4人の名演技を堪能したい。地上波での吹き替えも楽しみ。
クイーンのメンバーにそっくりの4人の名演技を堪能したい。地上波での吹き替えも楽しみ。写真:Splash/アフロ

最後に……

そもそも日本の映画館での鑑賞では、今やエンドロールの最後の最後まできっちり観ることが常識の感覚になっているが、海外ではエンドロールに切り替わると、席を立って映画館を出る人は数多い。というより、多数派だ。最近は、たとえばマーベルの作品などエンドロールの途中、あるいは最後に「オマケ」の映像が挿入され、次回作の予告になってたりするので、最後まで見守る人も増えてきた。それでも、エンドロールになった途端、通路が見やすいように客席の照明が少し明るくなったりする映画館も、海外ではよく見受けられる。

そもそも途中でも、「もう十分」「これ以上観ても時間のムダ」と考えて席を立つのは、ある意味で「映画は気楽に観るもの」という感覚の延長。エンドロールを何も考えずに、じーーっと見つめることに意味があるの? という言い分も理解できる。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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