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アカデミー賞、最後の逆転劇はなぜ起こったのか

斉藤博昭映画ジャーナリスト
アンソニー・ホプキンスが主演男優賞に輝いた『ファーザー』

4月26日(日本時間)に開催された第93回アカデミー賞。昨年はラストに『パラサイト 半地下の家族』の作品賞受賞で盛り上がったが、今年は別の意味でサプライズの幕切れだった。

これまでの歴史では、授賞式の最後がメインの「作品賞」発表で締めくくられるのが、通例だった。それが今年に限って、作品賞の後に、主演女優賞、主演男優賞で終わるという流れ。授賞式を観ていた多くの人にとってサプライズだった、基本的にアカデミー賞はメインのカテゴリーは、直前の予想が大きく覆されることはない。昨年の『パラサイト』も逆転とはいえ、可能性を予想する人は多かったのだ。

今年は作品賞が『ノマドランド』にもたらされ、これは大方の予想どおりの順当な結果。その予想という点で、主演女優賞は三つ巴。『ノマドランド』のフランシス・マクドーマンド、『プロミシング・ヤング・ウーマン』のキャリー・マリガン、『マ・レイニーのブラックボトム』のヴァイオラ・デイヴィスまで、誰が受賞してもおかしくない接戦とされた。そして主演男優賞は『マ・レイニー』のチャドウィック・ボーズマンが鉄板と言える最有力の予想がなされていた。故人であるチャドウィックが、授賞式の最後で受賞すれば、おそらく家族や親しい人がオスカー像を受け取り、感動的なスピーチを行うはず……。つまり予想が混戦の主演女優賞で少しハラハラさせた後、ドラマチックな盛り上がりを期待し、賞の順番が変更されたのは明らか。

主演女優賞をフランシス・マクドーマンドが受賞した後、主演男優賞の発表。そこでプレゼンターのホアキン・フェニックスが読み上げたのは、チャドウィックではなく、『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスだった。

この日のホプキンスは、リモートによる参加もなく、写真のみの紹介であり、そうなるとオスカー像を受け取る瞬間も映像に収められることもない。俳優の賞で、受賞者が会場に来なかった例は過去にもあったが、ここ数年ではありえなかった。コロナ禍とはいえ、ヨーロッパの何カ国でもリモート中継を設けたにもかかわらず、アンソニー・ホプキンスは当初から、「その日はウェールズにいて、ロンドンの中継場所に行くこともない」と断言していた。実際に、授賞式の時間、イギリスは深夜から明け方で、83歳で、受賞の可能性も少ないとされたホプキンスには、まっとうな判断だったかもしれない。

この結果で感じるのは、アカデミー会員のクールで客観的なジャッジということだ。昨年、43歳で亡くなり、遺作となった『マ・レイニー』のチャドウィックへの圧倒的な称賛には、『ブラックパンサー』など彼の過去の作品も含めた俳優人生への敬意も込められていたはずだ。しかしアカデミー会員は、純粋に、その作品における俳優の演技を評価したのだと、今回のサプライズで強く感じる。すでに『羊たちの沈黙』でアカデミー賞を受賞済みという「過去」も関係なかった。その意味で『ノマドランド』のフランシス・マクドーマンドも3回目の主演女優賞だったが、「またも」という判断ではなく、純粋に今回の演技が評価されたかたちだ。

『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスは、認知症の主人公を信じがたいリアリティで演じている。自分にとっては事実だと思っていることと、それが間違いである現実との葛藤。怒りと戸惑い、冷静と混乱が瞬間的に入り乱れるさまを、きめ細かく表現するだけでなく、過去を思い出しながら軽やかな身の動きも披露。クライマックスの切実さまで、まさに「演技」のバリエーションの集大成なのだ。演技賞に値するということを、アカデミー会員の多くが再認識せざるをえなかったのだろう。

すでにホプキンスは、英国アカデミー賞でもチャドウィックを抑えて主演男優賞を受賞していたので、今回の結果はめちゃくちゃなサプライズではない。しかし「功労賞」的な側面もあるアカデミー賞の歴史の中で、今回、チャドウィックを抑えてホプキンスに栄誉を与えたことは、ある意味で正当な美しい評価だと痛感するのである。

英国アカデミー賞の授賞式では「絵を描いていた」と登場しなかったアンソニー・ホプキンス。今回の米アカデミー賞は、時間も時間だけに、おそらくすでにベッドで休んでいたのではないか。この「達観」した一人の人間の姿に、むしろ感動すらおぼえてしまう。

ホプキンスに取材した際、こんなことを語っていた。

「私は『演じる』という気持ちで、仕事をしたことはない」

4/11の英国アカデミー賞でリモートのインタビューに応じるアンソニー・ホプキンス。
4/11の英国アカデミー賞でリモートのインタビューに応じるアンソニー・ホプキンス。写真:REX/アフロ

『ファーザー』5月14日(金)TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー

(c) NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ORANGE STUDIO 2020

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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