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間もなくアカデミー賞。C・ボーズマンに死後に授与される意味。過去の故人のノミネート・受賞は?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
C ・ボーズマンの『マ・レイニーのブラックボトム』 Netflixで独占配信中

4月25日(日本時間26日)に授賞式が開催されるアカデミー賞。毎年、サプライズや感動の瞬間が訪れるが、今年、最もエモーショナルな瞬間になりそうなのが、主演男優賞の発表だろう。

受賞が確実視されているのが、『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマン。『ブラックパンサー』などでトップスターとなり、昨年(2020年)8月に、43歳の若さでこの世を去った俳優である。

チャドウィックはアカデミー賞に至る多くの前哨戦で主演男優賞を受賞しており、この流れでオスカーに至るのは順当。唯一、先日の英国アカデミー賞では、そのチャドウィックを抑えて『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスが主演男優賞に輝いたので、対抗馬ではある。ただ“御大”ホプキンスは、米アカデミー賞授賞式で中継地のロンドンにも行かないことを表明。この発言がアカデミー賞の最終投票期間中だったので、投票者の心理にも影響を与えただろうし、米アカデミー賞と結果が重なる全米映画俳優組合賞もチャドウィックが受賞しているので、逆転は難しそうである。

そもそも演技の判定は、客観的な数字で比べられるものではない。フィギュアスケートや体操のように技術にポイントをつけられないのだから、あくまでも選ぶ人の感覚や心情、世の中の流れが頼りになる。

冷静に、そして純粋に演技のテクニックを比べたら『ファーザー』のホプキンスに軍配が上がるかもしれない。認知症の主人公にシリアスさだけでなく軽妙さまで加味。熟練と超絶技巧が詰まっており、まさに俳優の集大成と断言できるからだ。

一方の『マ・レイニー』のチャドウィックも、伝説のブルース歌手のレコーディングに参加するトランペッターで、野心的な演奏を試みようと歌手とぶつかり合いつつ、バックバンドとは軽妙な会話をみせたり、感情を変幻自在に表現。そして人種差別を吐露する最大の見せ場は観る者の心を激しく揺さぶる名演技をみせる。何より、末期ガンの治療を受けながら、最後の力をふりしぼった遺作なので、ブラックパンサーの雄姿とは違った、こけた頬、やつれた肉体が切なすぎる。

チャドウィックは、この『マ・レイニー』の前に撮影した、スパイク・リー監督の『ザ・ファイブ・ブラッズ』でも助演男優賞にノミネートされる可能性があった(前哨戦で受賞歴もあった)。こちらは残念ながら、5人の枠には入れず。しかし助演にノミネートされなかったことで、その分、主演では受賞させたい心情がアカデミー会員にはたらくのは必然だろう。

そもそも2020年は、Black Lives Matter(BLM)の年でもあり、『マ・レイニー』と、ベトナム戦争の黒人部隊のリーダーの『ザ・ファイブ・ブラッズ』は、ともにBLMの象徴的な役どころ。もっと言えば、チャドウィックの俳優歴を振り返ると、黒人初のメジャーリーガー、カリスマ黒人エンターテイナー、黒人初のアメリカ合州国高最高裁判所判事、マーベル映画の黒人初のヒーローと、人種の「アイコン」となる役を演じ続けてきた。『ブラックパンサー』も含め、これらの役で、すでに主演男優賞にノミネートされてもおかしくない存在だった。そんな彼を「アカデミー賞の歴史に名を残したい」と考えている人が多いはずだ。単なる「同情票」ではないのである。

故人となった俳優のオスカー受賞で記憶に新しいのは、2008年度、『ダークナイト』で助演男優賞のヒース・レジャーだろう。この受賞は、ヒースのジョーカー役の演技が圧倒的だったのも事実。彼が亡くなったかどうかに関係なく、申し訳ないが、冷静な判断でも他の候補者は太刀打ちできなかった。

「ヒースの娘、マチルダ(当時3歳)に賞を捧げたい」とオスカーを受け取ったヒースの家族
「ヒースの娘、マチルダ(当時3歳)に賞を捧げたい」とオスカーを受け取ったヒースの家族写真:Splash/アフロ

授賞式では、ヒースの両親と姉がステージに上がり、オスカー像を受け取ってスピーチした。会場では家族の言葉に、涙を浮かべながら聞き入っている人もいて、この日の最も感動的なエピソードとして記憶されている。

今回、チャドウィックが受賞すれば、故人の俳優としては3人目となる。故人だからといって受賞が確実視されるわけでもなく、ノミネートとしては7人目だ。過去を遡ると、そこにはあのカリスマ的名優も含まれている。

1929年『手紙』ジーン・イーグルス 主演女優賞

1955年『エデンの東』ジェームズ・ディーン 主演男優賞

1956年『ジャイアンツ』ジェームズ・ディーン 主演男優賞

1967年『招かれざる客』スペンサー・トレイシー 主演男優賞

1976年『ネットワーク』ピーター・フィンチ 主演男優賞

1984年『グレイストーク –類人猿の王者- ターザンの伝説』ラルフ・リチャードソン 助演男優賞

1995年『イル・ポスティーノ』マッシモ・トロイージ 主演男優賞(脚本賞も)

2008年『ダークナイト』ヒース・レジャー 助演男優賞

このうち、受賞したのはピーター・フィンチとヒース・レジャーの2人のみ。ラルフ・リチャードソンあたりは、過去の功績を含めた功労賞的なノミネートでもあったが、たとえば『エデンの東』のジェームズ・ディーンは、後から考えればオスカーをもたらしても良かった気がする。

映画史に燦然と輝く『エデンの東』のジェームズ・ディーン。類い稀な才能によるその表情とたたずまいは、今も多くの人の心を揺さぶり続ける。
映画史に燦然と輝く『エデンの東』のジェームズ・ディーン。類い稀な才能によるその表情とたたずまいは、今も多くの人の心を揺さぶり続ける。写真:Shutterstock/アフロ

チャドウィック・ボーズマンが今年、受賞すれば、おそらく家族がなにがしかのスピーチを披露するだろうが、忘れがたい感動の瞬間になるのは確定的。もちろん、アンソニー・ホプキンスら今年の他の候補者の演技も賛辞に値するので、逆転が起こってもそれはそれで記憶に残るはずだが、アカデミー賞が「社会」を映す鏡でもあることから、チャドウィックの受賞は大きな意味を持つことにもなる。

『ブラックパンサー』でチャドウィックにインタビューした際に、エネルギーの源を聞いたところ、こんな答えが返ってきた。

僕のエネルギーは神からもたらされていると信じている。だから毎朝、目が覚めるとしばらく瞑想して、神様がパワーを授けてくれるように祈るんだ

当時はシンプルに信心深い人だと感心したのだが、すでに『ブラックパンサー』の撮影時にガンの治療を始めていたと後から知り、健康な肉体に復活したいという彼の悲壮な思いに胸が締めつけられた。

天国のチャドウィックが、アカデミー賞授賞式を見守っていると信じたい。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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