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アカデミー賞本命の中国生まれの監督、過去の中国批判コメントが蒸し返され、今後のマーベル大作にも不安?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『ノマドランド』のクロエ・ジャオ監督(写真:REX/アフロ)

新型コロナウイルスのさまざまな影響もあって、今年のアカデミー賞に至る賞レースは、結局のところ、地味な印象がぬぐえない。

その中で、揺るぎない本命の位置をキープしているのが、『ノマドランド』だ。ヴェネチア、トロントという2つの重要な映画祭で最高賞に輝き、その後も多くの批評家賞などで作品賞を受賞。先日のゴールデングローブ賞でもドラマ部門作品賞と、アカデミー賞への道を一気に突き進んでいる印象だ。

もしアカデミー賞で『ノマドランド』が頂点の作品賞に立てば、初の快挙の達成となる。それはディズニーの配給作品としての、アカデミー賞作品賞受賞。『ノマドランド』はサーチライト・ピクチャーズの製作で、サーチライトといえば、作品賞受賞の『シェイプ・オブ・ウォーター』など毎年のように賞レースに絡む秀作を送り出している会社だが、2019年のディズニーによるフォックスの買収によって、サーチライトもディズニーの傘下に入った。要するに、『ノマドランド』は「ディズニーが作った映画」ではないものの、アカデミー賞の長い歴史で一度も作品賞を受賞していないディズニーにとっては、悲願達成のチャンスでもある。

その『ノマドランド』を追う作品はいくつもあるが、『ミナリ』もそのひとつ。ここで興味深いのは、『ノマドランド』のクロエ・ジャオ監督が中国出身で、『ミナリ』のリー・アイザック・チョン監督が韓国系アメリカ人という点。つまり今年のアカデミー賞は、他に有望作もあるにせよ、中国系×韓国系という構図も浮かび上がってくる。

『ミナリ』が韓国からアメリカへ移民した家族の物語という、監督自身のアイデンティティも濃厚に伝える作品ながら、『ノマドランド』はアメリカを放浪しながら生活する移動労働者の物語で、中国系というのは作品に無関係なので、あくまでも監督のルーツという比較ではあるが、人種の多様性を求めるハリウッドを象徴した賞レースになっている。

ちなみにクロエ・ジャオ監督は、マーベルの『エターナルズ』、リー・アイザック・チョン監督は『君の名は。』のハリウッド実写リメイクと、それぞれ次回作は巨大な話題作が控えている。

当然のごとく、中国でも、韓国でも、映画ファンは自国にルーツをもつ監督がアカデミー賞で栄冠に輝くことへの期待を高めている。もし『ミナリ』が作品賞となれば、『パラサイト 半地下の家族』に続いて、またも韓国は大熱狂となるだろう。

日本に置き換えれば、日本人、あるいは日本にルーツをもつ監督がハリウッドで映画を撮り、アカデミー賞の本命になったら、やはり国民的関心事になるはず。

ゴールデングローブを制した『ノマドランド』も、中国では2月に国立映画芸術同盟を通して、4月23日からの国内での劇場公開が承認を受けていた。クロエ・ジャオは、ゴールデングローブでアジア系女性として初の監督賞も受賞し、その点が中国でも大きな話題にもなって、公開への期待は上がっていた。しかしそうして話題が沸騰するにつれ、クロエ・ジャオ監督のある問題が、中国のナショナリスト、愛国主義者の間で取りざたされるようになったと、VarietyNYタイムズなどが伝えている。

クロエ・ジャオ監督は北京生まれで、ロンドンの寄宿学校を経て、ロサンゼルスの高校を卒業。ニューヨーク大学で映画製作を学んだ。父親は、国営鉄鋼会社の元トップの一人で、彼が再婚した相手が中国の人気女優ソン・タンタン。中国では、ソン・タンタンの義理の娘としても知られている。正式な国籍は中国のまま、ということだ。

2013年、アメリカの映画雑誌のインタビューの中で、クロエ・ジャオは「アメリカの中心に作品のインスピレーションが湧くのは、私が育った場所では至るところに嘘で溢れていたから」と、語っている。育った場所とは、もちろん中国である。現在、インタビューのその該当部分は削除されているようである。またオーストラリアのサイトで「中国は私の国ではない」と語った部分が切り取られ、中国の愛国主義者の心を刺激してしまった。

その後、中国で最も人気のある映画サイト「Douban」から『ノマドランド』の新たなポスター画像が削除された(現在、オリジナルの画像は残っているが、中国での公開日表記は削除されたまま)。どうやら削除されたのは、「中国導演」、つまり「中国人監督の作品!」とデカデカと載せたもので、ゴールデングローブの受賞直後に作られたものらしい。

中国のニュースサイト、新唐人亜太台のHPより。右のポスターが現在は削除の対象になっているらしい。
中国のニュースサイト、新唐人亜太台のHPより。右のポスターが現在は削除の対象になっているらしい。

さらに『ノマドランド』関連の記事が「調査の結果」「管理ルールに違反」などのメッセージとともに次々と消えていくという、検閲の動きが見え始めた。中国のツイッターである「微博(ウェイボー)」でも#Nomadland、#NomadlandReleaseDate(ノマドランド公開日)などで検索すると、「表示できません」となっているようだ。

とは言っても、4月23日の中国での公開が中止になったわけではないようだし、もともと『ノマドランド』は劇場が限定的で、中国では一般的な大ヒットをめざした作品ではない。しかし今後、アカデミー賞も受賞すれば、再びクロエ・ジャオ監督への反応が再燃する可能性があるし、彼女の次回作『エターナルズ』は世界市場を視野に入れた超大作で、中国でも特大ヒットが見込まれている。

中国出身の監督がマーベルの大作を撮るというポイントは、まさに「中国導演」として中国で最大の売りになるはずが、逆にちょっとした問題が傷口を大きく広げることになりかねないことを、今回の『ノマドランド』が“予習”させたようでもある。

Varietyが伝える、微博での映画ファンのコメントが皮肉が利いている。

「中国では彼女を中国人とみなさず、アメリカでは彼女をアメリカ人とみなしていないようだ。まさに『ノマドランド』の主人公のような流浪の民」

そしてNYタイムズは、北京外国語大学の元教授のコメントとして次のように紹介している。

「『ノマドランド』はアメリカの低所得者層の生活の困難を描いており、これは私たち中国の社会主義のやり方が正しいという見方ができます。クロエ・ジャオは中国の誇りです」

この分析、ちょっとどうかとも思うが、母国出身で、世界的に大成功を収めつつある映画監督に対し、素直に賞賛したい気持ちと、中国のプライドを傷つけたくない思いが同居して、とても興味深い。

日本では、この『ノマドランド』は3月26日に公開される。アカデミー賞のノミネート発表は3月15日、授賞式は4月25日(日本時間26日)である。

こちらは日本版のポスター。(C) 2020 20th Century Studios. All rights reserved.
こちらは日本版のポスター。(C) 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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