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なぜ「泣ける」反応が多いのか? 半沢直樹の例えも。愚直な政治家ドキュメンタリーが静かなヒットを続ける

斉藤博昭映画ジャーナリスト

通常の年なら、ファミリー向け、アクション系など毎週のように話題作が公開される夏休み。2020年は残念ながら異例のサマーシーズンとなった。アメリカでほぼ全域の映画館が営業を再開できない状況なので、ハリウッドの大作はほぼ皆無。その分を埋める日本映画は、予想外のヒットを記録しており、『今日から俺は!!劇場版』が30億円以上、『コンフィデンスマンJP プリンセス編』が20億円以上を見込むなど、例年の夏休み映画らしい興収を叩き出している。とはいえ、これは「他に話題作がないから」という一極ならぬ、現状、「二極集中」という感じ。

そんな大作の陰に隠れて、公開規模は比べ物にならないながら、静かなブームを作っている映画がある。『なぜ君は総理大臣になれないのか』。衆議院議員、小川淳也の17年間を追ったドキュメンタリーだ。

6/13に東中野と有楽町の2館で公開がスタートした同作だが、公開前からSNSなどで注目が高まり、連日満席というスタートを切る。7/7には公開7館にもかかわらず、動員が1万人を突破。この「1万人」という数は、日本のドキュメンタリー映画としては異例の数字である。ソーシャルディスタンスのために、実質上の満席になることは不可能な現在。東中野や有楽町など人気のスクリーンでは、「満席続きで観に行けない」という渇望感も誘い、息の長いヒットを予感させた。

その後、全国で59館での上映が決まり、8/3の時点で動員は2万人を突破。現在も各地で上映は続いている。こうした予想以上の反響もあって、公開後もメディアでの紹介が途切れることはない。

興味深いのは、作品に対する反応である。

新型コロナウイルスへの対応はもちろん、検察庁法改正など、さまざまなトピックで政権への不信感があらわになるなか、この作品の被写体である、小川淳也衆議院議員のポリシー、生き方、知識こそが政治家としての理想であると捉えられやすいこと。一方で、無所属で野党(立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム)の彼が、いくら理想論を並べても、そしてまっすぐな志を貫いても、現在の日本の政界では上をめざせない現実に愕然となってしまうこと。その他にも、日本の選挙制度の欠点を考えさせられたりと、題材が題材なだけに、基本的に「観たら、何かをつぶやきたくなる作品」ではある。たくさんの人に観てほしいという感想が目立つが、これは当初から予想された反応ではあった。

「何に私は心を打たれたのか?」という反応

しかし公開後、じわじわと意外な反応も増えることになる。不覚にも「泣いてしまった」という感想だ。

このツイートに代表されるように、政治家のドキュメンタリーとして「知られざる真実」に期待して劇場に来た人が、虚をつかれたように涙腺を崩壊させてしまうようだ。

嗚咽するほどの涙が。何に私はそんなに心を打たれたのか

すごい作品だった。全部で27回くらい泣いた

いろんな意味で泣いてしまった(泣いてる人、たくさんいた)

「オンライン上映会で鑑賞。こんなに泣いてしまうとは…お家でよかった

と、特定の場面というわけでなく、理由もわからずに心を揺さぶられる人が多い。

具体的に泣ける理由として挙げられるのは、小川議員の家族の描写である。父の選挙に協力する娘たち。息子が政治家に向いているかどうか悩む両親。これは17年のひとつの家族の記録でもある。

娘もちの父としては娘の姿が映るたびに涙が出てしまった

小川さんとご家族の苦労や温かさに何度も涙が出た

さらに細かい描写については

最初の方からずっとキテたんですけど、井手教授の演説のくだりで決壊した。はたと隣をみると奥さんも号泣してた

『政治家であろうがなかろうが人間として諦めたくない』の言葉に胸が詰まった

など多岐にわたる。(井手教授とは、小川議員の応援に駆けつける慶應大学経済学部の井手英策教授のこと)

現れたのは、日本人が好むタイプのヒーロー像だった!?

そしてここ数日、多くなってきた書き込みは、ちょうど新シリーズの放映が始まったタイミングに絡めたもの。つまり……

小川議員が半沢直樹に見えるなこれ

ドキュメンタリーなのに『半沢直樹』のような面白さがある

正しいと思って突き進みつつ、時に迷い、判断を誤る姿にも胸を打たれる。
正しいと思って突き進みつつ、時に迷い、判断を誤る姿にも胸を打たれる。

このシンクロについては、小川議員自身がAeraのインタビューでも「半沢直樹」が不正融資を回収するエピソードに感動したことを語っている。じつは小川淳也という人には、その愚直さ、弱さも含めて、日本人が潜在的に応援したくなるヒーロー像が凝縮されているのかもしれない。これは当然のことだが、今作を観たいと感じる人、また小川淳也の素顔を知りたい人は、リベラル側に偏ってしまう。しかし多くの人が「政治思想に関係なく、一人の政治家のドキュメンタリーとして観た方がいい」と、素直に勧めたくなるのも、「半沢直樹」のように、これまた自然な流れなのである。

そんなヒーローが、政治という世界では思うように立ち回れない現実に対し、

なぜか後半あたりから涙が出て涙が出て…なんだろう、悔し泣きかな

と、涙へと結集してしまうのだ。

当初は観客の年齢層が高めだったようだが、日を追うごとに若い層にも広がっている。「中学三年生の息子がとても感動していた」という書き込みもあったほどだ。こうしてじわじわ広がる評判によって、「観たいけれど、このご時世に劇場へ行く勇気がない」「地方なので上映劇場が遠い」という声にも後押しされて、8/1にはオンラインでのスペシャルトーク付き上映も実施された。作品の宣伝担当によると、当初、1000〜1500人くらいの視聴を目標にしていたが、最終的に2170人に上ったという。スペシャルトークに、小川淳也議員本人と、大島新監督、政治ジャーナリストの田崎史郎氏、鮫島浩氏を迎えたことで、この上映後、さらに熱を帯びたツイートが多く見受けられた。まだまだ『なぜ君は総理大臣になれないのか』は、地道に観客を増やしていきそうだ。

画像

『なぜ君は総理大臣になれないのか』

全国公開中

製作・配給:ネツゲン

(c) ネツゲン

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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