Yahoo!ニュース

赤裸々なスターへの道、黄金期のまばゆさと現実と…。映画を愛するすべての人に贈るドラマ「ハリウッド」

斉藤博昭映画ジャーナリスト
「ハリウッド」Netflixで独占配信中

2020年5月現在、世界の多くの場所で映画館が開いていないこの状況で、「映画」の未来はどうなるのか、さまざまに思いを巡らせている人も多い。そんな「映画」を心から愛して止まない人、とくに「ハリウッド映画」をずっと大好きな人にとって、これ以上ないドラマが誕生した。5/1からNetflixで配信が始まった、その名もズバリ、「ハリウッド」である。

ハリウッドのスタジオで、映画がどのように作られるのか。これまでも製作の舞台裏を描いた、いわゆるバックステージもののドラマや映画は数多くあったが、「王道」の作りで観る者をぐいぐい引っ張っていく力が、このドラマには宿っている。

黄金期が目の前で甦ってくる興奮と快感

プロデューサーを務めたのは、ライアン・マーフィー。あの「glee/グリー」や「アメリカン・ホラー・ストーリー」の製作で有名だが、2017年の「フュード/確執 ベティvsジョーン」では、ハリウッドの歴史に残る2人の“猛女優”の闘いをこってりと描いており、今回の「ハリウッド」でも栄光の時代への愛がたっぷりと捧げられている。

「ハリウッド」の時代背景は、1947〜1948年。ハリウッドの黄金期は1930〜1940年代といわれ、その最後の部分であり、ここから新たな映画の時代が始まる。そんな空気が漂う頃。何が映画ファンの心を惹きつけるかといえば、当時の実在のスターや作品が大量に登場する点だ。

基本的にメインキャラクターは今作のために創造されたフィクションの人物。俳優を夢みてロサンゼルスにやって来たジャックを中心に、脚本家志望のアーチー、監督をめざすレイモンド、女優の卵であるカミールらが、ある新作映画の製作に関わっていくドラマ。エース・スタジオ(エース・ピクチャーズ)という架空のメジャー映画会社を舞台に、ハリウッドを牛耳る魑魅魍魎の人々が、彼らの運命を左右する。基本的に、めちゃくちゃわかりやすい展開だ。

エース・スタジオが製作する映画も架空のタイトルだが、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーやハッティ・マクダニエル、ジョージ・キューカー、ノエル・カワード、コール・ポーター、アカデミー賞の名前にもなったアーヴィン・サルバーグ、中国系女優として有名になったアンナ・メイ・ウォン、そしてロック・ハドソンなど、実在の人物も多数出てくる。『オズの魔法使』や『紳士協定』、ディズニーの『南部の唄』など当時のタイトルはもちろん、セリフで言及されるスターの名前は数え上げたらキリがない。それほどまでに1947年のハリウッドがこと細かに再現され、観ているわれわれを「夢の世界」へトリップさせる。

メインキャラクターにしても、たとえばスタジオのトップの娘で女優志望のクレアは、演じるサマラ・ウィービングがマリリン・モンローのセリフでオーディションを受け、演じる際にはヴェロニカ・レイクを意識するなど、当時の「いかにも」なブロンド美女スターの造形がなされている。ミラ・ソルヴィーノが演じる、キャリアの頂点を過ぎ、起死回生を狙う大女優には、ラナ・ターナーとジョーン・クローフォードの中間がイメージされた……といった具合。

当時のリアルな再現と「ありえない」設定の見事なチャレンジ

イリノイ州の田舎町から来たジャックは、スタジオのエキストラに志願しながらも、妻が妊娠したことで生活のために仕事を探す。ハンサムな外見で雇われたのが、ガソリンスタンド。しかしそこは、訪れる客の「相手」をする場所で、要するにジャックは「男娼」として、金持ちマダムに奉仕することになる。明日のスターたちの、かなり濃厚でスキャンダラスなエピソードを、いい意味での「下世話さ」で描いていくのも、この「ハリウッド」の魅力だ。肉体関係で仕事をもらう。明らかなセクハラが常識だった業界の実態。一本の映画が作られるまでの、猛烈な駆け引き。そのあたりが、じつにわかりやすく、やや理想どおりに進んでいく不自然さはあるものの、そこが「ドラマらしい」とも言える。何より、要所の業界的ネタが赤裸々なほどリアルに感じられるので、観始めたら止まらない快感を伴うのだ。

今回のシーズン1は7エピソードで構成されるが、最終話の盛り上がりは尋常ではない。観ながら目頭が熱くなる瞬間がこれでもか、これでもかと訪れ、このあたりにライアン・マーフィーの「巧さ」が感じられるが、その感動の最大の理由は「テーマ」にある。

メインキャラクターのうち、ジャックとクレアは当時のハリウッドで主役を任されそうな、典型的白人のルックス。しかしスター女優をめざすカミールは黒人で、監督のレイモンドはフィリピンの血が混ざり、脚本家のアーチーは黒人でゲイである。アンナ・メイ・ウォンの悲運も含め、この「ハリウッド」は現実の1947年ではありえなかった「多様性」へのアピールが過剰に盛り込まれるのである。自身もゲイであるライアン・マーフィーにとって、「現在では遅い。もっと遥か昔に多様性があるべきだった」という叫びが過剰に込められているようでもあり、それがクライマックスの絶大な感動へと見事につながっていく。人種や性的志向、そしてジェンダー。男女差別にも強烈に言及するし、さらに言えば、スタジオを仕切る重鎮たちの恋愛にも妙にフォーカスし、「年代」という多様性も訴えかけてくるのだ。社会的にアウトサイダーに見える者たちが、王道の物語をつむぐ。それこそがドラマ「ハリウッド」の真骨頂ではないか。

ある重要な人物に、こんなセリフがある。

映画は世界を変えられる」。

「変える」勇気が、ドラマ全体にみなぎり、想定外の感動を導いていく。

タランティーノに次いで悲劇に愛を与える

ハリウッドへの愛という点では、2019年、クエンティン・タランティーノ監督が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、無残にも殺害されたシャロン・テートを映画の中で「生き返らせた」ことが話題になったが、この「ハリウッド」でも、かつてのスターへの途轍もない愛が捧げられる。ロック・ハドソンだ。

1948年に映画デビューし、『ジャイアンツ』、『風と共に散る』などでスターとなったハドソンは、1985年、AIDSによって59歳で逝去。亡くなる前に、ゲイであることをカミングアウトした。自分が死ぬ運命を知ったとはいえ、1985年当時でも、ハドソンのこの発表は世界に驚きを与えたわけで、まして映画デビューの時代にその事実を公表するなんて、不可能であった。そんなハドソンの心情を、今回の「ハリウッド」はどう描いているのか。ここに作り手たちの愛が凝縮され、最後は涙を禁じ得ない。デビュー間もないロック・ハドソンの演技力がイマイチな部分も強調され、そこはそこで微笑ましいばかり。

こうしてハリウッド黄金期への限りない愛とオマージュを捧げながら、現代的ストーリーへと落とし込んだ、この「ハリウッド」。ドラマとしてのチャレンジは成功したと言えるが、観ながら複雑な心境に襲われるのも事実。現在、ハリウッドのスタジオでは、新型コロナウイルスの収束とともに、撮影の再開が模索されている。その際のソーシャル・ディスタンス、スタッフの削減、完全に個別な食事、俳優同士が濃厚に接触するシーンは合成にするなど、さまざまなアイデアが出されているという。この「ハリウッド」に描かれた映画の撮影スタイルは、新型コロナ以前、つまりつい最近まで伝統的に受け継がれてきたものだが、この文化も失われていくのか……。そんな切ない思いにもかられるのである。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

斉藤博昭の最近の記事