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映画における政治色、俳優の政治的発言が、日本でも少しずつだが受け入れられる「波」は来ている?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
(c) 2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

2019年は日本の映画界にも少しだけ、これまでと違った「波」が起こっている気配がある。

6月28日に公開された『新聞記者』は、あくまでもフィクションながら、内閣情報調査室の暗躍を鋭く描きつつ、「加計学園問題」など現実を連想させる部分も濃厚で、見方によっては現政権批判ともとれる作品。しかも参議院議員選挙を意識した公開日となったことで、さまざまな意味で話題を集めた。松坂桃李が主演ということもあって、政治的テーマの映画ながら、全国143スクリーンという、いわゆる中規模での公開も実現。最初の週末こそ、動員ランキングで10位と、それなりの成績だったが、翌週は8位、その次は9位と、それぞれ毎週約10万人の動員が落ちることはなく、7/28現在で126スクリーンを維持している。1日1回上映も多くなったものの、これは大健闘といえる。8月に入っても新たなスクリーンでの公開が決まっており、しばらく上映が続くのだ。

当初は、その内容から、どれだけ観客に支持されるのか、大きな反発も起こるのではないか、など危惧された。政治色が強いことから、テレビでの「番宣」も限定的で、東京新聞の望月衣塑子記者が原案で出演もしていることで、「偏った内容」と思い込む人からの批判もあったりしつつ、それでも一定の成功を収められたことは、こうした作品が日本の観客に「需要」があることを証明した。

ハリウッドではここ数年だけでも、スティーヴン・スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』、ロブ・ライナーの『記者たち 衝撃と畏怖の真実』、アダム・マッケイの『バイス』など、過去の政権の判断や、政治とマスコミの関係を正面から批判する作品が続き、マイケル・ムーアの『華氏119』のように現政権に真っ向から反論する映画も作られている。「日本ではこうした映画がなぜ作られ、広く公開されない?」という不満も『新聞記者』は解消したと言っていい。

表現の自由は保障されるべきである。そしてもちろん、表現された作品を批判する自由も守られるべきである。

これは日本映画ではないが、日本と韓国の間の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー『主戦場』も、4月20日にシアター・イメージフォーラムで公開が始まった後、その描かれ方について激しい論議も起こり、話題が広がったことで、同館では7月末の現在も上映が続いている。他にも複数のスクリーンでロングランが継続中で、今年の日本の映画興行でも、ひとつの社会現象になった。

日本政府の対応も関係してくるセンシティヴな問題を扱いながら、観客の興味を惹き続け、新たな観客層も掘り起こし、そこから論議が生まれるという、ひじょうに「健全」な動きを『主戦場』は体現しているのではないか。『新聞記者』は作り手の政治的な主張は薄めだが、ある程度、主張がはっきりと感じられる『主戦場』への一定の支持も、この国の「表現の自由」を守りたい動きの表れ……というのは考えすぎか。

こうした作品自体以外でも、今年は映画と政治色での論議が目立っている。『空母いぶき』で首相を演じた佐藤浩市のインタビュー記事に対して、「現実の安倍首相を揶揄している」と批判が起こり、そこから冷静な反論が起こったこともその一例(「お腹が弱い」という役作りのヒントへの賛否もあった)。関係者によると、当の佐藤浩市は、この騒動に「それほど影響されていない」とのこと。日本映画を代表する俳優が安倍首相批判というレッテルを貼られる可能性もあったが、このあたりは冷静な判断で回避の方向へむかった。佐藤浩市の意図は別として、過去や現在の政権を作品で批判するという行為がどこまで必要で、どこまで許されるか。そうした論議が起こること自体は正しいと感じる。

そして参議院選挙の前に話題になったのが、古舘寛治の現政権批判も含めた「選挙に行こう」というツイートで、彼は「主役級スター」ではないにしても、NHK大河「いだてん」や、2016年の映画『淵に立つ』など唯一無二の存在感を放つ、日本には欠かせない俳優と誰もが認めている。そんな彼が、リスクを覚悟で政治的メッセージを発信し続けた。

ハリウッドのトップスターが現政権も批判するアメリカと単純に比較するわけにはいかないが、これまでも石田純一やローラなど芸能人の政治的発言にはひじょうに人々が敏感で、批判も湧き上がる日本において、古舘の勇気は、むしろ「しっかりと主張する人」という好意的な反応が多いと感じる。朝日新聞の記事によるとさまざまなプレッシャーも感じているようだが、こうした俳優が存在することも「多様性」のひとつとして受け入れるべきではないか。

映画にしても、人にしても、ただ政治を批判したからといって賞賛されるべきではないだろう。しかし、批判を「封じる」ことは健全ではなく、そこから論議が起こることが大切であることに、少しずつだが理解が深まっていると、2019年の映画まわりの現象から静かに伝わってくる……と考えるのは甘いだろうか。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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