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トランスジェンダー役をシスジェンダーが演じて過剰反発の映画『Girl/ガール』。シスジェンダーって?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
女性のバレリーナとしてレッスンを続ける主人公のララ。その裏には信じがたい苦労も

7月5日に公開される映画『Girl/ガール』は、15歳のララがバレリーナをめざす物語。ララはトランスジェンダーで、男性の肉体で生まれながら、女性としてバレリーナになることを夢みている。日々、バレエのレッスンを繰り返しながら、並行してホルモン療法で女性の肉体に近づこうと努力している。

ベルギーのルーカス・ドン監督は、2009年、新聞でトランスジェンダーの少女がバレリーナをめざすという記事を読み、今回の映画化にこぎつけた。長編デビュー作ながら、『Girl/ガール』はカンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞。ゴールデングローブ賞で外国語映画賞ノミネートなど、世界中で高い評価を受ける。

しかし作品の評判が広がった分、かなり強烈な批判も上がった。主人公のララがトランスジェンダーなのに、演じた俳優はシスジェンダーである。つまり、トランスジェンダーの役は、トランスジェンダーの俳優に演じさせるべき、というものだ。

波紋を呼んだスカーレット・ヨハンソンの降板劇

シスジェンダーという言葉は、あまり一般的ではないが、「トランスジェンダーではない人」を意味する。自身の肉体の性別を、そのまま受け入れている人。トランス(trans)の対義語がシス(cis)で、ラテン語で「ローマに近い側の」つまり「こちら側の」を意味する。「トランスジェンダー」と特別視されることを、できるだけ和らげようとするために作られた言葉で、「ホモセクシュアル(同性愛)」に対して「ヘテロセクシュアル(異性愛)」という言葉が誕生した経緯に似ている。多数派が「一般的」「普通」と形容されると、それだけで差別意識が生まれるのである。

このように、どちらが多数派であるかを、ことさら強調しない動きは正しいだろう。『Girl/ガール』のキャスティングへの反論も、このところのLGBTQを描く映画への論議の流れからすれば、当然、出てくるものだったかもしれない。

似たような論議で記憶に新しいのは、2018年、新作『Rub and Tag』でトランスジェンダーの役を演じる予定だったスカーレット・ヨハンソンが、同じような批判にさらされて降板した一件。トランスジェンダーの俳優からの反発が巻き起こったのだ。スカーレットはトランスジェンダー役を演じるチャンスがあるけれど、トランスジェンダーの俳優たちにシスジェンダーの役を演じるチャンスはほとんどない、というもの。たしかにその言い分はわかるが、有名スターのほとんどはシスジェンダーであり、そうしたスターを主役に据えることで、作品への注目を高めるのは従来からの考え。そうした意見の対立が、大きな騒動へと発展した。

2017年度のアカデミー賞で、外国語映画賞を受賞したチリ映画『ナチュラルウーマン』では、トランスジェンダーの主人公を実際にトランスジェンダーの俳優が演じ、成功していたことも、こうした論議への流れを作ったといえる。

1999年度にアカデミー賞主演女優賞を受賞した『ボーイズ・ドント・クライ』のヒラリー・スワンク、2005年度、同賞ノミネートの『トランスアメリカ』のフェリシティ・ハフマン、そして2015年度、同主演男優賞ノミネートの『リリーのすべて』のエディ・レッドメインなどは、すべてトランスジェンダー役をシスジェンダーの俳優が演じたわけだが、とくに大きな反発は話題にならなかった。反発の是非は別として、それだけ時代が急速に変わってきた感はある。

ララ役に選ばれたビクトール・ポルスター。多くのシーンで、その「肉体」がスクリーンにさらされるが、トランスジェンダー役としての違和感はない。
ララ役に選ばれたビクトール・ポルスター。多くのシーンで、その「肉体」がスクリーンにさらされるが、トランスジェンダー役としての違和感はない。

しかし『Girl/ガール』のように、15歳の設定で、バレエもある程度、経験がある役を、トランスジェンダーのみに限定してキャスティングするのは、ほぼ不可能と言っていい。ルーカス・ドン監督もそれは十分に承知で、アントワープのロイヤル・バレエ・スクールに通うビクトール・ポルスターを抜擢した。映画を観れば、このキャスティングに間違いがなかったと納得するはず。しかし今後も、トランスジェンダーを重要な役で登場させる場合、キャスティングで「炎上」を恐れる傾向は強まるかもしれない。

他者を「演じる」のが俳優の仕事である

LGBTQでも、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの役には、あらゆる俳優がチャレンジしても「当事者に演じさせろ!」という論調は少なめだ。

日本でも前クールで人気ドラマになった「きのう何食べた?」ではゲイカップルを西島秀俊と内野聖陽が演じて好評を得ている。とはいえ、西島と内野が、「100%、ゲイではない」という確証もない。女性と結婚しているゲイの男性はたくさんいるからだ(まぁ内野さんは不倫報道などで騒がれていますが…)。要するに、そこは追求する必要もないこと。俳優がゲイだろうが、ヘテロセクシュアルであろうが、「そんなことは、どうでもいい」と考える社会こそが、本当の意味で差別がない健全な世界ではないだろうか。

ただ、トランスジェンダーの場合、「外見から別の性に変える」ということから、どうしても「そうであるか」「そうでないか」が歴然とするケースが多い。その意味で、トランスジェンダーの役を当事者が演じたかどうかが、はっきりとしてしまう。ゆえに論議も起こりやすい。

このような論議も起こった『Girl/ガール』だが、トランスジェンダーの描き方は、じつに真摯である。

・男性の肉体なのに、どうやって女性用のレオタードを着用するのか。

・ロッカールームはどちらを使うのか。

・人前で着替えることはできるのか? シャワーは浴びられるのか?

・トランスジェンダーの仲間に対し、周囲はどう対応するべきなのか。

・初めて恋をした相手に、どう受け入れてもらうか。

・家族は、どのように愛情をそそぐのか。

こうしたさまざまな問題を、じつにリアリティ満点に描いていく。これからの日本社会においても、大きなヒントになるはずだ。そして、そこにバレリーナとしての成長が重なり、訪れる信じがたい結末も含めて、あらゆる点で考えさせられ、圧倒され、主人公の切実な思いに共感させられ、強烈な印象を残す一作。

客観的に向き合って、ララ役のビクトール・ポルスターが完璧なキャスティングであったことだけは、まぎれもない事実である。

画像

『Girl/ガール』

7 月 5 日(金)、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、 Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー

配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES

(c) Menuet 2018 (掲載画像すべて)

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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