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平昌五輪、アカデミー賞のタイミングではなく、フィギュアスケート映画『アイ,トーニャ』、なぜ今公開か?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
トーニャ・ハーディングを演じたマーゴット・ロビーはアカデミー賞主演女優賞候補に

映画の公開タイミングというのは、じつに難しい。しかしじつは、きっちりと計算されていたりもする。その結果、タイミングが完璧ならば大きな成功につながるのだ。

日本映画もハリウッド作品も、基本的に大作は早くから公開日が設定されているが、インディペンデント系の作品や、メジャー会社でも小規模公開の作品は、いかに最適のタイミングで劇場をブッキングできるかが勝負となる。

昨年、『ムーンライト』がアカデミー賞作品賞を受賞した際は、配給会社が自社の他作品をも調整しながら、急遽、公開を1ケ月も前倒しにした。授賞式が2/27で、当初の公開予定は4/28。それを3/31に繰り上げたわけだ。その結果、アカデミー賞の熱が“冷めない”うちに観客の心を引きつけ、3億5000万円の興行収入につながった。当初の4月末公開にしていたら、この数字は難しかっただろう。

カヌー選手の事件で記憶が甦り、映画の話題も広まる

そんな状況で注目したいのは、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』の公開タイミングである。ある一定の年齢の人や、フィギュアスケートファンにとって、トーニャ・ハーディングという名は忘れられない。オリンピック代表選考を前に、ライバルのナンシー・ケリガン選手を襲撃するという前代未聞の事件に関わったとされるハーディング。フィギュアスケートで最大の「黒歴史」は、今年の初め、日本でもカヌーの選手が代表争いを巡って、有力選手の飲み物に禁止薬物を混入するという衝撃事件が起こった際に、再びクローズアップされた。そのトーニャ・ハーディングの映画が公開されることを、ニュースをきっかけに知った人も多い。

そしてその直後、平昌冬季オリンピックが開催され、羽生結弦の2大会連続金メダルなどで、フギュアスケートは最大の盛り上がりをみせる。この『アイ,トーニャ』の映画を知っていた人からは「なぜ、このタイミングで公開しないのか? 早く観たい!」という不満も目立つようになった。

さらにアカデミー賞では、『アイ,トーニャ』で母親役を演じたアリソン・ジャネイが助演女優賞を受賞する。これが3/5のことで、日本の劇場公開まで、そこからさらに2ケ月の時間を要しているのだ。

なぜ……と考えてしまうが、その裏にはさまざまな要因が絡んでいる。

1994年のリレハンメル・オリンピックで、靴ヒモが切れたことをジャッジに伝えるトーニャ・ハーディング。この場面を覚えている人も多い
1994年のリレハンメル・オリンピックで、靴ヒモが切れたことをジャッジに伝えるトーニャ・ハーディング。この場面を覚えている人も多い

まず重要なのが、宣伝期間。この『アイ,トーニャ』はアメリカ公開が2017年12月。それも限定劇場で、拡大公開は年明けになった。これはアカデミー賞狙いの作品でよくあるパターン。そうなると日本での公開を2〜3月に設定した場合、急ぎ、マスコミ試写を行うなど急ピッチの宣伝が必要となる。

これがアカデミー賞作品賞の有力作品ならば、この急ピッチも必要不可欠。授賞式と公開日をできるだけ近づけて話題性を高められるからだ。『アイ,トーニャ』の場合、ここが微妙で、アカデミー賞には絡むものの、作品賞ノミネートがギリギリのラインだった。結果、惜しくもノミネートを逃してしまうのだが、このあたりを予測して劇場をブッキングするかどうかが、劇場側の判断でもある。

今年はやはり『シェイプ・オブ・ウォーター』や『スリー・ビルボード』、主演男優賞確実とされた『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』、また受賞は逃してもアカデミー賞らしい社会派の『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』などが、授賞式を意識した日程に優先的にブッキングされる。実際にそれらは作品賞にノミネートされた。昨年も『ラ・ラ・ランド』が早くからアカデミー賞授賞式と公開日のタイミングを合わせたが、これも劇場側の「先見の明」がはたらいたからだそうだ(結局、作品賞は『ムーンライト』だったが、『ラ・ラ・ランド』のヒットには明らかにアカデミー賞効果があった)。

アカデミー賞前後に公開するべきか、それとも

もちろん『アイ,トーニャ』は助演女優賞に輝いたが、助演で、アリソン・ジャネイという日本での知名度は高くない女優なので、その受賞が集客を大きく左右するほどではない。また、アカデミー賞後の3月は春休み映画の激戦区である。もしここで公開しても、スクリーン数が抑えられてしまう可能性は高い。そうしたさまざまな要因から、『アイ,トーニャ』は、時間をかけてじっくり宣伝するスタイルが選択されたという。内容からしても、実際に観てみないと作品の面白さが伝わらないタイプなので、マスコミ試写や、きめ細やかな宣伝活動に時間をかけたのは正解だったと思う。

平昌オリンピックで盛り上がったとしても、たしかにその盛り上がりがトーニャ・ハーディングの映画に直結するかどうかは疑問である。他のアカデミー賞候補作品と同時期なら、埋もれてしまう可能性もある。ゴールデンウィーク後半からの公開ということで、前半までの人気作が落ち着き、スクリーン数を確保することも容易となった。

カヌー選手事件、平昌オリンピック、アカデミー賞と、いくつもの「小さな波」に押されながら、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は公開日を迎える。

代表選考の大会直前にヒザを殴打されたナンシー・ケリガン。本人にそっくりの女優が演じている
代表選考の大会直前にヒザを殴打されたナンシー・ケリガン。本人にそっくりの女優が演じている

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』

5月4日(祝)、TOHOシネマズ他、全国ロードショー 配給/ショウゲート

(C) 2017 AI Film Entertainment LLC

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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