Yahoo!ニュース

カヌー選手事件で記憶が甦る、フィギュアのハーディング事件。映画化『アイ、トーニャ』は受賞が続く傑作

斉藤博昭映画ジャーナリスト
ゴールデン・グローブ賞授賞式に出席したトーニャ・ハーディング(写真:Shutterstock/アフロ)

オリンピックに出場したい

そのためには、ライバルがいなくなれば……

カヌー選手による薬物混入事件が波紋を広げるなか、過去の似た例として再び話題にのぼっているのは、フィギュアスケート界での同じ(と思われる)動機の事件だ。1994年の1月、アメリカのトーニャ・ハーディング選手が、同年2月のリレハンメル五輪を前に、同国のナンシー・ケリガン選手の襲撃に関与した……というニュースが、世界中を騒然とさせた。

フィギュア史上、最大のスキャンダル

1992年のアルベールビル五輪で4位となったハーディングは、同大会の銀メダリスト、伊藤みどりが女子として五輪で初めて成功させたトリプルアクセルを、アメリカで初めて跳んだ選手であり、リレハンメルでもメダルを期待されていた。しかし度重なる私生活のトラブルや、ジャッジにも平気で文句を言う本人の性格などから、フィギュア界の「問題児」ともされ、事件へとつながっていく。殴打された膝が回復したケリガンはリレハンメルで銀メダル(アルベールビルでも銅メダル)。鮮やかな復活劇を演じた一方、ハーディングは出場したものの8位に終わった。

この大スキャンダルは、フィギュアスケートの歴史の中でも多くの人に記憶されている。

そして2017年、トーニャ・ハーディングの映画が完成した。『アイ、トーニャ(原題)』である。先日行われた、アカデミー賞の前哨戦、ゴールデン・グローブ賞では助演女優賞を受賞し、全米製作組合賞の作品賞最終候補の11本に入るなど、アカデミー賞でも大いに期待できる「傑作」として、ハーディングの事件は甦ったのだ。

この映画、何がスゴいかというと、当時の「再現度」が半端ではない点だ。ケリガン襲撃事件に関しては、さまざまな関係者の告白から再現を試みているので、完全な事実ではないかもしれない。しかし、関係者たちの胡散くさい証言という点まで伝えることで、これはある意味で究極の再現になっている気もする。

このふてぶてしいポーズと表情は、当時のハーディングそのもの
このふてぶてしいポーズと表情は、当時のハーディングそのもの

驚くのは、ハーディングを演じたマーゴット・ロビーの演技である。『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クイン役などで有名な彼女は、顔はハーディング本人とはそれほど似ていない。役者として目の表情や言葉づかいなどで本人に近づけるのは当然だが、ロビーは、氷上の演技もハーディング本人の特徴や癖を完璧につかんでいるのだ! スピンやジャンプの瞬間、また下半身の動きなどは映像で加工されているものの、ロビー自身による上半身の動きは、当時のハーディングそのもの。リレハンメル五輪での、これも語り継がれる靴紐が切れる演技シーンも、リアルタイムで観ているように映像化されていた。

また、当時からやや奇抜だったハーディングの衣装も、ほぼ忠実に再現されており、長年のフィギュアファンなら、おそらく10着くらい懐かしいアイテムとして発見する喜びがあるだろう。

アカデミー賞でも有力

年老いた母親が回想するシーンが、これまた強烈!
年老いた母親が回想するシーンが、これまた強烈!

その衣装を手作りしていた切実なエピソードなども『アイ、トーニャ』では描かれる。ケリガン事件に至るまでの、ハーディングの複雑な半生が今作の肝なのだ。そこで重要な役割を果たすのが母親で、スケートを習い始めた時代から、指導を拒否する先生への猛攻も含め、「鬼母」ぶりが凄まじいばかり。親が子供の運命を悪循環させてしまう状況が身につまされる。この母親を演じたアリソン・ジャネイが、今回のゴールデン・グローブ賞で助演女優賞を受賞。過去10年、この賞の受賞者は6人がそのままアカデミー賞での同賞につながっている。

映画をドラマ部門とミュージカル/コメディ部門に分けるゴールデン・グローブ賞で、この『アイ、トーニャ』は後者に分類されている(助演賞は両部門共通)。つまりこの作品、コメディ要素が強いのである。ケリガン襲撃の際の、元夫やその友人のあまりに短絡的な行動には苦笑するしかないし、全編に軽いユーモアやブラックな笑いが散りばめられ、それゆえにトーニャ・ハーディングの人生がダークになり過ぎず、感情移入させる効果がはたらいている。

伊藤みどり、ハーディング、浅田真央らが成功させたトリプルアクセルは、現在も高度なジャンプとして女子選手たちには高いハードル。今度の平昌でも、挑戦するのはおそらくアメリカ代表の長洲未来くらいだろう。その意味で、トーニャ・ハーディングのスケーターとしての才能には、改めて感服する。天性の才能が間違った方向へ導かれる……。これもまた人生なのか。

フィギュアスケートを引退後は、格闘家デビューも果たしたハーディングだが、先日のゴールデン・グローブ賞授賞式では、美しい姿でマスコミの前に現れ、幸せそうな表情をアピールしていた。彼女が『アイ、トーニャ』を観て、どんな感想を抱いたのかは、まだ語られていない。

『アイ、トーニャ』の日本での劇場公開は初夏ということで、ちょっと先になるが、2月の平昌オリンピック、3月のアカデミー賞とともに期待を高めてほしい。

アスリートにとってのオリンピック出場と、そこに至る尋常ではない日常、そしてその後の人生を、軽妙に描きながらも、深く考えさせる逸品である。

英語版予告編

『アイ、トーニャ(原題)』

初夏公開 配給/ショウゲート

(C) 2017 AI Film Entertainment LLC. All Rights Reserved.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

斉藤博昭の最近の記事