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劇場プログラムに掲載できなかった、『ノア 約束の舟』作品レビュー

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『ノア 約束の舟』全国ロードショー中

映画を観た記念に、その作品のプログラムを買う。

最近は、この習慣は薄れつつあるかもしれないけれど、今でも日本では、公開される作品の多くでプログラム(パンフレットとも言う)が劇場で販売されており、ひとつの「文化」になっている。映画大国のアメリカでさえ、このプログラム文化はない。かつてプログラムの販売などしていなかったブロードウェイの舞台作品が、十数年前から販売し始めた例はあるものの、映画のプログラムに関して、日本ほど一般的になっている国は珍しい。

というわけで、海外作品の場合、プログラムを販売するにも製作権利元の「許可」や「契約」が必要になる。「商品」として利益が出るので、勝手に儲けてはマズいってこと。権利に厳しい作品の場合、プログラムに載せる内容に対してすべて先方の確認を得る必要もあり、権利元が承諾しない場合は、掲載できない記事も発生する。よほどのことがない限り、そういったケースはないが、今回『ノア 約束の舟』では掲載不可能となった記事があった。

聖書を題材にした『ノア』は、その解釈に関して物議をかもし、上映禁止となった国もあったほど。ただし今回の掲載不能は、内容云々ではなく、シンプルに「契約時に聞いてなかったから」というシンプルな理由だったらしい。内容にタブーがあったわけではないので、残念ながら、劇場プログラムで日の目を見なかった作品評を、この場を借りて掲載しようと思う(日本の発行元の担当者に許可を得ています)。

なお、一部、ネタバレな記述もあるので、できれば鑑賞後に読んでいただければと思います。

ファンタジー色とリアル感の微妙な距離感を探った監督の挑戦

箱舟に動物たちが乗り込む映像は、異様な心のざわめきを誘う
箱舟に動物たちが乗り込む映像は、異様な心のざわめきを誘う

ある意味で「人類の起源」を描いた、世界中で有名な物語ながら、これまで大作映画の題材になることのなかった「ノアの箱舟(方舟)」。映画史を振り返れば、聖書を基にした映画もそれほど多くなく、セシル・B・デミルの『十戒』(56)や、ジョン・ヒューストンの『天地創造』(66)といった巨匠によるスペクタクル大作や、『エデンの東』(55年/エリア・カザン監督)、『ベン・ハー』(59年/ウィリアム・ワイラー監督)のように、聖書を翻案した名作ですら、すべて年半世紀以上前のクラシックとなっている。イエス・キリストを主人公にした映画は近年に至っても作られ続けているが、『ジーザス・クライスト・スーパースター』(73年/ノーマン・ジュイソン監督)、『最後の誘惑』(88年/マーティン・スコセッシ監督)、『パッション』(04年/メル・ギブソン監督)など、その描き方がつねに論争を巻き起こし、スキャンダラスな側面も際立つ作品が多かった。聖書をスクリーンに再現することは、現代のフィルムメーカーにとっては覚悟の必要な冒険とも言える。

その冒険に果敢に船出したのが、ダーレン・アロノフスキーである。本作のインタビューでも答えているように、13歳でノアに関する詩を創作した彼にとって、これはまさにライフワークと呼べる題材かもしれない。その念願の企画に、彼はどう向き合ったのか? 旧約聖書の創世記の記述をできる限り忠実に物語に採り入れつつ、ファンタジー色も強い作品を試みた…と考えてよさそうだ。もともと創世記のノアの物語にも、鳩や虹、舟に乗り込む動物たちというファンタジックな要素が豊富であり(だからこそ、宗教に関係なく絵本などで世界に広まったのではないか?)、監督のアプローチは正しい気がする。

ファンタジー色は冒頭から明らかだ。“最初の人間”アダムとイブの誕生から、わずか十世代しか経ってない地上で、すでに人間は堕落。その歴史の紹介とともに登場する、ウォッチャー(番人)の姿に、われわれ観客は驚きを禁じ得ない。ウォッチャーは、おそらく旧約聖書の「エノク書」に出てくる、地上の人間を監視する「見張りの天使」に由来するのだろうが、岩で形成された巨大なクリーチャーに、一瞬、戸惑うものの、アロノフスキー監督の意図が読み取れるのも事実だ。彼自身がやはりインタビューで言及しているとおり、本作は『ロード・オブ・ザ・リング』に近い世界を目指しているのである。

このファンタジー色は、皮肉にも物語にリアル感を加味することになった。長さ100m以上、高さ13mという巨大な箱舟を数年で完成させるには(聖書におけるノアの箱舟建設は、100年近くもかかったという説もあるが)、ノアの家族だけでは明らかに不可能。そこでウォッチャーたちが手を貸すことで建造に至ったことが、結果的に映像として“リアルに”伝わってくるのだ。天地創造の時代の風景にしても、不思議な生き物が跋扈する異世界のようでありながら、基本的に荒涼とした生々しさが強調されている。そして時折、挿入される、目を奪うような映像美…。旧約聖書を現代で再現するには、こうしたファンタジーとリアルの巧妙な融合が最適なのだと、本作は確信させる。賛否はあるかもしれないが、アロノフスキー監督の意図は明らかだ。

エマ・ワトソンが好演するイラが、ノアの「養女」というのが本作の感動のキーポイント
エマ・ワトソンが好演するイラが、ノアの「養女」というのが本作の感動のキーポイント

そんな全体のムード以上に、本作がアロノフスキー監督らしいのは、主人公のキャラクター像かもしれない。神からの啓示を受けたとはいえ、無謀な箱舟建設に命を捧げ、有無を言わさずその宿命に家族も巻き込む。さらに啓示に従うためには、愛する家族を犠牲にすることも厭わない。自らの強すぎる意志に、狂信的とも呼べる段階に突入していく姿は、初監督作『π』での数式や数字にとりつかれた男から、『レスラー』や『ブラック・スワン』で、それぞれの職業において常識から一線を超えた領域を経験する主人公たちまで、アロノフスキー好みの設定である。『レクイエム・フォー・ドリーム』のように、何かに溺れた結果、最終的に自らが崩壊していく運命も、今回のノアに重ねられるだろう。もちろん狂信的な主人公に観客が引き込まれなければ、映画としての存在意義はない。そこで重要なのがキャスティングであり、今回のラッセル・クロウほどノアにぴったりなスターはいないだろう。粗暴さの奥の強い信念。さらにその奥には、一度信頼した者に対しての揺るぎない愛が貫かれる。ラッセル本人の人柄がノアの個性と強烈にシンクロする瞬間を、われわれは本作で何度も発見することができる。

もちろんラッセル・クロウが適役とはいえ、ノアの行動に100%共感できるとは限らない。大洪水に呑み込まれ、必死に生き伸びようとする人々の映像を目の当たりにして、動物たちよりも、一人でも多くの人間の命を救うべきだと、胸を締めつけられるのは当然の感覚だ。しかし、その考えこそが、人間の傲慢さかもしれない…と、ダーレン・アロノフスキーは問いかけている気がする。地球は人間が支配しているという錯覚を、今こそ謙虚に振り払うべきだと、神話的な寓話を通し、彼は現代に警鐘を鳴らしている。

『ノア 約束の舟』全国ロードショー中

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映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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