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車外脱出ハンマーを使った その後はどうする? 洪水の車中死をふせぐには

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
(写真:ロイター/アフロ)

 令和元年の台風に伴う洪水によって自家用車などの車中で死亡した人は30人。浸水したクルマからの脱出に専用ハンマーが使えますが、肝心なのは脱出後。脱出ハンマーがあればそれで良しというものではありません。

多くの命が水に浸かった車両内で奪われた

 一説によると、令和元年の台風19号により水害を受けた車両は、約10万台とも言われています。10万台のほとんどは、駐車していた無人車両だったかもしれません。しかしながら、もしすべての車両にて人が乗車中で、しかも車内に居残ることにこだわったとすれば、10万人規模で犠牲者が出たかもしれません。これはクルマ社会を象徴する、命に直結する潜在的な溺水リスク要因であると言えます。

 東日本各地に甚大な被害をもたらした10月の台風19、21号の影響で亡くなった103人のうち、水害の犠牲者は72人に上る。うち7割弱に当たる50人が屋外で被災していたことが毎日新聞の取材で判明した。中でも車で移動中に巻き込まれる「車中死」が30人を占める。避難中や帰宅途中の被災が多いことも分かり、早期避難の重要性が改めて浮き彫りになった。台風19号の上陸から12日で1カ月になる。(毎日新聞 最終更新2019/ 11/12 18:22

 同記事によれば、いわゆる「車中死」のうち主な内訳は、帰宅途中9人、避難中7人、仕事・作業中3人、外の様子を見に行く2人となります。ここで、重要なキーワードとして「帰宅」「避難」があげられます。

人はモチベーションをもって水難事故に遭う

 水難事故調査は、溺れた人のモチベーション(動機とかやる気)を特定することから始めます。

 例えば、小さな子供が単独で歩きつつ、近所の水辺に転落するにも、その川の向こう側に「おばあさんのおうちがある」など、誰にでも納得できるわかりやすいモチベーションがあるものです。そのモチベーションが判明すると、そこから水難事故のプロセスが芋づる式に明らかになっていくものです。

 翻って洪水時はどうでしょうか。洪水だとわかっていてもクルマを走らせるモチベーションは、明らかに「帰宅」と「避難」なのです。

 要するに、クルマを運転している人の頭の中は、「一刻も早く家に戻りたい」「一刻も早く避難所にたどり着きたい」でいっぱいとなり、その途中の危険について考えが及びにくくなるのです。

 このような、洪水による車中死を防ぐために、台風が来ることがわかっているのであれば、「早めの帰宅」「早めの避難」に尽きることでしょう。

 でも、「洪水から逃げられる」と思いつつも結果的にクルマが浸水したら、どうやって長らえたらよいでしょうか。

愛車、流されます

「自分が愛する車だから、自分を守ってくれる」こんな片思いを抱いている方はおられませんか?これは全くの幻想です。

 窓を閉めていれば、重量があるはずなのにクルマは浮袋のように振舞います。車内に残された空気のために、鉄とガラスでできた風船となります。その空気が抜けるまでは、車体は水に浮きます。そして流されます。

 流れのある水の中で、クルマがどれくらいの水深と流速で流されるのか。詳細は筆者記事「愛車、流されます 洪水時に車内は避難所にならない現実」をお読みいただくとして、おおよそ次の通りです。

 例えば日産マーチクラスの車両では、秒速1 mの流れの中で車内等の空隙に浸水がない状態で水深30 cm強で流され、空隙のほぼ半分が浸水している状態でも50 cm強で流されます。また、トヨタランドクルーザークラスの車両では、秒速1 mの流れの中で車内等の空隙に浸水がない状態で水深60 cm強で流され、空隙のほぼ半分が浸水している状態でも90 cm強で流されます。

水深30 cmで流れ始める。」これが現実なのです。大人の膝下くらいの水深であってもクルマは流れ始めるものなのです。そして一度流れ始めれば、一方的に深い方にもっていかれます。流されながら、水深はどんどん深くなっていくのです。最終的には車内が水で満ちて、中に残された人は溺れることになりかねません。

 だからこそ愛車から一刻を争い脱出しなければなりません。

ハンマーで脱出

 クルマ用の緊急脱出ハンマーは、あくまで車外に脱出するための道具です。溺水防止の道具ではありません。脱出後の行動は、水難事故対策の範疇となります。

 具体の状況をイラストを使ってみてみたいと思います。まずは道路冠水の始まり、つまり大人の膝下の水深の様子を図1に示しました。

図1 道路冠水の始まり。大人の膝下の水深(筆者作成)
図1 道路冠水の始まり。大人の膝下の水深(筆者作成)

 このくらいの水深であれば、クルマの自走はできるかもしれません。冠水していない道路を目指して進行方向を変えて移動することも選択肢としてありです。しかしながら、冠水の程度が急速にひどくなっていくようなら、クルマのドアが開くチャンスを逃さずに車外に脱出します。

 脱出後は流れがあったとしても、膝下までの水深であれば、流れに対して横に突っ切るように歩くことができます。より安全な高い所に歩いて避難します。

 さらに水深が深くなってしまった様子が図2のイラストです。

図2 水深が大人の腰を越えてきた。後部座席の子供には注意が必要(筆者作成)
図2 水深が大人の腰を越えてきた。後部座席の子供には注意が必要(筆者作成)

 ここまで深くなってくると、クルマが浮き始めます。そして洪水の流れによって流され始めます。左図のようにクルマが傾くことがありますので、場合によってはかなり怖い思いをします。

 こうなる前にクルマの窓を開ければ、浮かずに済みます。車内の空気が抜けて、代わりに水が隙間から車内に浸入してくるからです。そして右図に示すように車内と車外の水位が同じになれば、ドアを開けて脱出できます。

 窓を開けるチャンスを失った場合、緊急脱出ハンマーが役に立ちます。右図の赤い破裂マークのようにクルマの窓をハンマーで割ります。そうすることによって車内の空気が車外に逃げて、それに伴い車内に水が入り込みます。その結果浮力を失い、クルマは沈みます。こうなれば、ドアを隔てた車内と車外の水位が同じになり、水圧均衡となってドアを開けることができます。

 ただし、車内の水深に注意です。図2の状況では場合によっては車外は大人の腰くらいの水深となっているかもしれません。そうなると、車内の大人は首まで沈むことでしょう。後部座席に幼いお子さんが座っていたら、この水深では水没する恐れが大です。

 そのためハンマーで窓を割る前に、全員がシートベルトを外します。そして、右図のように流れの下流側になるドア付近に全員が集まります。

 車内に水が入ると言うことは、誰かが溺れるかもしれないということを意味しています。だから緊急脱出ハンマーは、あくまでも脱出するための道具に過ぎないのです。

 図3をご覧ください。大人が車外に脱出できたとしても溺水の恐れは続きます。

図3 腰高の水位だとしても流れによっては流される(筆者作成)
図3 腰高の水位だとしても流れによっては流される(筆者作成)

 無事に脱出できても、その後の命の保障はありません。腰高の水位では秒速50 cmの流れくらいでも足元がすくわれて流されます。たとえ流れがないように見えても、わずかな流れによって思うような方向に歩くことができません。溺水トラップの存在に気付かず、沈水する恐れもあります。

さいごは、呼吸の確保に全力を尽くす

 図3のようになることを想定して、車外に脱出する時には、カバンやヘッドレストなどのように浮くものを持って脱出してください。万が一流されたら、そういったものの浮力を使って、背浮きになって流れ、まずは呼吸を確保します。もし、背中が地面に触れるような浅瀬にたどり着いたら、立ち上がって水の中から脱出をはかります。

 子供連れの時には、かなりややこしくなります。全員で「ういてまて」とはいかない場合、お子さんを抱きかかえながら立って、クルマにつかまり流されないようにするか、あるいはクルマの屋根の上に乗ることも選択肢とします。

 救助が来るその時まで、呼吸を確保して、なんとか長らえます。

参考 台風が来る前に

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水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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