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泣いて泣いてまた泣いた 「金正恩の涙」を読み解く!

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
左から党75周年パレード、戦勝70周年パレード、玄哲海元帥死去(朝鮮中央テレビ)

 実に11年ぶりに開かれた全国母親大会で金正恩(キム・ジョンウン)総書記が人目をはばからず泣いたことが日韓のメディアで大きく扱われていた。まさか、あの独裁者が?ということで取り上げたのだろう。

 確かにバイデン大統領から「独裁者」の烙印を押されているプーチン大統領も、また習近平主席も泣き顔を見せたことはこれまで一度もない。「独裁者」でなくても、他の外国の首脳も公の場で泣いたりはしない。

 北朝鮮の場合でも初代の祖父・金日成(キム・イルソン)主席も2代目の父・金正日(キム・ジョンイル)総書記も大衆の面前で涙を流したりはしなかった。

 金正日前総書記の専属料理人だった藤本健二氏(現在北朝鮮に在住)から聞いた話では父親の金正日氏は結構、涙脆かったそうだが、それでも公式の場で涙をこぼしたりはしなかった。

 金正恩総書記が大会の場で涙したのはこれが初めてではない。実は、何度も何度も泣いているのである。

金正日前総書記死去の時(朝鮮中央テレビ)
金正日前総書記死去の時(朝鮮中央テレビ)

 掲載した写真からも明らかなように父親が亡くなった2011年は12月20日の通夜の席でも、また29日の告別式(追慕大会)でも顔をしわくちゃにして泣いていた。身内が、それも最高指導者の父親が亡くなったわけだから泣くのは当然だ。しかし、金総書記はそれ以後も泣くことが多かった。確認しただけでも5~6回はあった。

 例えば、権力の座を継承してから3年目の2015年1月の元旦には前年10月に完成した平壌の育児院(保育園)を訪れた際、園児らの歓迎の歌「この世に羨むようなものはない」を聴いて涙を流していた。そのことは、当時の労働新聞にも「室内は涙の海となり、子供らを見つめる金正恩同志の目頭にも熱いものが溢れていた」と書かれてあった。また、この年は交通事故死した部下の金養建(キム・ヤンゴン)書記(対韓担当)の葬儀でも涙を流していました。直近の数年間だけでも3度は泣いている。

2015年正月に保育園を視察した際(朝鮮中央テレビ)
2015年正月に保育園を視察した際(朝鮮中央テレビ)

 新型コロナウイルス感染危機が迫る最中の2020年10月10日の労働党創建75周年軍事パレードでは演説中に声を震わせ「災害復旧の任務を終えても首都平壌には戻らず、進んで他の被害復旧地域に向かった愛国の国民に感謝の言葉を贈りたい」と述べては、眼鏡を外してハンカチで涙を拭っていた。

 また、2022年5月には軍の指南役の玄哲海(ヒョン・チョエルヘ)元帥が亡くなった時も文化会館に安置された遺体の前で泣いていた。玄元帥が愛しかったのか、病床で書いたとされる手紙を見て大泣きする姿が朝鮮中央テレビで放映された時は正直驚いた。

 今年もロシアのショイグ国防相も出席していた7月27日の「戦勝70周年」軍事パレードでの国歌斉唱の際に目を閉じて涙を流すシーンが朝鮮中央テレビに映し出されていた。

 母親大会で金総書記がハンカチを取り出し、涙を拭っていたのは部下の李日煥(リ・イルファン)書記が大会報告を行っている最中だった。自分の演説に声を詰まらせ、泣いたことはあったが、人の演説を聞いて涙を漏らしたのは後にも先にもこれが初めてだった。

 テレビ中継がなかったので李書記の報告のどの部分を聞いて感極まったのかわからないが、報道された報告をチェックすると、「敵対勢力の極悪な挑戦と予想できなかった災難が折り重なった中でも我が母親たちが変わらない忠誠と愛国のいちずな心で我が党を支持し、支え、共和国政権と社会主義制度を賢実に擁護してくれた~」とか「家事の重い負担を担い、息子と娘を剛直に育て、我が社会の本態と風貌を連綿と繋いでくれた母親たちの純潔な心と限りない献身は~」といった件があった。おそらく、ここらあたりでグッときたのかもしれない。

 金総書記の涙を見て、韓国では「演出ではないか」との冷めた見方が一般的である。「独裁者のイメージを払拭するため」とか「愛民精神を強調したいがために」とか、「愛情溢れる指導者としてアピールするため」とか様々な解説がされていた。

 金総書記には確かに叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏を処刑し、異母兄の金正男(キム・ジョンナム)氏を抹殺し、そして多くの政治犯を収容所送りにするなど冷酷な独裁者としてのイメージが付きまとっている。

 北朝鮮は毎年、人権弾圧・抑圧国として国連人権委員会で非難され、韓国の人権団体をはじめ国際人権団体などは金総書記を国際司法裁判所に提訴する動きを活発化させているのは公然たる事実である。従って、公開の席で涙を見せることでこうした非難を交わし、「愛情溢れる指導者」「情け深い指導者」「心優しい指導者」として印象付ける狙いから意図的にやったとみられても仕方がない。最も効果的な手であるからだ。

 しかし、客観的にみて、「演出」「やらせ」と断じるのは早計である。というのも、金総書記は泣くだけでなく、頻繁に怒るからだ。

 経済視察では眉間にしわを寄せ、現場を怒鳴り散らし、重要な党の大会でも雛壇に座っている年配の幹部らを指さし、時には立たせ、睨みつけ、叱責したのは一度や二度の話ではない。

労働党中央員会総会で怒る金正恩総書記(労働新聞から)
労働党中央員会総会で怒る金正恩総書記(労働新聞から)

 確か、3年前の7月は18日、19日と2日連続して怒りまくっていた。前者は党中央軍事委員会拡大会議の席で、後者は平壌総合病院の建設現場だったが、金総書記は幹部らを「怠慢だ」「無責任だ」と言って激しく叱責していた。こういうことも祖父、父親の時代にはなかったことだ。

 米国に亡命(1998年)している母方の叔母である高容淑(こ・ヨンスク)氏は甥の性格について「気性が激しく、我慢強くない」と米国のメディアに語っていた。

 金総書記は怒って、泣くだけでなく、絶えず笑い、笑顔もよく見せる。喜怒哀楽が豊かで、また感情の起伏も激しい。換言すれば、我慢強くないため感情をセルフコントロールができないのかもしれない。

 生前父親は日本の映画は渥美清の「男はつらいよ」が、歌は島倉千代子の「東京だよおっかさん」と小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が大好きだったと、前出の藤本健二氏は語っていたが、元NBAのデニス・ロッドマン氏に「酒豪だった」と言わしめた金正恩総書記が好きな歌手はもしかしたら河島英五かもしれない。

 代表作の「酒と泪と男と女」の1番に「飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで」が、2番に「泣いて 泣いて 一人泣いて」という歌詞があるからだ。
(参考資料:2日連続で怒りまくった金正恩委員長 一体、何に怒っているのか?)

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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