ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇の訪朝説がくすぶっている。先月、ベルリンで教皇の訪朝を働きかけている韓国の関係者を挟んで駐独北朝鮮大使館とバチカン(ローマ法王庁)との接触があったとの伝聞もまことしやかに流れている。

 フランシスコ教皇の訪朝話は英国のグラスターで開催された「COP26(国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議)」首脳会議出席のため訪欧した文在寅(ムン・ジェイン)大統領がバチカンでフランシスコ教皇と会談した際「教皇が訪朝して下されば朝鮮半島平和のモメンタム(勢い)となる」と訪朝を打診し、これに対して教皇が「公式の招待状が来れば、平和実現のため必ず行く」と答えたことから浮上していた。

 文大統領は2018年に金正恩(キム・ジョンウン)総書記と3度会っているが、文大統領によると、金総書記は文大統領に「フランシスコ教皇が平壌を訪問するならば熱烈に歓迎する」と言っていたとのことであるが、肝心の北朝鮮はこの件については沈黙を守ったままである。

 宗教には無縁どころか、オーストラリアの宣教師が2014年に朝鮮語で書かれた宗教本を所持していた「罪」で拘束されるなど国際社会では「宗教弾圧国」の烙印が押されている北朝鮮がローマ教皇を呼ぶことは常識ではあり得ない。招請すれば、礼拝、洗礼、説教、布教を容認しなければならない。共産主義思想とは相反する宗教を容認するほど北朝鮮は成熟していなければ寛大でもない。まして、北朝鮮は依然として新型コロナウイルスの流入を警戒し、国境を封鎖したままである。どのような角度からみても北朝鮮にとってはリスクが多すぎる。

 しかし、何があるか、何が起きるかわからないのが北朝鮮と言う国である。

 今から30年前、朝鮮半島でアッと驚く出来事があった。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の創始者・文鮮明(ムン・ソンミョン)教祖(2012年9月死去)が北朝鮮を電撃訪問(11月30日)し、金日成(キム・イルソン)主席(12月6日)と会談したのである。

 「統一教会」は北朝鮮が宗教の自由を認めず、弾圧しているとして北朝鮮とは長年敵対関係にあった。政治団体「国際勝共連合」という「反共組織」を通じて先頭に立って「共産主義撲滅」「打倒金日成政権」の運動、活動を展開していた。

 「統一教会」は金主席を「共産主義の悪魔」と攻撃し、北朝鮮もまた文氏を「反共の頭目」と痛烈に批判していた。「統一教会」と「北朝鮮」はまさに不俱戴天の間柄だった。

 「反共の権化」である文氏が「サタンの国」と呼んでいた北朝鮮を訪問することも驚きだが、ベルリンの壁の崩壊と東欧社会主義諸国の瓦解を目の当たりにしても「共産主義の砦」を標榜していた北朝鮮が「反共の頭目」のレッテルを貼っていた文氏を招き入れたとは信じ難く、それだけに衝撃的な出来事であった。

 北朝鮮では文氏の招請には党国際局、対韓担当の祖国平和統一委員会などがこぞって反対していた。それでも受け入れたのはひとえに金主席の決断であった。

 金主席は関係者らに「祖国解放以来民族大団結を強調してきたが、これは単なるスローガンではない。一体今まで何をやっていたのだ」と叱責し、「連邦制による祖国統一実現のためには反共主義者とも手を握る必要がある」として、文氏をVIPとして受け入れるよう指示していた。

 金主席は「統一は共産主義者と反共主義者が握手しなければ実現できない」との持論を持っていた。実際に金主席は翌年の4月に訪朝した在米韓国人ジャーナリスト・文明子(ムン・ミョンジャ)氏との会見で文鮮明氏を招いたことについて「我が民族が分断していることも悲劇なのに、統一を実現すべき場に過去の間違いを問題にしても何の意味もない。過去に過ちを犯した人も含めて皆が大同団結しなくてはならない」とその理由を明かしていた。

 当時、文鮮明氏は北朝鮮では「統一教会」の教主としてではなく関連団体の「世界平和連合」の総裁として、また北朝鮮出身であることから祖国訪問の名目で訪朝したが、北朝鮮の報道機関は到着から帰国するまでの間、連日文氏の動きを伝えていた。その結果、41年ぶりに故郷の地を踏んだ文氏の北朝鮮でのイメージは「統一の使者」に一変していた。

 文氏は帰国前日の6日に昼食を挟んで約3時間にわたって金主席と会見したが、気さくに話す金主席を最後は「ヒョンニム(兄さん)」と呼び、両者は抱き合うほど意気投合した。

 金主席は文氏に▲南北離散家族の再会と芸術団の相互訪問▲北朝鮮核査察の受け入れを約束し、文氏は海外在住の韓国人の北朝鮮への投資支援のほか、米朝仲介を約束した。この合意が1992年1月の北朝鮮と国際原子力機関(IAEA)との間での保障措置(核査察)協定に繋がった。また秋には南北離散家族の再会や芸術団の相互訪問も実現した。

カーター元大統領(左)と金日成主席(朝鮮中央テレビから)
カーター元大統領(左)と金日成主席(朝鮮中央テレビから)

 文鮮明氏の訪朝が引き金となったのか、1992年4月には最も著名な米国のキリスト教(南部バプテスト教会)福音伝道師として知られていたビリー・グラハム牧師が訪朝し、2度目の訪朝(94年1月)では金主席からクリントン大統領宛の返書を託されていた。米朝一触即発の状況を回避するためクリントン大統領の特使としてカーター元大統領が訪朝したのはそれから約5か月後(6月15日)のことであった。

 ちなみにバイデン大統領はジョン・F・ケネディに次ぐ米史上2人目のカトリック系大統領である。

 果たして、戦争終結宣言に向けた「平和の使者」としてのフランシスコ教皇の訪朝はあり得るのだろうか?

(参考資料:金正恩総書記がローマ法王の訪朝を熱烈歓迎!? 信じ難いが、あり得るかも!)