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「理想の学校」という幻想を捨て、駄菓子屋さんになろうと思ったワケ。学校の諸問題を解決する発想の転換

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
駄菓子屋イメージ(写真:イメージマート)

昔は、理想の学校をつくりたいなんて妄想をしたこともあったけどいまはやめました。ひと言でいえば、この仕事をしていて、いろいろな現場を見て、いろいろなひとの話を聞くにつれ、学校に理想や完璧を求めること自体が間違っているのではないかと気づいたんです。

不登校について取材をしたときに、そもそも子どもにとって大切なことをぜんぶ学校で教えようとする発想自体が危険なのだと気づきました。学校が子どもの学びを丸抱えする社会だから、学校に行けなくなった途端にあらゆる学びから遮断されて、困ってしまうのです。

学校ができる以前は、子どもたちは日常生活の中で、地域社会の中で、大人たちの仕事場で、はたまた裏山の秘密基地で、多くを学んで大人になっていきました。近代になってできたばかりの学校は、日常生活や地域社会の中では教えられないことを学ぶだけのところでした。しかし学校での教育が非常に効率的だったため、子どもにとって大切なことはなんでも学校で教えるようになり、学校の機能がどんどん肥大化していきました。逆に日常生活や地域社会の教育力が落ちました。

学校依存社会です。

マナーや道徳やコミュニケーションのとり方から、キャリア教育、金融教育、環境教育、主権者教育、性教育など、あらゆることを学校に押しつける社会です。その末路が、教員の長時間労働であり、その結果としての教員不足であり、子どもにとっては学校での長すぎる拘束時間と、その結果としての放課後の消滅であり、ぼーっとする時間の消滅です。

この状況を変えるには、学校から機能を「引き算」しなければいけないのではないかと思うようになりました。学校が抱え込んだ機能を、日常生活や地域社会の中にもういちど戻すのです。そうしたら、学校の中が減圧するだけでなく、むしろ日常生活や地域社会が活気づくという効果まで得られるかもしれません。

そのためには、学校が担っている機能を社会全体で少しずつ手分けして引き受けなければいけません。社会の中に、子どもの居場所をたくさん用意するということです。

さて、自分には何ができるだろうか?

ぼーっと歩いているときにひらめきました。そうだ、駄菓子屋さんをやろう! いつかは学校の先生になりたいと思っていましたが、自分には駄菓子屋のおじさんのほうが向いていそうだ!

駄菓子屋さんのお店の中で、字を読む練習もできますし、計算の練習もできます。私のようなおじさんと対等に会話する機会にもなりますし、別の学校の友達との出会いの場にもなるかもしれません。本でも漫画でも雑誌でも新聞でもいろいろ置いておいて、自由に読んでもらえるようにしようと思います。段ボールだの空き缶だのの廃材もいろいろ置いておいて、工作もできるようにしておこうと思います。

お店の中にもんじゃ焼きができる鉄板みたいなものも用意してあって、子どものおこづかいでも食べられるようにしておきます。お金がなければ、お店の前の掃除のお駄賃として、食べていいことにしちゃいましょう。犬でも飼って、お散歩してくれたらスペシャルもんじゃ焼きサービスというのもいいですね。

なんなら、午前中から店を開けようかなと思っています。学校に行きたくない子どもが来られるように。「学校には行ってないようだけど、おおたさんのところにいるなら、まあ、大丈夫か」と思ってもらえるような駄菓子屋さんになるのが私の目標です。

こんなふうに、教育にちょっと熱心な大人たちが町中のいろんなところにいる社会って、“理想の学校”がでーんとある社会よりも豊かだと思うんです。

教員など学校関係者が理想の教育を追い求めるのは当然です。一方で、ただでさえ学校の負担が大きくなっている社会において、理想とか完璧を求められたらますます学校が衰弱しちゃいます。

いまの学校にはダメなところもいろいろありますけど、それはそれでいいじゃないですか。だってどうせ、人間はみんなダメダメだし、だからこそ愛おしいんだから。

仮に“理想の学校”なんてものができちゃったら、そこに入った子どもたちはみんな“理想の人間”に育たなくちゃいけなくなっちゃって、なんか居心地悪いじゃないですか。「理想の学校のパラドクス」です。

僕らはみんな、ダメでいい、ダメがいい。

学校だって、ダメでいい、ダメがいい。

現状の学校に対して、理不尽に思ったり、ままならなさを感じたり、イヤなところがあったら、生徒の立場からもそれを変えるように働きかけられれば素晴らしいことですが、みんながみんなそういうことができるわけではありません。

学校のネガティブな部分に自分自身が染まらなければいいのであって、あくまでも一時的に表面的に“いい子”になりすまして、ある意味でやりすごす技術もある程度もっていたほうが、人生は楽になるかもしれません。世の中の理不尽にいちいち立ち向かえるほど、私も含めて、多くの人間は強くはありませんから。

それでもどうしてもイヤだったら、学校なんていかなくてもいい……。

誰もがそう思える社会をつくることが私たち大人の責任だと、いま私は思っています。

※拙著『学校に染まるな! バカとルールの無限増殖』から抜粋・再構成しました。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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