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リストバンドで生徒の心理状態を把握する公立中学での試みは、目的が良ければいいという話ではない

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
(写真:イメージマート)

生徒にリストバンド型のウェアラブル端末をつけさせ、脈拍データから集中度を把握する試みをしている、ある公立中学校が話題になっています。もともとは6月21日に共同通信が報じました。

「聞いてるふり」は通じない? 集中しない生徒をリアルタイムで把握 教員からは期待、「管理強化」に懸念も

それを受けて、7月13日にアエラドットが続報を打っています。アエラドットの記事はこの試みをかなり好意的に解釈しています。

「管理教育はやめろ」と批判殺到の公立中学の授業を取材、生徒の声は? 脈拍データ把握の真意

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https://news.yahoo.co.jp/articles/535a66c189e28ceecb05c67f7d50044cc5d0d748

この記事に対して、私は、Yahoo!ニュースで次のようにコメントしました。

最初にこのニュースを知ったとき、実験的にデータを取ってみるという程度の話だろうと思い、私はまったく触れなかった。しかし、この記事が明らかにしたことがあまりに衝撃的なので、コメントせざるをえなくなった。

教員が子どもたちの目や顔つきを見て感じとることを自己満足な「経験と勘」であると見下し、小型の機械で簡易的に計測できる「データ」を絶対視できる思い込みは、どこから来るのか? ナイーブすぎる。

自分がどんな気分でいるのかを機械に代弁され、決め付けられることに慣れてしまった子どもたちがどうなるのか? 企業で社員の勤務状況を「客観的」に把握するために同じツールを使用するとしたら、やりすぎだと思わないか?

無自覚な構造の問題を指摘しているのに、「本校の取り組みを見たこともなければ、こちらが直接説明したこともありません」はナンセンスな反論。この反論自体が、論点を理解していない証拠であり、恐ろしくなる。

Yahoo!ニュースのコメント欄は400字までしか書けないので、以下で補足します。

技術によって、何を得て、何を失うのか?

教員が「経験と勘」でクラス全員の状態を十分に把握できるなんてことはあり得ない。完全にわかることなんてあり得ない前提で、でも必死にわかろうとして生徒と向き合っています。その意味で教員たちは、ある種の不安を常に抱えながら教壇に立っています。

だからこの手のツールに飛びつきたくなる気持ちはわかります。かと言って、脈拍からわかるのはごく限られた情報にすぎません。

もちろんこの数値だけに頼るわけではないと言うでしょう。でも、このようなテクノロジーがオーソライズされれば、教員は自分の生の感覚よりも数値を頼りにするようになります。生徒よりも数値を見るようになります。すると何年キャリアを重ねても生身の教師としての「経験と勘」が磨かれません。生徒たちも、教師のまなざしよりも自分の脈拍を気にするようになります。生身の人間同士の根拠なき信頼が、どんどん漂白されていきます。あるいは自分で自分の状態を感じる自己認識への信頼も揺らぎかねません。

もちろんこの技術によって得られるデータを有効に利用するベストシナリオも思考実験的にはあり得るとは思います。管理の目的ではない、教員の査定にも使わない……いくらでも言えます。でもそれを鵜呑みにするのが楽観的に過ぎることは、個別に比較したり、評価の材料にしたりしないと言って始められた悉皆の全国学力テストの状況を見れば明らかでしょう。

しかも今回のこの技術については、そこで得られる数値を細かく分析したとしても、結局のところ、授業改善に役立つ何かが導き出せるようには思えません。せいぜい元の共同通信の記事にあるように、ポケモンの話をすると集中力が高まるよね、くらいのことだと思います。集中力が高まっていることが即ちいい授業が行われていることにはならないし、そもそもこの簡易なセンサーから読み取れるリラックスと緊張のバランスが程良いことが集中力が高まっている状態だとするのは、この技術を開発したひとたちが決めた設定でしかないからです。

その設定がどれだけ正しそうかを調べるためにちょっと学校が協力したという程度の話かと、当初は私は思ったんです。でも今回のアエラドットの新たな記事を読んで、学校(校長)がこの技術に過度な期待と信頼を抱いていることを知り、恐ろしくなりました。

その設定を既定事実として「データは嘘をつかない」と言うのは論理の飛躍でしょう。生徒本人が自分の脈拍の変化を知らされて、「もっと集中しなきゃ」と自分でふり返れって指導するんですかね。「キミ、さっきの授業、集中してなかったね。もっと気を引き締めなさい」「いや、一生懸命考えてました」「嘘をつけ!脈拍の変化が証拠だ。キミは集中していなかった。データは嘘をつかない!」などというやりとりがされたらたまったものではありません。そんなことはあり得ないと学校は言うでしょうけれど、生徒が受け取る含意はこうなってしまう可能性があります。

この技術によって、何が得られて、何を失う可能性があるのか。想像力を働かせなければなりません。このような技術の研究はあっていいと思います。でも、生徒の振り返りを目的にするにしても、授業改善を目的にするにしても、公教育で導入に際しては、十分な議論が必要です。「得られるメリットがある。悪用はしない」では不十分です。

欧州議会では禁止事項案に含まれる

得られるメリットがなんであれ、自分の生理現象を常時モニターされ、解析されるなんてこと、集中治療室などの特別な状況でない限り、自分がやられたいと思いますか? 私が論じたいのはこの点に尽きます。

たとえばアップルウォッチを付けていれば脈拍のデータだって得られると思いますが、そのデータを利用できるのは自分だけであることが大前提でしょう。それが個人が特定されたうえで他人に知られるなんて、気色悪いと私は感じます。そんなことが当然のように行われる社会は、「管理社会」どころか「監視社会」に、いつだってなり得ます。

これを生徒につけさせるなら、教員もつけるべきだと思います。集中して授業ができているかどうかわかるし、データの解析の仕方によっては、長時間労働やストレスの防止に役立つかもしれませんよ。校長も勤務時間中は常に装着して、その数値を全校生徒や保護者が見られるようにすべきでしょう。教育委員会にリアルタイムでデータが送信されるようにしておくとなおいいですね。管轄下の全教員の状況を把握して、教育行政の改善に役立てられるかもしれません。・・・もちろん皮肉です。

ミシェル・フーコーの「パノプティコン効果」を思い出させます。常に監視されている状態に置かれることによって、直接的に叱られたりしなくても無意識のうちに社会規範に従順に育てられてしまったひとたちは、社会の矛盾にも気づけなくなってしまうと、フーコーは警告しました。制度を導入する側がそれを意図していなくても、そういう効果があるということです。そういう社会を望みますか?という価値観の問題です。この件に関して、「管理教育」が懸念されるのは、そういう構造的な問題を踏まえてのことです。

技術が進歩すれば必ず倫理観との葛藤が生じます。目の前のひとの「能力」「心の状態」「健康状態」などが透けて見えるゴーグルのようなものが今後本当に開発されるかもしれません。そういうものが普及した社会を望みますか?という問題とも、今回の問題は地続きです。

ちなみに欧州議会でのAIに関する禁止事項ルール案では、「教育機関における感情認識システム」も禁止事項に含まれているはずです(*)。今回のこれはAIではありませんが、倫理的には同じ理由で制限されるべきと言うことは可能であると私は思います。

目的や意図がなんであれ、です。そういう意味での懸念に対して、「本校の取り組みを見たこともなければ、こちらが直接説明したこともありません」という反論はナンセンスです。

ちなみに、前回の共同通信の記事や今回のアエラドットの記事を読んで、「これ欲しい!」と思った受験生の親御さんがいるかもしれませんね。ちゃんと集中して勉強しているかどうか常に把握できますからね。「公教育で実証済み!」みたいな宣伝文句で中学受験業界で商品化したら売れるかもしれません。もちろん皮肉ですけれど、本当に売れちゃいそうで、怖いです。

*・・・https://www.eeas.europa.eu/delegations/japan/欧州議会、安全かつ透明性のあるaiに向け、初のルール策定に向けた交渉への準備を完了_ja?s=169

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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