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学校は、ちゃんとしすぎちゃいけない。「足し算」よりも「引き算」の発想で教育を変えていく

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
学校だけが学びの場じゃない。イメージ(写真:アフロ)

モザイク模様の学び環境へ

 8月17日に発売になった新刊拙著『不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき』(集英社新書)のために、フリースクールや不登校特例校、教育支援センター、不登校専門塾、ホームスクール、通信制高校などを徹底取材しました。おかげで総ページ数は432ページにもなってしまいました。

 これだけ学びの場が多様なら、状況によってはときどき、フリースクールを利用したり、不登校専門塾を利用したり、教育支援センターを利用したりすればいい。学校の中で学びを完結しようとするのではなくて、学びの場の一つとして学校もあるという、モザイク模様の学び環境が見えてきます。

 そして、一般的な学校に通えなくなってしまった子どもたちが自分を取り戻すプロセスで大切なのは、その子たちにあれこれしてあげることではなく、むしろやらなくていいことを間引いて上げることだということが、取材からわかってきました。必要なのは、足し算よりも引き算の支援なのです。

教育現場への過干渉をやめる

 世間では親の過干渉がよく話題になりますが、文部科学省も過干渉気味に私には見えます。良かれと思ってやっていることはもちろんわかりますが、それではますます現場の教員は自分の頭で考えなくなります。自分の頭で考えない教員が、自分の頭で考える子どもを育てられるわけがありません。

 不登校特例校や通信制高校やフリースクールの事例からわかることは、より多くの子どもたちにとって居心地の良い学校を目指すなら、必要なのは、足し算ではなく引き算の発想だということです。

 たとえば義務教育の標準授業時数を思いっきり削ってしまう。授業は午前中のみ。給食を食べて掃除をしたら下校。そうすれば現在の教師の過重労働問題もすみやかに解決に向かいます。

 コロンブスの卵のような話であり、あくまで思考実験であり、学童問題や部活問題など別の課題も生じることは予測できますが、ファンタジーともいいきれません。1990年代後半には実際に「学校のスリム化」が議論されたこともありました。小渕内閣の「21世紀日本の構想」懇談会報告書にはまさにこのような提言が盛り込まれていたのです。

先生によって授業内容は違っていい

 限られた授業時数のなかで、教員たちは自分のキャラと得意分野を活かして、自分にしかできない授業をすればいい。授業のなかで、子どもたちにどれだけの知識や技能を詰め込んだかではなくて、どれだけ子どもたちの心が動いたかを追求すればいい。

 大人になってから新しいことを学ぶのが面白く感じられるのは、テストのためという呪縛がないからです。もし日本中の教員が、テストで点をとらせることなど忘れて、純粋に自分が専門とする教科の魅力を好き放題に語ってよいことにすれば、中高のあいだ、毎日学校に通って一日数時間の授業を聞いているだけで、生徒には相当な教養が身につくはずです。そうすれば日本人の教養レベルは飛躍的に向上するはずです。

 半面、学びの自由度を高めれば高めるほど学力差がつくことが予測されます。そこで、家で勉強を見てもらうこともできず学校の勉強すらままならないような子のために、放課後にしっかり個別補習を受けられるしくみを整えます。そこにこそ公的な教育資金を投じ、彼らの学びの底板が外れないようにします。地域のボランティアの力を借りることもできるでしょう。そうすれば、理屈のうえでは、勉強がわからなくて不登校になるケースは減らせるはずです。

学校をちゃんとしすぎない

 モザイク模様の学び環境だとか、義務教育を午前中だけにするとか、拙著では壮大な思考実験を展開しました。

 あながちできないことではないと思っていますし、そのうちそういう社会になるだろうという気は本気でしていますが、すぐに実現できる話でもないことはたしかです。そしてそうこうしているあいだに子どもはどんどん大きくなってしまいます。

 では、不登校の問題に限らず、できるだけ多くの子どもたちにとって学校を心地よい学びの場にするために、社会としていますぐできることは何か。

 最後に私からみなさんに、一つだけ提案したいと思います。

〈学校を、間違ったことを言ってもやってもいいところにする〉

 子どもにとっても、教員にとっても、です。

「細かいことは、まあいいじゃん」の心意気です。

 取材でいろいろなひとの意見を聞くなかで、「まじめって犯罪だよな」や「ふざけ・いたずら・ずる・脱線を止めない」や「『学校』をやるな」という言葉が出てきます。要するに、「学校をちゃんとしすぎないようにしよう」ということです。

 少し難しい言い方をすれば、私たち大人が長年の学校教育のなかで受けた過度な社会化から、まず私たち自身がいまいちど解き放たれて、もうちょっと「しぜん」に戻ろうということです。

 これだけでもできれば、大きな制度変更をしなくても、大きな予算をつけなくても、全国の学校の雰囲気が大きく変わると思います。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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