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「先生は子どもいないからねぇ」 保育士が言われた時に返すべき<レジリエントな>言葉

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
(写真:アフロ)

ちょっと前の朝日新聞デジタルの記事で、「『先生は子どもいないからねぇ』 保育士が言われた時に返すべき言葉」というタイトルの記事がありました。

もともとは「本日!クレーマーママから 『やっぱり保育士さんはお子さんがいないとね~』と新人の担任が言われたとの事! この為に取っておいた『じゃあ消防士さんも自分の家が火事にならないと駄目ですかね~!』を発動するチャンス到来! 次の面談で炸裂させます!」という保育園の主任さんのツイートが2万回以上リツイートされたことで、その詳細を記者が聞きにいった形です。

なので、記事のタイトルが示す「返すべき言葉」っていうのは「じゃあ消防士さんも自分の家が火事にならないと駄目ですかね~!」ってことです。

記事がそのときの状況を描写しています。

夕方、母親が迎えに来たのに帰りたがらない園児がいたそうだ。何度か声をかけたが、塗り絵に熱中して「まだ遊びたい!」と言う。母親は早く帰りたかったのか、イライラしているようだった。新人保育士が「どうしましょうかね?」と母親に声をかけると、こんな言葉が返ってきた。「ベテランの○○先生だったらすぐに帰ってくれるんですけどね。やっぱり先生は若くて、お子さんもいらっしゃらないから~」。

保護者は、親として焦ってイライラしている気持ちに寄り添ってほしかったのでしょう。「先生、このあとの予定が詰まっていて、このままだと私、本当に困ってしまうんですけど……」などと素直な気持ちを伝えられれば理想ですが、感情的になっていて、うまく伝えられなかったのでしょう。

でも一方、「じゃあ消防士さんも自分の家が火事にならないと駄目ですかね~!」というセリフも、そういう状況で返すべきではない言葉ですよね。

スーパーや何かで二度とで会わないであろう見ず知らずのひとに心ないことを言われたのであれば、鋭い反撃のひと言でぎゃふんと言わせてスカッとするのもありなのかもしれませんけれど、それとはまた状況が違いますからね。

スカッとするのは一瞬だけで、そのあとずーっとこの保護者と顔を合わせるたびに険悪な空気が流れるようになることは火を見るより明らかです。そうしたらかわいそうなのは子どもです。

実際、この主任さんはこのセリフを保護者の前では言っていません。このセリフは実際には言うべきではないとわかっているのです。ですから「返すべき言葉」というタイトルはミスリードです。インタビューを受けた主任さんも、記事のタイトルを見て戸惑ったのではないでしょうか。

でもこの記事はものすごく読まれていました。有料記事なのに、ツイッターのトレンドに上がるくらいに。論破系の話って、みんな好きなんですね。さらにネット上では、この保護者を非難する声も膨大に書き込まれていました。個人は特定されてはいませんが、まるで袋だたきです。これは怖いなと思いました。

この保護者の発言を「差別」として非難する声もあります。差別であるとするならば、なおさら「じゃあ消防士さんは・・・」のような嫌みで論破するのではなく、明確に差別であることを伝えるべきだと私は思います。

でもちょっと待ってください。

その保護者が実際に何と言ったのかという、重要なポイントで、元ツイートと記事に大きな差異があります。もう一度比較してみましょう。

●元ツイート

本日!クレーマーママから 「やっぱり保育士さんはお子さんがいないとね~」と新人の担任が言われたとの事! この為に取っておいた「じゃあ消防士さんも自分の家が火事にならないと駄目ですかね~!」を発動するチャンス到来! 次の面談で炸裂させます!

●朝日新聞デジタル記事

夕方、母親が迎えに来たのに帰りたがらない園児がいたそうだ。何度か声をかけたが、塗り絵に熱中して「まだ遊びたい!」と言う。母親は早く帰りたかったのか、イライラしているようだった。新人保育士が「どうしましょうかね?」と母親に声をかけると、こんな言葉が返ってきた。「ベテランの○○先生だったらすぐに帰ってくれるんですけどね。やっぱり先生は若くて、お子さんもいらっしゃらないから~」。

だいぶニュアンスが違います。

元ツイートでは、母親の発言が「やっぱり保育士さんはお子さんがいないとね~」と書かれています。これだとまさに「火事を経験していないひとには消防士はできない」と言っているのと同じですね。

でも記事の描写が事実なら、その母親は、「火事を経験していないひとには消防士はできない」と言っているのではなくて、自分の家が火事で燃えているときに「どうしましょうかね?」と言って消火活動をお手上げしている消防士に対して「自分の家が目の前で燃えているひとに対してなんでそんなことが言えるの?自分の家が火事になったことがないから私の気持ちがわからないのね!」と言っているようなものです。

元ツイートの保護者の発言は差別だと思いますが、事実が記事の通りなら、差別とは言い切れないと思います。いや、たしかに差別的なニュアンスはあります。しかしこのときの母親の置かれた状況を想像した場合、これを差別と断定してそれによって断罪するような社会は、それはそれであまりにも不寛容な気がします。事実関係がちょっとわかりませんけれど、何が違うのか、私なりの解釈を説明します。

「子どもがいない保育士さんはどうせ親の気持ちにより添えない」と未然に言ったらそれは偏見です。たとえば園が、子どもがいない保育士さんは採用しないというのは差別です。能力があることを証明する資格をもっているんだから。「子どもがいないひとに保育士やる資格ないわよね」と言ったらこれも偏見であり差別です。子どもがいないことと保育士としての能力があることは別だから。

でも親が自分の「困り感」に寄り添ってもらえていないと感じる<事実>があって、その感じ方の違いの原因を、保育士としての技量に関係なく、子どもがいないという立場の違い(良し悪しではない)に求めているのであれば、これは差別とは言い切れないとも考えられるわけです。「ああ、そういう立場の違いがあったから感じ方も違っていたのですね。今後はそのギャップに気をつけましょう」とお互いに思えるなら、建設的なコミュニケーションだったことになります。

たしかに「ベテランの○○先生だったらすぐに帰ってくれるんですけどね」という部分は保育士としての技量の差に言及しているととらえられる発言ですが、保育園のお迎えのシーンで予定が狂って焦っている母親の心情を思いやれば、これを額面どおりに受け止めるのもデリカシーに欠けるのではないでしょうか。本当は「ベテランの○○先生だったらもうちょっと私の気持ちに寄り添ってくれるのに」という気持ちだったかもしれません。

保育園というのは、決してAI(人工知能)にはできない、生身のひととひととのぬくもりが触れ合う場所です。しかも人間関係が継続し、お互いに成長する場です。そこで肝要なのは、お互いの間違いを許さない緊張関係ではなく、お互いの間違いや未熟さを許し合うおおらかさではないかと私は思います。

今回の状況では母親は新人保育士の未熟さを指摘したかったのかもしれませんが、またその母親も未熟であったわけです。だからこそ、経験豊富な主任さんの出番とあいなるわけです。

今回のこの保育園の状況で、正論と感情を両立させながら、この保育士と保護者の人間関係を良好に保つように主任として介入するなら、たとえば次のように、保護者の気持ちに共感を示しつつも、差別的要素については毅然とした態度で伝えてみてはどうかと思います。

「うまく対応できていないところがあれば申し訳ない。ああいう場合にどうすればいいかチームとして話し合って改善していきます。いいアイデアがあったら教えてください」と相手の立場を慮ったうえで、「一方、子どもがいないことを理由にされると、保育士もどうしようもなくなってしまいますし、傷付いてしまう場合もあります。そういう言い方はご遠慮いただけますか」と。

こういうもつれは、保育者と保護者の間だけではなくて、夫婦関係でもあるでしょうし、親子関係でもあるはずです。どちらかが間違った発言をしたからといって、同じ土俵に乗っかってますます関係性を悪くしてしまうのではなく、流れを変える方法を考えるといいと思います。人間関係におけるレジリエンス(復元力)といってもいいかもしれません。

【補足】

子どもがいないという指摘自体に保育士さんが深く傷ついたというよりは、子どもがいないことと保育士としての資質を結びつけられることへの不服が当該記事のメインテーマになっていましたので、それに沿って論じました。

子どもがいないという指摘自体がその保育士さんを傷つけたということなら、話は別です。何気なく言われた「子どもがいないからね」という一言に深く傷つくひとがいることも事実です。安易に他人に向けていい言葉ではないことは大前提です。

それをふまえたうえで、このようなことが起こってしまったときに、わざわざ主任として当事者の間に割って入って仲裁するなら……、そしてそれをわざわざ記事にするなら……という話です。

保護者を論破する保育士の妄想を公に伝えてどうするんだろう?というのが、この記事に対する私の率直な感想です。誰かが誰かを論破するのを見るのって、そんなに気持ちいいことなんですかね?

自分が当事者でその場で文句を言われてついカッとなるというのならわかるんです。私もそうだから。でも第三者として、しかも上司として割って入るなら、このような介入の仕方は現実的ではありません。でもそれがSNSでは賞賛される……。これは怖いことです。

しかもこの母親は自分がSNSで叩かれているって気づいているかもしれませんよね。この保育士さんはかなり詳細に自分の情報をツイッターで書いていますから。母親の心情が心配です。

私が運営するオンラインサロンでこの記事をシェアしたら、子育て真っ最中の母親からはこんな意見が寄せられました。

「母親だってわからなかったんです、若くて子どもがいない時は。仕事終わりにもう一仕事待ってるあの切迫感が。しかも休めない、この先ずっと。そういう意味なのは明らかなのに……社会の中で生み出されている構造的差別のなかからついこぼれてしまった不適切な言葉を取り締まってよってたかって社会的制裁を加えていたら、やっていけないのでは。記事にするならせめて炎上するほどのことじゃないと道筋を付けるべき。今のままじゃ構造的差別の指摘にもならず、当事者(言った人、言われた人)に取材も出来ておらず、全く公共的価値が無いものになっています。新人には帰り際の母親の置かれた状況を説明しつつ、傷ついたという気持ちをうまく伝えるスキルを教え、母親には謝るチャンスをあげて欲しいと私は思います。モヤモヤする……」

同じく現役の保育者からはこんな意見がありました(一部抜粋)。

「結局信頼関係ありきの仕事なので、この一場面では何も言えませんよね……。若いっていうだけで、信頼を得られないことも沢山あるし、そんな経験は自身も沢山ありますが、そんな事も経て、保育者として成長するんですよね……親になるのと同じで。お母さんサイドは、先生ならそんな事私に聞かずに子どもに言うこと聞かせてよ!って思うかもしれないけど。お互いがお互いの環境の事しか考えていないからこうなるのでしょう。少しでもいいから相手の立場に立って考えられればいいのに……って世界の問題は全てこんなのが原因だったりしますね……差別か差別ではないか、その前後がわからないと何も言えません。どちらの意見も同調化する風潮がこわいです」

現代社会のいろんなものが凝縮された保育園を舞台にして、構造的に子育てを押しつけられる母親とエッセンシャルワーカーでありながら十分な社会的処遇を保障されていない保育士の対立構造を結果的に深めるだけの結果に終わるのだとしたら、たいへん残念なことです。

保育園は社会全体で守るべき「ゆりかご」であって、大人同士がどちらが正しいかを競う「リング」ではありませんからね。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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