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ホームグラウンドは大海原!? 自作ヨットで航海に出る進学校 逗子開成中学校・高等学校(2)

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
学校の目の前に広がる逗子湾(筆者撮影)

学校から直接浜辺に出られる

学校からトンネルを通って直接逗子湾の砂浜に出られる。昼休みには砂浜で弁当を食べる生徒もたまにいる。過去には制服のまま真夏の砂浜に繰り出し、水着姿の海水浴客たちとお友達になろうとする強者もいたそうだ。海に面する校舎「海洋教育センター」の窓から見る夕焼けは、サザンオールスターズの曲が聞こえてきそうな情緒がある。

その立地を活かし、1986年から「海洋教育」に取り組んでいる。具体的には、生徒たちによる自作のヨットで航海したり、約1.5kmの遠泳に挑戦したりする。さらに2014年からは東京大学大学院教育学研究科附属海洋センターと連携して「海洋人間学」を開始し、2015年には文部科学省から教育課程特例校にも認められている。

「海は世界とつながっているまさにグローバルな領域です。しかも海の中はまだまだ未知の部分が多い。世界を前にして臆せず、未知なるものに挑戦する気概を育てるという意味で、海洋教育は、開成の名の由来である開物成務の精神ともつながると思います」とは高橋純校長。高橋さんは1985年に逗子開成にやって来た。まさに逗子開成の学校改革が始まろうとするタイミングだった。

生徒たちが手作りしたヨット(筆者撮影)
生徒たちが手作りしたヨット(筆者撮影)

開成の分校として開校し、徳間書店の徳間氏が改革

1903年に、東京の開成中学校の分校としてつくられた。当時の東京の開成の校長・田邊新之助が校長を兼務した。東京の下町にある開成にはない自然に囲まれた環境を求めてのことだったであろうか。当時横須賀に海軍があったので、その軍人子弟の教育をしてほしいと要請を受けたという説もある。

ちなみに1904年にはお隣・由比ヶ浜に鎌倉女学校がつくられている。現在の鎌倉女学院である。初代校長は田邊新之助。つまり田邊は当時、東京の開成、逗子の開成、そして鎌倉女学校の3校の校長を兼務しており、3校はもともときょうだいのような学校だったのだ。

1909年には東京の開成が財政的に行き詰まったため第二開成の分離独立が決まる。このとき「逗子開成中学校」に改名した。戦後、中高一貫校に改組したが、1973年に中学校の募集を停止。「クラブと喧嘩は強いけど……」という評判の学校だった。1980年、山岳部の遭難死亡事故が発生し、責任問題をめぐり学校は大混乱に陥った。それを収拾したのが徳間書店創立者で同校卒業生でもある徳間康快さんだった。

1984年、理事長に就任すると、徳間さんは「ちゃんと学問しよう」と言って学校改革に乗りだした。要するに、部活を頑張るだけではなく、進学校として認められるようにしようということだ。大学受験から逆算したカリキュラムをつくり、1986年に中学の募集を再開した。

設備の充実にもお金をかけた。本格的な映画鑑賞ができる85周年記念ホール(現徳間記念ホール)や、宿泊施設としても利用できる海洋教育センターなどがつくられたのもそのころだ。当時はまだ珍しかった海外研修も始めたし、英語教育にはコンピューターも活用した。情操教育には映画鑑賞を取り入れた。徳間さんが大映やスタジオジブリのオーナーでもあり、映画に関わりが深かったからだ。その後の進学校としての躍進は周知の通り。

「イギリスのパブリックスクールみたいに、ラグビーとボートをやらせようということになりました。当時は中学の教育課程に『必修クラブ』というのがあって、その枠でラグビーをやらせていました。『ボートはどうする?』という話になったのですが、せっかく目の前が湘南の海なのだから、ボートではなくヨットにしようということになりました。それで、若かった私はヨットの理論を学ばされたり、放課後に実際にヨットをつくらされたりしましたよ」と高橋校長は当時を振り返る。

海洋教育センターの地下には浜辺とつながるトンネルがある(筆者撮影)
海洋教育センターの地下には浜辺とつながるトンネルがある(筆者撮影)

木工で一人乗りヨットを製作し、自分で操縦

海洋教育センターの地下にはヨット工作室がある。生徒たちはここでヨットを自作する。1階には2つの講義室があり、ここでヨットが帆走する原理や海に関する基礎知識を学ぶことができる。2階は最大88人が宿泊できる施設になっている。

中1の10月には初めてのヨット帆走実習がある。このときは先輩たちがつくったヨットに乗らせてもらう。一人乗りなので、いくら初めてであっても、海に出たら1人でなんとかしなければならない。

帆走実習を体験してから、ヨットづくりに取りかかる。クラスごとに工程を手分けして、1学年で5艇つくる。約半年をかけて完成させ、中2の4月に自分たちがつくったヨットの進水式を行う。そしてそのヨットで海に出る。中3のヨット実習はレース形式で行われる。

「ヨットに乗って海に出ても、中1のころは自分しか見えていません。中2になると視野が広がって景色を楽しむことができるようになります。中3になるとさらに視野が広がって、向こうは風が強そうだなどと状況判断しながらヨットを進めることができるようになります」と中学ヨット部顧問の風間啓一教諭。中学ヨット部は各学年30人以上いる大所帯で、高校ヨット部はインターハイの常連だ。

以下、生徒たちの声。

「揚力を利用して走っているということを体感できました」

「風に煽られるのが怖くてしょうがなくて、中2まではまったく思うように操縦できませんでした。でも中3になって、ヨット部の友達にコツを教えてもらったらうまく走れるようになって、天才かな?と思いました」

「通常は1人あたり15分から20分程度で浜に戻るのですが、沖に出たきり帰れなくなることがありました。早く帰らないといけないと焦れば焦るほどパニクって、結局1時間以上海に漂った経験があります。最後は先生が回収に来ました(涙)」

「ヨットに乗ることそのものも楽しいのですが、友達と協力する一体感もヨット実習の楽しさの一部です」

海洋教育センターの地下にあるヨット工作室(筆者撮影)
海洋教育センターの地下にあるヨット工作室(筆者撮影)

学校の目の前の海で約1.5kmの遠泳大会

中3の夏には遠泳実習がある。隊列を組んで逗子湾内を約1.5km泳ぐ。夏の臨海学校のような機会に遠泳をする学校は多いが、いつも通う学校の目の前の海で遠泳大会を実施できる学校はなかなかない。

「学校説明会などでは泳げない子はどうすればいいでしょうかという相談を毎年受けますが、大丈夫です。実際、中1の時点では毎年3−4割が泳げません。でも校内にある屋外温水プールを使って、体育の授業中に指導し、中3までにはほとんどみんなが泳げるようになります」と高橋校長。

以下、生徒たちの声。

「入学したときは完全に金槌だったのですが、遠泳を泳ぎ切ることができて、自信がつきました」

「逗開(ずかい)じゃないとできないことですよね。はじめは、泳ぎ切れるかという不安はありましたが、実際やってみると、すごくつらいという感じではありませんでした」

「隊列を組んで泳ぐのですが、前のほうがつかえてしまって、しばらくずっと立ち泳ぎをしていなければいけないことがありました。ただ泳ぐより立ち泳ぎのほうが体力を消耗します。いつまで立ち泳ぎを続けなきゃいけないのかと不安になったとき、海の恐ろしさを全身で感じました。いまとなってはいい経験ですけれど」

「僕は水泳部なので、僕にとって遠泳実習は、自分の得意を活かしてみんなを支えられる機会です。みんながゴールしていく様子を最後尾から見て、『少しはみんなの力になれたかな?』なんて感じますし、ものすごく遠泳を嫌がっていた友達が最後まで泳ぎ切ってくれたのを見たときには、僕まで嬉しい気持ちになりました」

「泳ぎ切ったときの達成感は大きいですね。独りではできないことだと思うんです。みんなで声を出して励まし合うからできることです。集団の力を経験しましたね」

まるで逗子湾が校庭の一部のようである。毎日をそこですごす生徒たちや教員にとっては、当たり前すぎる日常であろうが、よそ者からしてみれば贅沢な環境だ。

「ときどき目の前の海の風景を写真に撮って、学校のSNSにアップするだけで、驚くほどたくさんの『いいね!』がつきます。やっぱりこの風景が卒業生たちにとっての原風景なんでしょうね」と風間さん。卒業して数十年が経ち、都会の雑踏に疲れたとき、思い出すのはやはりこの風景なのだろう。たとえ校舎は建て変わったとしても、この風景はきっといつまでも、昔と変わらずそこにある。

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●学校ホームページ→ https://www.zushi-kaisei.ac.jp

●この記事を首都圏模試センターのサイトで読む→https://www.syutoken-mosi.co.jp/blog/entry/entry002827.php

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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