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「ジャーナリズム」とは何かを再考する(2)面白くてためになるニュースのために必要なこと

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
1968年12月16日のニューヨークタイムズの1面 警官の居眠りの記事が真ん中に

「こんなのはニュースではない」というようなやりとりを、時折みなさんもしたことはないでしょうか。ジャーナリズムを再考する2回めは、「何をニュースにすべきなのか」についてのヒントを探ります。

Yahoo!個人での議論でも何回か紹介してきた『The Elements of Journalism(ジャーナリズムの原則)』(第4版) の中で示されている10の原則(詳しくは「ジャーナリズム」とは何かを再考する(その1)をご覧下さい)の7項目めは以下のようになっています。

⑦It must strive to make the significant interesting and relevant.

重大な出来事を興味深く、社会的に意味のあるものにするよう努めなければならない。

ニュースとは「人の役に立つ情報が優先して伝えられなければならない」と考えている人は多いと思います。同時に「ニュースとは言っても、面白くなければ読んだり見たりする気になれない」と思っている人も多いでしょう。両立できるニュースをつくるにはかなりのスキルと努力が必要です。

それが充分にできていないと、ゴシップやのぞき見主義、あるいは怒りを消費するだけのコンテンツだと、批判を浴びるのです。

ここで「特効薬」を鮮やかに示すことは、もちろんできません。しかし、「今のニュースに何か欠けているもの」の断片を示し、穴を埋めるためにすべきことは何なのか、ヒントを得ることぐらいはできるのではないかと思います。

「例えばニュースをこんな風に作るのが、理想的なのではないか」という例が、私が翻訳した『インテリジェンス・ジャーナリズム』(原題“BLUR -How to Know What’s True in the Age of Information Overload“) という本の中に紹介されているので、いくつか概要をご紹介します。

『ジャーナリズムの原則』の著者である2人のベテラン・ジャーナリスト、ビル・コヴァッチとトム・ローゼンスティールが、インターネットの急速な普及、「24/7(1日24時間、週に7日)」と呼ばれる休みなしのニュースが、ネットだけでなくケーブルTVのニュースなどからもあふれている状況の進行の中で、正しい情報を選別し、メディアが人々の役に立つニュースを発信するための考え方と、その方法を具体例に基づいて議論した本です。

社会学と似ているジャーナリズム

その中の8章、「いかにして真に重大な問題を発見するか」の中に登場するエピソードです。

1968年から1989年までニューヨークタイムズの記者として活躍したデービッド・バーナム「ジャーナリストになった社会学者」と呼ばれていました。

社会学とは、いささか乱暴にまとめると、社会で起きているさまざまな出来事の中に一定のパターンや傾向などを発見し、なぜ発生するのか、背景にある構造や仕組みの欠陥を突き止めようとするものです。

彼の取材が際だって優れているのは、特別な事件が動機になったのではなく、日常的に起きている出来事に「なぜ?」と疑問を抱くところから始まったからです。そして、パソコンもエクセルなどのデータを整理し分析するソフトやアプリなどがなかった時代に積極的にサンプルを採り、データ化してエビデンスを得ようとする、現代のデータジャーナリズムの原型のような取材をしていたことです。

バーナムが1968年12月16日に出した、ニューヨーク市警の警察官が仕事中にパトカーの車内などで寝ているという事実を解明した記事『何人もの警官が勤務中に居眠りをしていることが明らかに(Some Policemen Are Found to Be Sleeping on Duty)』と、その後の一連の報道を見てみましょう。

(ニューヨークタイムズを有料購読している人は「Time Machine」という過去記事の検索機能を使うと、当時の紙面の1面の真ん中に掲載されています。)

「クープ(coop)」という隠語

バーナムはこの記事は、あるニューヨーク市警の警察官にインタビューをしていた際に、その警察官が「誰かが『クープしている』」と口走ったことが発端だったと回想しています。その警察官に「『クープ』とは何のことですか?」と尋ねると、こんな答えが返ってきたということです。

「それはだな・・・・それは勤務中の警察官が真夜中から午前8時まで、みんな眠っているということだ」

バーナムはさらに質問を重ね、毎晩何千人ものニューヨーク市警の警官が真夜中のシフト勤務(午前0時〜8時)の間に、実際は街中の目立たない場所に停車したパトカーの中で仮眠を取っており、犯罪が発生した時にだけ無線で起こしてもらっていることを聞き出します。

「知ったかぶり」をしない

バーナムがこのようにして大きな問題の端緒をつかまえる時の行動だけでも、並みの記者ではないことがわかります。このように語っています。

「誰か情報源の人物が君と話している時、あるフレーズを思わず口にしてしまった。最初に君はうなずくだろう。そうすれば、君は事情通のひとりのように、何もかも知っているように見える。」

「聞くは一時の恥」とは言うものの、特定の取材相手の担当となり、その人物と対等に渡り合わなければ情報が取れない記者の立場では「それは何のことですか?」とは、聞きにくいものです。

「こいつは、こんなことも知らないで担当をしているのか」と思われたり、「勉強が足りないね」と言われたりして、取材相手に見下されるとか、他社の記者にバカにされてしまうのでは、などと弱気になり、適当に話を合わせてしまう心理が働いてしまうからです。

しかし、バーナムは言います。

「自分に客観的になることだ。知っている以上に知っているふりをするのはやめることだ。物事を見失ってしまうやり方だからね。」

「新聞が扱うような話題ではない」

現役の警察官が大勢の同僚が勤務中に仕事をせず仮眠を取っていると告白しただけでも大きなニュースに見えます。しかし、バーナムがこの問題の記事化を最初に相談した時、ニューヨークタイムズの編集責任者の反応は、「これは新聞が扱うような話題ではない」でした。(どうしてなのかは、読み進めているとわかってきます。)

最初にバーナムがやったのは、多数のエビデンスを集められるだけ集めることでした。新聞社内で原稿を運んだりなど下働きをしていた若者たちを勤務時間外に動員し、居眠りしている警官たちの写真を撮ることにしました。若者たちは真夜中に街中を車で走り回り、公園、桟橋、橋の下の地下道などの隠れ場所になりそうな所を探し回って、パトカーの中で警官が眠っている写真をできるだけ多く撮りました。

パトカーではなく、徒歩でパトロールをしている警官もいますが、その中の何人もが病院や消防署や葬儀場などで暖を取り仮眠している実態もつかみます。

「クープは雨の日や寒い日にしかやらないよ」というコメントも取り、「法と秩序に対するリスペクトがないようだ」と記事に書いています。

次にバーナムは、警官に居眠りのことについて広くインタビューを行います。当事者がどのような言い訳をするのか、そして説明は、一般市民の立場から(人として)どの程度納得できるものなのか、客観的に判断できる材料を集めたのです。

多くの警官は「これは古くから続いてきた、非常に名誉ある伝統だ」と語りました。ある警官は、目覚まし時計を携帯して、警部補や巡査部長らの上司がパトカーで見回りをする時間にだけ起き出して働くふりをしていると語りました。

一生懸命深夜早朝もパトロールしている若い警官もいることがわかりました。しかし、彼らも先輩警官に気を遣い、午前1時半頃になると彼らを仮眠させるようにしている慣行があることも。そして、警察の幹部がこの実態を黙認し、住民から「警官が寝ているではないか!」と苦情の電話がかかってきた時にだけ、対応していたという実態も明らかにしました。

怒りを爆発させるだけでは充分でない

私たちの安全を守ってくれるはずの警官が大量に職務怠慢を働いている実態がここまで明らかになれば、ただちに「呆れたナマケモノ警官の実態!」とか「住民は不安で夜も眠れない」などと、告発するニュースを出したくなるのが当然だと思います。

警察はみんなが支払う税金で運営される公共のサービスですから、警官が当然なすべき仕事をしていないという事実は広く共有されるべき重大なことです。「権力の監視」という側面からも、一定の合理性はあるでしょう。

しかし、糾弾するだけではジャーナリズムとしては何かが足りないのです。ニュースがいったん伝えられれば、警察幹部が謝罪会見を開き、深々と頭を下げる映像や、記者の怒声が飛び交うさまや、警察署前でマイクを向けられた警官がしどろもどろの受け答えをするシーンなどが続けて出てくるでしょう。

テレビのコメンテーターが強い言葉で、みんなの怒りを代弁してくれるかもしれません。現代なら、ソーシャルメディアで広く拡散もされることでしょう。

しかし、それだけでは結局、何の解決にもつながらずに終わる確率が高いと思われます。「怒りの消費」はひとときのカタルシスを提供しますが、根本的な解決につながりません。

警察内部で、一部の警官や幹部の処分がなされたり、監査が行われたり、識者を集めた「居眠り撲滅改革会議」が組織されるかもしれません。しかし、ほとぼりが冷めれば必ず、また居眠りは再開されてしまう可能性が高いのです。

「なぜ?」を連発し構造を解明する

ニューヨークタイムズの編集責任者が「新聞が扱うような話題ではない」と言ったのは、怒りを消費するためだけに奉仕するような糾弾記事では充分ではないということと、原因を分析するには、警察という組織はひとりの記者では手に負えないほど大きくて深い、やめておけ、という意味ではなかったかと思われます。

バーナムは、そのような上司のアドバイスを跳ね返すため、たくさんの疑問点を指摘し、解明すべき課題を整理するだけでなく、それを裏付けるデータを収集しました。

そして「住民の安全を守る公共サービスの欠陥を解決するために、どのような制度の改正や、人員の補給などのリソースの追加が必要なのか、共に考えましょう」という、社会的な議論にレベルを上げたニュースにしようと努力したのです。

記事中で彼は以下のような疑問点を記して、その答えを探そうとしています。

「警官を管理すべき地位の巡査部長、警部や警部補らが、なぜこのような『慣例』を放置してきたのか?」

「毎週変わるニューヨーク市警の勤務シフトのシステムが、警官が居眠りを余儀なくされるほど疲労させている可能性はないのか?」

「午前2時から7時までの間に、多数の不要な人員配置がなされ、警官が余っているのか?」

「市警は最近非常に高価な無線システムを導入したはずなのに、居眠りして応答しない警官が多数いる現状で、その価値はあったのか?」

バーナムが示したジャーナリズムとは

バーナムは、記事で示した問題意識「治安を維持する行政サービスの欠陥」、「警察の人材活用の誤り」を補強するため、以下のようなエビデンスを提示しました。

ニューヨーク州で起きる犯罪のうち約44%は午後4時から午前0時に、また約24%が午前0時から8時の間に起きている。犯罪の約7割が夜間に発生しているにもかかわらず、その時間帯により多くの警官が配置されていない。

警官のパトロールのシフトは8時間の三交代制で、午前8時から午後4時、午後4時から午前0時、午前0時から8時までとなっていました。そして警察側は夜間のパトロールシフトの増員を行おうとしたにもかかわらず、警官の共済組合の強い抵抗で、それぞれの時間帯に均等に3分の1ずつの人員しか配置できない法案が州議会で進められていた、という事情も明らかにします。

さらにニューヨークの警官のシフトは、組合が「不公平になってはいけないので」と強力に主張しているため、1週間ごと順番に交代していくことになっているのに対し、ロサンゼルス、ミネアポリス、ニューオリンズなどの他の大都市の警察では、シフトの交代は1カ月から3カ月単位で行われている事実も調べていました。ひんぱんにシフトを交代するよりも、心理的なストレスが軽減されるという、「新たな選択肢」を示したのです。

多くの居眠りしていた警察官が、仮眠から目覚めて現場に直行した時の方が逮捕率が高いと証言していることもつかみました。それは警察がパトロールのルートを変えるなどの工夫をしていないため、犯罪者がすでにパトロールの実態を把握してしまい、効果的な取り締まりが行われていないということです。

社会を変える原動力に

バーナムは、この記事が報道された後、ライバル紙のニューヨーク・デイリーニュースの記者が「この大バカ野郎、こんなのはニュースでも何でもない。みんなが知っていることだぞ!」と叫んでいたと回想しています。

どうやら彼は上司に叱責されたらしいのですが、バーナムは「みんな知っていることだ」というのは正しいとも言っています。

そのことがむしろ問題なのです。人々は警官が居眠りをしていることを知っていて、受け入れるしかなかった、ということです。「みんな知っている」ということで、かえって大きなニュースになったのです。

その後、バーナムの警察に関する一連の報道は、警察官の腐敗について市当局が自ら調査する「警察の腐敗についてのナップ委員会」の創設につながりました。

「クープ」の報道から約2年後の1970年、当時のリンゼー・ニューヨーク市長は、警官からの内部告発を受けて警察内部の腐敗について調査する委員会を作り、駐車違反などを見逃す代わりに数十ドルの「副収入」をポケットに入れたり、売春のあっせん人やドラッグのディーラーらの金を自分のものにしてしまうような行為が広く行われていた実態を暴き、改革につなげました。

その経緯は映画「セルピコ」(告発した警察官の名前)「プリンス・オブ・シティ」などの映画にも描かれました。

「インテリジェンス・ジャーナリズム」の著者、コヴァッチとローゼンスティールは、バーナムが問題提起した警察の不正や腐敗の背景にある行政システムの構造的な欠陥が、その後の連邦政府の主要な改革にまで発展したと、高く評価しています。

私たちの周りのニュースを見直す

考えてみると、私たちが日常接しているニュースの中にも、せっかく重要な社会的な現象を発見しているのに、いまひとつ問題の本質に迫り切れていないものが、結構多いのではないでしょうか。

例えば、最近各地でニュースになっているものに、議員の居眠りがあります。(「居眠り」つながりは単なる偶然です。)県議会本会議などで目をつぶっていたり、規則に反してスマホを見ている映像などを撮り、本人を直撃インタビューして言い訳させたり、謝罪させたりするような報道です。

議員報酬や一定の活動費は税金が充てられているので、誠実に仕事をしていない議員の存在を有権者に知らせることには一定の意味はあるでしょう。報道によって議会側が綱紀粛正の委員会を開くなど、改善に向けての動きを見せることもあります。しかし、構造に迫らなければ、ほとぼりが冷めると、同じように居眠りなどが復活してしまわないでしょうか。

バーナムのようなアプローチをとって、居眠りをするほど議員の業務は多忙なのか検証するとか、議会運営の簡略化はできないのかとか、セリフのような答弁の応酬にならないような工夫の余地はないのかとか、議員の職業倫理教育は充分なのか、外国に比べていい加減だったりしないのか比較してみるなど、もうひと作業、何か加えてほしいと思います。

「怒りの消費」にとどまらず、問題の解決につながる視点や、議論を補強するデータを発掘するなどしてこそ、ジャーナリズムの原則の6番目、「議論のフォーラムを作る」作業も可能になるのです。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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