Yahoo!ニュース

「ジャーナリズム」とは何かを再考する(1)『ジャーナリズム10の原則』をかみしめる

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
『The Elements of Journalism」(第4版)の表紙

(文中敬称略)

このところ、「この人はジャーナリストと呼んでいいのか?」という議論を見かけます。きっかけはいくつか考えられますが、それはさておき、根本的な議論が深まるのであれば、そんなに悪いことでもないと思います。

日本ではジャーナリズムとは何なのか、明確に言語化して考える営みが、あまり活発になされてこなかったからです。ここでは研究で学んできたことの一部を共有していこうと思います。

今回は、そのような議論を早くから行ってきたアメリカで、ジャーナリズムの基本をわかりやすく解説した本として、学生から現役のジャーナリストまでが活用している、『The Elements of Journalism(ジャーナリズムの原則)』 の最新第4版に書かれている10の原則について解説します。

何のためのジャーナリズムなのか

この本は2001年に初版が出されてから4回にわたって加筆や修正が加えられ、2021年8月に最新の4版が出ました。初版で9項目だった「原則」は10項目になり、細部の表現もインターネットやスマホによる、ニュースの生態系の変化に伴って、ニュアンスがかなり変化していますので、新たに説明をすることにも、それなりの意味があると思われます。

著者の2人がなぜ、このような本を編むに至ったのかという経緯は、2008年の私の論文、「メディアを監視する社会的な必要」や、このYahoo!ニュース個人で書いた、 「B・コヴァッチさんに会って考えた(1):ニュースを良くする営みとは」 と、「B・コヴァッチさんに会って考えた(2):ジャーナリズムと民主主義」をお読みいただくと理解できるのはないかと思います。

民主主義の中でのジャーナリズムの役割について、思考が進んでいたアメリカでも、1990年代の終わりごろから、ニュースビジネスの右肩上がりの成長が止まり、生き残りをかけた、なりふり構わぬメディアの変容で、ジャーナリズムの価値や、ジャーナリストとしての使命を見失う人たちが、たくさんいたのです。

「免許がない」仕事

ジャーナリストは「unlicensed job(免許のいらない仕事)」と呼ばれます。誰でもジャーナリストと名乗ることができます。

「免許」とは、一定の信頼がおける政府や組合などが、一定のスキルを習得していることを認証して発行することが必要ですが、それら政府などの組織は、ジャーナリストにとって取材対象であり、後述しますがひどい仕事やズルをしないように見張る対象です。そこから免許を発行してもらうことはできません。

また、ジャーナリズムのスキルで「これができたら合格」という明確な基準を作るのは非常に困難です。またニュースの情報収集は、対面の取材では、ソーシャルメディア、OSINT(オシント)の分野にまで拡大し、ビジュアルの表現手法は、写真から動画、VRなどテクノロジーの発達に伴って常に拡大しています。さらに基準づくりは非現実的なものになっています。

「誰がジャーナリストか?」ではなく・・・

著者の2人は「誰がジャーナリストか?」を問うても、あまり意味がないのではないかと指摘します。それは、今やスマホで誰もが発信できる時代になったこともあり、「誰でもジャーナリズムを生み出せる可能性が出てきたから」です。

しかし同時に「火災現場などの写真を撮って拡散したり、ニュースにコメントを付けてブログをアップするという『ジャーナリズムのような行為』を行っても、それだけでは、ジャーナリズムの成果を生み出すものでもない」として、ジャーナリズムの「行為」と「末端の効果」は区別して考える必要があると言います。

「この人はジャーナリストと呼ぶにふさわしいか」と、能書きや決意表明だけで判断したり、特定の目立った行動だけを取り上げて断定するよりも、「この人の行動はジャーナリズムにかなっているか」と継続的に見る方が建設的だということだと思われます。

「めやす」は存在する

しかし現在、世の中で、ニュースの市場で「ジャーナリスト」と信用されている人は、これから説明する10の原則を満たす行動を、ほぼ逸脱することなく守り続けた(と多くの人に評価されている)人だとも言えます。

著者の2人も、ジャーナリストは「公共の利益(public good)を何よりも重視し、一定のメソッドを使って発見した情報を評価する。それは検証を誠実に行うということだ」と言っています。

現実のニュースの世界は非常に不確定で流動的です。事実は部分的に、時が経過するにつれて少しずつ明らかになっていきます。インタビュー相手は時に憶測で話したり、利害を隠してウソを言ったりします。しかし「24/7(1日24時間、週7日)」と呼ばれる絶え間ないサイクルの中で、ニュースの締切りはどんどん迫ってきます。

ニュースはパーフェクトな形で発信することが、ほとんどできない、と言ってもいいものだと思います。ニュースに携わる人たちが、ぎりぎりの中でニュースの消費者の期待を裏切らないための「よりどころ」として、これら10の原則が編み出されたと言えるのではないかと思われます。

『The Elements of Journalism』の表紙には次のような副題がついています。

「ニュースに携わる者が知らなければならず、また一般大衆が期待すべきこと」

(What Newspeople Should Know and the Public Should Expect)

副題は、ジャーナリズムをジャーナリストと一般大衆の関係として規定している。
副題は、ジャーナリズムをジャーナリストと一般大衆の関係として規定している。

完全で確かなものではないにしても、ニュースの仕事に従事する人が、ニュースの消費者に対して最大限に果たすことを誓う「約束」だということです。

そうすると、特定の利益を代表する組織や、特定の政治的な見解を強力に主張する影響力のある人物などと近しいことを、自ら積極的に公表することは、ジャーナリズムの考え方からは、少なくとも得策ではないと思われます。

現在の「この人はジャーナリストなのか」の議論の一応の回答は、このようなことだと思われます。

『The Elements of Journalism』第4版に書かれている10の原則は以下の通りです。「原則」ですので非常におおざっぱな言葉でしかありませんが、それでも10項目厳選されたコンセプトだという「固まり」として一覧してもらうには価値があると思います。

                (武蔵大学社会学部 奥村信幸 暫定訳)

Bill Kovach & Tom Rosenstiel,

“The Elements of Journalism, Revised and Updated 4Th Edition: What Newspeople Should Know and the Public Should Expect ”, Three Rivers Press, New York, New York, 2021

ビル・コヴァッチ&トム・ローゼンスティール著

『ジャーナリズムの原則 (改訂4版)− ニュースに携わる者が知らなければならず、一般大衆が期待すべきこと』

The primary purpose of journalism is to provide citizens with the information they need to be free and self-governing.

ジャーナリズムの一番の目的は、市民が自由を守り、自治を行うために必要な情報を提供することである。

① Journalism’s first obligation is to the truth. 

 ジャーナリズムの第一の責務は真実を求めることである。

② Its first loyalty is to citizens.  

 まず、市民に対し忠実であるべきである。

③ Its Essence is a discipline of verification.  

 その本質とは、検証を実行できる能力である。

④ Its practitioners must maintain an independence from those they cover.

 ジャーナリズムに携わる者は、取材対象からの独立を維持しなくてはならない。

⑤ It must serve as a monitor of power.  

 権力を監視する機能を果たさなくてはならない。

⑥ It must provide a forum for public criticism and compromise.

 公共の問題に関する批判や歩み寄りを行う討論の場を提供しなくてはならない。

⑦ It must strive to make the significant interesting and relevant.

 重大な出来事を興味深く、社会的に意味のあるものにするよう務めなければならない。

⑧ It must present the news in a way that is comprehensive and proportional.

 ニュースをわかりやすく、偏らないものとして示さなければならない。

⑨ Its practitioners have an obligation to exercise their personal conscience.

 それに携わる者は、自らの良心を実践する義務がある。

⑩ Citizens have rights and responsibilities when it comes to the news as well – even more so as they become producers and editors themselves.

 市民の側も、ニュースをよりよいものにしていくことについて、権利と責任がある – 彼らも記者や編集者になれるようになった現在はなおさらである。

どうして「中立」がないのか

いくつかの項目について、追加の説明をしておきます。

10項目の中に、ジャーナリズムを議論する時によく使われる言葉が抜けています。「中立」です。中立を入れない理由を著者に直接聞いたことがあります。要するに中立とは相対的なものであって、誰もが(あるいは充分多くの人が)「中立だ」と判断できるような客観的な基準を設けるのが不可能だから、ということです。

ニュースの世界でしばしば使われる「両論併記」という考え方も「中立」に近い考え方です。しかし、ある出来事について厳格に線引きができるような、全く正反対の主張が長い間存在することは、非常に例外的だと思われます。状況は刻々と変わり、当事者は交渉を行い、妥協や取引を行って事態を好転させようとします。「両論」にならず、重複する部分が多くあるかも知れません。あるいは知らないところで、第3、第4の論が出現しているかも知れません。

これらの言葉は、「原則」のようで、実際に何をすればいいのか指針になり得ないということです。

「真実」だけで、「全体的」なもの

最初に掲げられているのが「真実(truth)」です。多くの欧米のメディアも各社の「倫理綱領(code of ethics)」や「記者の行動原則」などに「真実を追求する」という項目を入れています。

ところで、真実とは何でしょう。試しに「オックスフォード現代英英辞典」を引いて見ると以下のように書いてあります。

「物事の本当である事実、創作されたり、予測されたものではないもの」

(the true facts about something, rather than the things that have been invented or guessed)

「事実に基づいた内容あるいは状態」

(the quality or state of being based on fact)

何だかわかったような、わからないような説明です。

また、別の機会に書こうと思いますが、ジャーナリズムにおける真実とは「事実に基づいている」だけでは達成されないのではないか、というさらなる分析や洞察を求める議論も多くあります。

さし当たって、以下のように考えると、理解が少し進むかもしれません。

アメリカの映画で裁判の場面を見たことがあると思います。証人が出てきて「真実を話します」と聖書に手を当てて宣誓する際、このようなやりとりがあります。

- “Do you swear to tell the truth,

the whole truth,

  and nothing but the truth,

  so help you God?”

- “Yes, I do.”

真実とは「whole truth=一部ではなく、全体的なもの」でなくてはならず、「nothing but the truth=真実以外のもの、自分の考えや憶測、言い訳を一切含まず、自らの良心に基づいて真実と思うことだけ」ということです。真実を伝える人は、ジャーナリストも、この原則に従うのです。

「知らないという状態」に誠実に向き合う

しかし、先に少し触れたように、真実とは瞬時に判明するものではなく、断片的な情報が、時の経過につれて少しずつ集まって見えてくるものです。また「完全な真実」も現実には不可能な達成目標です。

しかし、人間とは何か事件が起きると「原因は何か?」「誰のせいで、このようなことが起きたのか?」などと答えをすぐに探したがるものです。ニュースサイクルが24時間になってしまい、移り気な人たちをつなぎ留めるためにも、メディアの方もそのような「安易な答え」をすぐに提示したくなる誘惑に駆られます。「アンサーカルチャー」というものです。

しかし「真実を求める態度」は、それと正反対の、臆病で慎重すぎるものです。「まだそうは言い切れないのではないか」と、ぎりぎりまで迷うことです。そしてニュースとしては煮え切らないような「ここまでしかわかりません」ということを正直に伝えたり、あるいは伝えることさえ見送るという、少なくとも、瞬間的には見劣りする選択さえ、しなければならないということです。

1933年にワシントンポストを買収したユージン・メイヤーも同紙の記者らに「7項目のミッションステートメント」を提示しました。最初の項目には以下のように書いてあります。

「新聞の第一の使命は真実を伝えること、確認されうる最大限の真実に近いものを伝えることである」

(The first mission of a newspaper is to tell the truth as nearly as the truth may be ascertained.)

「市民」と「権力」

第2の原則に書かれている、忠実さの対象となる「市民」とは誰なのかを理解するには、「ジャーナリストは誰のために仕事をしているのか?」を考える方がわかりやすいかも知れません。

シンプルに言うと、民主主義社会は、みんなのリソース(資産)を公平に分配、共有することで成立しています。そうすると、ジャーナリストが仕事をするのは、その分配を受ける普通のひとりひとりで、その分配のルールを決めたり、実際の分配のやりかたを指示する人たちではないということです。

ルールを決めたり、分配の指示をする人たちは「権力」で、第5の項目にあるように、そのルール作りがみんなのことを公平に考えて決められているか、えこひいきされている人たちはいないのか、分配はそのルールに基づいて実行されているのか、ずるや怠慢などは起きていないのかを確かめることが「権力の監視」に他なりません。

ジャーナリズムは「声なき声を代弁する」と言われます。それは、悪意や怠慢によって、特定の人に行き渡るべきリソースが届かず、不自由な生活や思いに直面している人たちは、ダメージを受け、生活に追われて抗議の声を上げることもできないことが多く、ジャーナリズムが、代わりに大きな声を上げて知らせてあげるということです。

「公平・公正」の条件としての「独立」

ジャーナリズムは、奉仕する「市民」に対しても、また監視する「権力」に対しても、距離を置き、貸し借りの関係を築かず、気兼ねなく発言できるような立場にある必要があります。「市民」は「読者」でもありますが、原則の上で、両者はイコールではありません。読者はビジネスとして気を引き、ニュースを買ってもらう相手だからです。

ジャーナリズムを評価する場合によく使われる「公平・公正」という用語も、非常に「評価」の要素が多い用語のため、原則の中には使われていません。「独立」を最大限誠実に実行すれば、「公平・公正」という多数の評価は付いてくるという考え方です。

「独立」とは実践の場で具体的に何をしたり、しなかったりすることなのかという問題の大部分は「利益相反(Conflict of Interest)」を避けるということにあります。ことし1月に書いた「メディアの『独立』と『信頼』を、Choose Life Project、読売新聞と大阪府から考える」で詳しく議論したので、読んでみてください。

「ジャーナリズムのエッセンスは、検証の技法である」

『The Elements of Journalism』第4版の第4章冒頭に、この言葉「The essence of journalism is a discipline of verification.」が出てきます。

検証とは、科学的な用語とほぼ同じで、事実を積み重ね、エビデンス(証拠)として、一定の結論を導くというプロセスと理解できます。

この本に示されている、アプローチのひとつは「客観的であること」です。ジャーナリズムとしての実践として、以下の5つの項目が挙げられています。

1.もともと、なかったものを絶対に追加してはいけない。

Never add anything that was not there originally.

2.読者や視聴者を絶対に欺いてはいけない。

Never deceive the audience.

3.自らの手法と動機について、透明性を最大限にしなくてはならない。

Be as transparent as possible about your methods and motives.

4.自らのオリジナルの情報に、依拠しなければならない。

Rely on your own original reporting.

5.謙遜の心を実践しなければならない。

Exercise humility.

「情報があふれる社会」での検証とは

コヴァッチとローゼンスティールは、この検証について、さらに専門的な本を出しています。情報が次から次へとあふれ、押し寄せてくる社会で、ミス/ディスインフォメーションも厭わないで発言する無責任な政治家らが出現し、移り気で、犯人探しに群がって怒りを消費するようなニュースの消費者が増え続ける中で、歯止めをかけるために、もっと実践的な議論が必要だという問題意識で書かれました。

現代は「BLUR」と言います。「ぼやけた」という意味です。副題は「情報があふれかえる時代における真実とは何かを発見する方法(How to know what’s true in the age of information overload)」となっています。筆者はこの本を「インテリジェンス・ジャーナリズム」 と題して翻訳しました。

『インテリジェンス・ジャーナリズム』の表紙
『インテリジェンス・ジャーナリズム』の表紙

しかし、ボリュームが非常に多い(翻訳したら解説も合わせて350ページにもなりました)のと、編集者に一般の人にも読んでもらおうとする情熱が足りなかったために、現在は絶版になりました。もし近くの図書館などで見つけたら、どうぞ一部分だけでも読んでみてください。検証を極めた、すぐれたジャーナリストの列伝としても、あるいは検証をあやまった(あるいは意図的にやらなかった)「醜悪なジャーナリズム」の教訓としても、価値ある本だと思います。

他のいくつかの項目は少し端折って先に進みます。「検証」を尽くそうと努力がなされたニュースは、わかりやすく、偏りもないので、人々の知的欲求を満足することでしょう。そうしてニュースを得た人々が集まって話し合うフォーラムは、社会をより良くすることにも貢献するに違いない。そのような形でこれらの項目がつながっていると考えればいいかと思います。

良心を実践「しなければならない」

9番目に挙げられている「良心」の項目は、第3版まで以下のようになっていました。

(ジャーナリズムに)携わる者は、自らの良心を行うことを許されなくてはならない。

Its practitioner must be allowed to exercise their personal conscience.

しかし第4版では、「許されなくてはならない(must be allowed)」が、「義務がある(have an obligation)」という強い表現に変わっています。

メディアで働くジャーナリストは、時に企業や組織の都合が優先され、取材相手との関係が犠牲になったり、微妙なニュアンスの違いによって不快な思いをしたり傷ついたりした人たちに対して、充分な説明やケアが、必ずしも満足にできなかったことがありました。おそらく、そのような「良心」は尊重されるべきであるという考え方が、第3版までの原則に反映されていたと思われます。

しかし、ミス/ディスインフォメーションという、時に人の命を危険にさらすような情報がニュースにも紛れ込むような時代になって、水際で食い止めるためには、ジャーナリストひとりひとりの注意力と誠実さを「よりどころ」とするしかなくなりました。メディアは、個人のジャーナリストの意見にも、最大限耳を傾ける必要があるという、踏み込んだ表現に変わったのではないかと思われます。

私たちも「ニュースの発信者」という責任

10番目の項目は2007年の第2版から書き加えられたものです。第3版までは、表現は以下のようになっていました。

市民の側も、ニュースをよりよいものにしていくことについて、権利と責任がある。

Citizens, too, have rights and responsibilities when it comes to the news.

第4版と比べてみてください。

市民の側も、ニュースをよりよいものにしていくことについて、権利と責任がある – 彼らも記者や編集者になれるようになった現在はなおさらである。

Citizens have rights and responsibilities when it comes to the news as well – even more so as they become producers and editors themselves.

第2版は、ツイッターなどのソーシャルメディアがやっと普及し始めた時代に発行されました。それまでは、ニュースに要望や提案があっても、新聞の投書欄に手紙や電子メールを送ったり、放送局に電話しなければなりませんでした。しかし、ツイッターやフェイスブックなどを使えば、ニュースメディアに直接声を上げられる、そしてその声に他の市民が反応し、ディスカッションのフォーラムも生まれるという構図に変化が訪れたのです。

しかし、当時はそれ以上の発想はなく、ソーシャルメディアは意見を表明するツールとしての認識で原則は書かれていたと思われます。

しかし、ソーシャルメディアも多様化し、インスタグラムなど自分で撮影した映像や画像で表現するバリエーションが劇的に拡がり、YouTuberなどメディアに属さず、ジャーナリストの正式なトレーニングや教育を受けていない人たちも注目を得る社会になり、さらに一歩進んだ原則が必要になりました。

「メディアに意見を言うだけでなく、あなたもニュースの発信ができるのだから、当事者として、一緒に考えてくれ」 というわけです。

「ジャーナリズム」とは、これらの原則に従って実践されるべきものではありますが、「ジャーナリズム」に必要な条件はこれだけではないと思います。特に「何をニュースとして扱うか」というトピックの選択は重要なポイントだと思われますので、近いうちに議論したいと思います。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

奥村信幸の最近の記事