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会見の「質問制限」問題をアメリカで考える(後):透明性で信頼を作る 〜ワシントンDC研究ノートその3

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
2018年11月7日の記者会見 CNNアコスタ記者の質問をさえぎるトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)

 官房長官の記者会見で、東京新聞の記者に対して嫌がらせや質問妨害とも思われる行為が行われているにもかかわらず、メディア側がいまひとつ、毅然とした態度を取れない問題について考えています。

 前半の議論では、民主主義において、ひとりひとりが自治に関わる(自らの幸福や社会の公平に関わる)判断を行うために、正確な情報が必要であり、そのような情報を提供しようとする健全なジャーナリズムは民主主義にとって不可欠であるということを解説しました。

 一方、ジャーナリストという職業は権力の監視をするという社会的な機能上、運転免許のような公的な資格のような形で、その仕事のしかたを評価することはできず、自ら名乗るだけで誰でも参入できてしまう構造であること、だからこそ、最大限の規律を自らに課し、読者や視聴者、ユーザーの信頼を得る態勢を最大限に確保した上で、ニュースを発信するという、何ら確信はないが、ともかく誠実に継続し続けるしか術がないのだという「枠組み」を説明しました。

 それでも「お前たちは何の根拠で国民の代表を名乗るのだ」と権力が強引に問い詰めて来るときに、「私たちは読者と、このような約束をしています」、「その約束を果たすために、このようなルールに基づいて行動することを定め、実行しています」という自分たちの価値観や行動原理を示し、「そのことに共感し、支持してくれる読者の『代表』として、質問するのです」という論理を展開するために、必要な手続きがあり、アメリカなどのメディアに比べて、日本のメディアはその部分が非常に弱いということを指摘しました。

弱い部分というのは、1)ジャーナリズムを実践するニュースメディアとして、自分たちがどのような価値を目指して、その仕事をするのかという「ミッションステートメント」、2)そのミッションを成し遂げるための行動原理の、2つを明確に言語化することと、重要なのは、3)それらを、いつでも誰でもが参照できる形で「公開」して、読者の質問や意見があれば、それを聞いてさらに説明する態勢を整えること、です。

 日本のメディアにいまひとつ整えて欲しいものは何なのか、すべてを網羅することはできませんが、いくつか具体例を出して解説します。

信頼を守る安全装置

 私もすべてを把握できているわけではありませんが、例えばASNE(American Society of News Editors:アメリカ・ニュース編集者協会)のウェブサイトには、40社近くの規定や誓いの文書のリストがあります。また、名門として名高いミズーリ大学のジャーナリズム大学院のページには、世界のメディアや団体の報道や広報倫理規定のリストが掲載されています。

 もちろん、すべてのメディアが完全なミッションステートメントや倫理規定を整備しているわけではありません。しかし、その場合はRTDNA(Radio Television Digital News Association:ラジオ・テレビデジタルニュース協会)など、業界団体共通のコードに習ったり、それを原型にして独自の規定をつくることもできるようになっています。

 そのような文書がもっとも整備されているメディアのひとつがニューヨークタイムズです。他のローカル紙の倫理規定のモデルにもなっています。Ethical Journalism(倫理的なジャーナリズムを目指して)と題して、このような文書を制定する目的から、記者がコンフリクト・オブ・インタレスト(利益相反)を避けるための手続きが50近くの細目に分類されて細かく記されています。

 おそらくこの全文に目を通したことのある読者は非常にまれだと思います。しかし、それでもニューヨークタイムズがこのような文書を几帳面に整理して公開するのは、何かあった場合に「私たちは、公にこのような誓いを社会に宣言して、それを忠実に守ってやっている」ということを主張できるようにという「安全装置」の役割を果たしてくれるからです。

読者との関係を規定する

 日本のメディアは、この種の文書はほとんど見られないか、存在しても非常に曖昧だったり、大原則やスローガンのようなものしか書かれていないものが圧倒的です。あるいは、非常に詳しい記者のハンドブックなどを整備しているメディアでも、非公開にしているところもたくさんあります。試しに新聞社やテレビ局のホームページを探してみてください。各社の規定の検証は他の機会に改めてしようと思いますので、ここではもし「国民の代表として取材をするにふさわしいのか」と問われた際に、何らかの理論武装になり得るものかどうかという視点で比較してみましょう。比較対象として使用する日本のメディアの選択に、何ら政治的な意図はありません。

 例えば、朝日新聞は「朝日新聞綱領」(https://www.asahi.com/corporate/guide/outline/11214445)というものを公開しています。「私たちはこのような新聞を作ります」と読者に向けて説明したものは、これ以外私は発見できませんでした。1952年に制定して追加も改定も行っていないようです。

  朝日新聞綱領

  一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。

  一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。

  一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。

  一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。

 ここに読者との関係が登場するのは「国民の幸福に献身し」という部分だけです。しかしどのようにすれば献身することなのか、それを社としてどのように実践するのか、具体的な情報は何もありません。「スローガン的」というのはこのようなものです。

 ニューヨークタイムズには「Our Duty to Our Readers(私たちの読者に対する責任)」という項目があります。少し長いですが訳出してみます。

  ■タイムズ紙は読者に対し最大限に公正に接する。印刷した紙面であろうと、オンラインの記事であろうと、我々は読者に完全で、ありのままの、我々が取材で知り得た最大限の真実を提供する。もし間違いがあれば、それが大きなものであろうと、小さなものであろうと、それを認識したら直ちに訂正するのが我々の方針である。

  ■我々は読者に、個人的にも公的にも同じように接する。読者に接する社員の誰もが、究極的には読者こそが我々の雇用者と考えて、この原則を尊重する。対面でも、電話でも、書面でも、オンラインのやりとりであっても礼儀をわきまえてやりとりをする。我々は配慮をもって、読者からの手紙や電子メールを放置せず、必ず返信する。

  ■タイムズ紙は読者の利益のために情報を集める。当紙のスタッフはタイムズ紙の従業員であるという地位を使って、いかなる場合でも他の目的での情報収集を行ってはならない。上記規定したように、当紙のスタッフは自分や他の何者のために行動したり、読者にまだ公開していない情報を教えたりしてはならない。

  ■当紙のスタッフで剽窃を行ったり、意図的あるいは怠慢により間違った情報を伝えたり、記事にしたりした者は、読者との基本的な約束を破ったものとみなす。そのような行為は絶対に許すことはできない。

 ニューヨークタイムズのミッションステートメントには、朝日新聞の「幸福」のような、検証が不可能で個人的な感覚に基づく言葉は目標として登場しません。あくまでも「読者の役に立つ」(分野を選んで)、「できるかぎりの真実を提供すること」が目標だとして、情報収集はもっぱら、その真実を伝えるための目的でしか行わないと規定しています。

「真実」を伝えることが責務

 上記のアメリカのメディアのミッションステートメントや、報道倫理規定の冒頭に来る文章を見てみると、「人々に真実を伝える」というフレーズが、かなりの頻度で登場します。それは、この記事の冒頭で説明したように、民主主義の中で生きている私たちは、自分たちのことを自ら決める必要があり、正しい判断をするために、ある問題について真実=ほんとうの事実と公正な解釈が必要になるということです。

 この部分は、少なくともアメリカのメディアと、民主主義に対する一応の理解がある人たちには共通認識だと思われます。だから、メディアのミッションステートメントはこの記述から始まるということだと思われます。

 しかし、日本ではこのような民主主義と情報、ジャーナリズムの役割などについて、明確な言語化や社会の中での共通認識の醸成がまだ充分ではないような気がします。大学でジャーナリズムを教えていて困るのは、適当な教科書が見つからないという悩みです。国内でジャーナリズム論とタイトルのついている本の大部分は、ジャーナリズムの歴史か、あるいは「元ジャーナリスト」による一般化が乏しい個人的な体験談であることが非常に多いからです。

手続きも説明する

 取材の手順についての説明も、日本とアメリカのメディアでは大きな差があります。読売新聞は「記者行動規範」というものを公開しています。例えばその中に以下のような記述があります。

  4.情報源の秘匿は、最も重い倫理的責務であり、公開を求められても、本人の同意がない限り開示してはならない。 また、オフレコの約束は、厳守しなければならない。

 報道はソース(情報源)を明示して行うのが原則とされています。それは読者や視聴者が、その意志があれば改めて検証できるような仕組みを担保することで、ニュースの信用を守ろうとしているからです。それは、上記のニューヨークタイムズの文書に記されているように、「読者が」真実を伝えてもらっているという確信を、強固なものにするために必要だという認識です。

 しかし、この読売新聞の規範では、読者と新聞社との関係の視点はありません。記者と取材相手の関係しか想定していないことがわかります。

 

 例えば、アメリカのNPR(National Public Radio公共ラジオ)の「NPR Ethics Handbook(公共ラジオ倫理ハンドブック)」では、匿名にしてしまうと、情報源の信頼性(credibility)が揺らぐため、匿名の情報源として話を聞くのは背景を知るための情報収集にとどめ、身分を明かすことができる情報源を努力して探せ、相手が公開に同意しない場合は、まず他の情報源を探し、それでも当の匿名の情報源からの情報をニュースに使わなければならない場合は編集責任者と協議の上慎重に決めるように、と手続きを詳しく定めています。

 また、匿名の情報源からもたらされた情報を使ってニュースを伝えるときも、当人を特定できる情報をできるだけ多く盛り込むため、苗字がだめなら名前が使えるか、所属先の団体や企業名、部署はどこまで公開できるか、詳しく交渉し検討することや、そうしてもたらされた情報でも、第三者を批判したり攻撃したりする内容のものはニュースにしてはならないなど詳しく規定されています。慎重な検証に検証を重ねてニュースを届けているのだということをいかに示し、農作物や工業製品などのように「品質保証書」が付けられない報道の世界で、どのように信頼を保つのかという仕組みが、細かく定められているのです。

「常識」を改めて明示する意味

 下世話ですが非常にわかりやすい例をもうひとつ。「報道の仕事をする者は株の取引をしない」というのはジャーナリズムの「常識」です。会社の買収などの情報をニュースが報じられる前に知ることができるため、インサイダー取引の疑いが持たれるだけではありません。厳密にはインサイダー取引ではなくても、読者にそのような疑念を抱かれるだけで、ニュースの信頼性が揺らいではいけないという自律的な考えがもとになっています。BBC(イギリス放送協会)やニューヨークタイムズには「持たない」という原則だけでなく、例えば親から相続してしまったり、親族の経営する会社の株を手放せないで所有している場合などの対応や、会社への報告の手続きなどが詳細に規定されています。

 しかし、原則だからでしょうか、日本の在京報道機関で「記者に株式の売買を禁止する」と明確に記述しているのはテレビ東京しかないようです(テレビ東京報道倫理ガイドライン)。一番経済ニュースに手厚いはずの日本経済新聞のサイトでも、そのような記述は見当たりません。しかし、これはコンフリクト・オブ・インタレスト(利益相反)を侵さないための重要な手続きについての問題です。「もう知っていることだから」では済まないのです。

 ところで、この議論の発端になった東京新聞や、その親会社である中日新聞のウェブサイトには、そのような読者への約束や取材倫理規定の情報はどこにも載っていません。これでは、望月記者の質問が「国民を代表して聞いている」という根拠を示せと言われても、「いや今まで新聞をコツコツと発行してきましたから、どうぞわかってください」としか言いようがありません。形式論に過ぎなくても、このような文書を公開しておくことは「重し」として非常に大事なものです。

 日本のニュースメディアは、読者に対しての使命を語り、自らの行動規範を説明しなくても、読者や視聴者に信頼されてここまで来たという幸運に恵まれたともいえます。しかし、世界的にメディア不信が蔓延し、ミスインフォメーションやディスインフォメーションが横行する中で、ジャーナリズムの原則に基づいて、ジャーナリズムのトレーニングを受けた人が取材をした情報にこそ価値があると報道機関が考えるのであれば、形の上でも、読者や視聴者、ユーザーとの関係を規定し直す必要があるのではないでしょうか。

 このような話をメディアの人とすると「倫理規定や報道規範などは、ちゃんと社内文書として共有されている」と反論する人も、まだけっこういます。しかし、公開して、ニュースの消費者と共有されなければ、揺らいだ信頼を取り戻すのは容易ではないのではないかと思います。

透明性を徹底する時代に

 アメリカでは「ジャーナリズムには『ラジカルな透明性』が必要だ」という提言が出て注目されています。ナイト財団などが中心になって、高名な研究者、経営者、メディア経営者ら約30人を筆頭にサブグループを作って専門家を招き、2年間で6回の討議を経てまとめた提言を、2019年2月に「民主主義の危機:アメリカにおける信頼の更新に向けて」というタイトルで発表しました。

 政府やメディア、公共部門に対する信頼低下を政治、文化、経済、メディアの経済、インターネットやソーシャルメディアなどさまざまな文脈で分析し、信頼を取り戻すための提言を細かくまとめています。(要約はこちら。本文は非常に長いですが、リンクをたどって読めます)。ジャーナリズムは本文の第5章ですが、この問題は一般の人にも関心が高いため、要約版ではまっさきにジャーナリズムに対する提言が登場します。その最初に書いてあるのが「ラジカルな透明性(radical transparency)」です。

 つまり、今までほとんどブラックボックスだった、ニュースの製造過程がもっと明らかにされることです。提言では、メディアのビジネスの仕組みから、ニュースの編集判断のプロセスまでを消費者に公開しなければならないという考え方です。新聞やテレビもウェブサイトやソーシャルメディアを活用して、ニュースに反映されなかった情報をデータ化して参照できたり、質問に直接応えたりできるような、読者やユーザーのコミュニティとの情報共有が進められなければならないとしています。

 インターネットとソーシャルメディアの時代には、メディアはもはや情報を独占して、「ニュースとしてふさわしいものだけを選んで届ける」のではなく、ユーザーの知恵も積極的に取り込む姿勢で、共にもっと大きな問題に取り組むべきだ、と報告書は述べています。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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