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晴れの特異日を選んだという「東京オリンピック10月10日」の神話

饒村曜気象予報士
千駄ヶ谷・国立競技場(ペイレスイメージズ/アフロ)

神話の誕生

 東京オリンピックが、新元号2年(2020年)7月24日から8月9日までの17日間開催予定です。

 前回の東京オリンピックは、昭和39年(1964年)10月10日から24日までの15日間開催されましたが、開会式当日の抜けるような青空から、「東京オリンピック」は、晴れる特異日を選んで開催されたという神話が生まれました。

 東京の10月10日の頃は、秋の長雨が終わる頃といっても、まだまだ雨天の可能性が残っています。11月であれば、晴れやすい確率は10月より高くなりますが、気温は10月より低くなります。

 過去の統計から秋の長雨が終わって晴れやすい時期で、屋外競技を行うのに寒くない時期ということから10月10日が選ばれたというのが、一般的な説明ですが、実際は、別の理由で日程が絞られ、その中で「わずかに晴天の可能性が高い」ということで決められただけです。

 現に、東京オリンピック開会式の10月10日9時は朝鮮半島に中心がある大きな移動性高気圧に覆われたことで、「オリンピック晴れ」と言われた晴天ですが、前日、10月9日は、関東の南海上を通った低気圧の影響で雨が降っています。一日ずれていれば雨の開会式でした。

 そして、東京オリンピックは雨の日が意外に多い大会でした

 10月24日までの15日間の大会期間中に、東京で0.5ミリ以上の日降水量があった日は、約半分の7日もあります(表)。

 ただ、人気種目についていえば、マラソンなどの屋外競技の日は雨が降っていません。また、女子バレーボールの決勝戦(対ソビエト連邦)などは雨でしたが、室内競技であり、雨の影響は全くありませんでした。

 このことが、東京オリンピックを晴れの大会との印象付けをし、「晴れの特異日を選んだ大会」との神話が生まれた要因です。

表 昭和39年東京オリンピック時の東京の気象
表 昭和39年東京オリンピック時の東京の気象

体育の日は晴天とは限らない

 東京オリンピックの開会式が行われた10月10日が、「体育の日」として祝日になったのは昭和41年(1966年)からです。

 東京オリンピックの日程は晴れやすい日を選んで決めたといっても、わずかに可能性が高いというだけですので、いつも「東京で晴天」とは限りません。

 まして、「体育の日」はハッピーマンデー法により、平成12年(2000年)からは、10月の第2月曜日となっていますので、ますます「体育の日」は、東京で晴れやすい日、屋外活動に適した日とは限らなくなっています。

 東京以外の地方では、もっと晴天との関係が薄れています。

開催日決定の経緯

 東京でオリンピック開催をとの意見がでてきたのは、戦後の占領政策が終わりに近づいてきた昭和26年(1951年)7月5日のことです。

 東京都は、戦後の日本復興を世界にアピールするため、昭和35年(1960年)のオリンピック大会を東京で開催したいと国際オリンピック委員会(IOC)にアピールしています。 

 その後、昭和28年(1953年)3月7日の衆議院で五輪東京招致促進決議案が可決されるなど、オリンピック開催に向けての運動が盛んになり、昭和29年(1954年)に立候補しますが、昭和30年(1955年)の国際オリンピック委員会総会でローマに敗れています。

 昭和33年(1958年)5月13日に国際オリンピック委員会に提出した正式立候補表明では、開催期間を昭和39年(1964年)7月26日からの16日間としています。つまり、2年後の東京オリンピックと、ほぼ同じ期間の開催を考えていました。

 しかし、昭和33年の末ごろに、東京大会の開催時期は、雨期と台風シーズンを避け、7月25日から8月9日までの案と、10月17日から11月1日までの案を、両論併記の形で国際オリンピック委員会に修正提案をしています。

 昭和34年(1959年)5月26日に西ドイツのミュンヘンで開催された国際オリンピック委員会総会では欧米の3都市を破って東京開催が決まりましたが、日程については、さらにもめます。

 昭和35年(1960年)4月13日のオリンピック東京大会組織委員会は、第1案を5月23日から6月7日、第2案を10月3日から18日とし、第一案を一押しとしています。

 スポーツ団体や気象の専門家からの意見を聞いたうえでの決断ですが、スポーツ団体の専門家、特に陸上関係の専門家からは春開催ではヨーロッパ諸国から十分な練習ができないという反対意見が強いことを指摘しています。

 また、気象の専門家からは、10月ではまだ台風被害を受ける可能性があることから、梅雨入り前が最適という意見をあげています。

 その後、スポーツ関係者等からスポーツをするなら10月が適しているとの意見が盛んになり、日本オリンピック委員会が国際オリンピック委員会に10月開催に変更したいとの表明したのは、昭和36年(1961年)4月3日で、国際オリンピック委員会で10月開催が正式に決まったのは、同年6月1日のことです。

 ただ、このときの開会式の提案は10月11日(日)でした。

 その後も、日程を十分にとるため、開会式を10月9日(金)に早める案などが出て、10月10日(土)に確定したのは、昭和37年(1962年)の6月になってからです。

 それでも、アメリカが10月は学生が参加できる季節ではないと反対するなど、日程をめぐっての混乱は続いています。

 このように、昭和39年(1964年)の東京オリンピックは、スポーツに適した日を選んで開催を決めたのではなく、曜日を含めたいろいろな総合判断があり、その中で、比較的スポーツに適した日ということで10月10日が決まったのです。

10月の中で比較的スポーツに適した日

 昭和32年(1957年)に東京管区気象台が「東京都の気象」という分厚い本を出版しています。

 その中で、東京の10月の天気を抜粋すると、10月10日を境に晴れになるという単純なものではありません(図1、図2)。

図1 東京の大正以降の10月の天気
図1 東京の大正以降の10月の天気
図2 図1の記号の解説
図2 図1の記号の解説

 一年のうち、ある特定の日に、その前後の日と比べ、偶然とは考えられないほど出現率が高い日が出現することがあります。これが得異日です。

 例えば、11月3日は、移動性高気圧に覆われ晴れることが多いことから、「晴れの特異日」となっていますが、10月10日は特異日とは違います。

 昭和61年(1986年)の「平凡社版気象の事典」には、特異日の項目があります。そして、特異日の説明のあとに、次のような記述がありますが、添付されている「日本の特異日の表」には10月10日は入っていません。

1964年、日本でオリンピックを開催したおり、長年の気象統計をもとにし、10月10日には秋の長雨が終わることが多いことから、この日を開会日とし、成功した。高橋浩一郎

アイデアマンの初代天気相談所長

 オリンピックの開催日決定などで協力していた気象庁の窓口は、気象庁の初代天気相談所所長だった大野義輝さんでした。

 日本各地の桜の開花日が同じ場所を結んだ等期日線を桜前線といい、今では、当たり前のように使われていますが、桜前線のような「花の前線」を造語し、広めたのが大野義輝さんです。同じ花が咲いているところを地図上に結び、その結果としてできた線が、天気図上の前線に似ていたからです。

 大野義輝さんは、アイデアマンで、現在も使われているいろいろな気象解説の方法を編み出しています。

 定年は函館海洋気象台(現在の函館地方気象台)の台長でしたが、その時私は函館海洋気象台に新採用となりました。小柄で温厚な紳士で、新人の私に対しても、分かりやすく話をしてくれました。

 東京オリンピック開会日が10月10日になった件については「気象だけで決めたのではないんだよ」と、東京オリンピックは晴れの特異日で決めたという世間一般の見方に対して、軽く否定されていました。

 今となっては、戦後に急速に充実してきた国民への気象情報提供についての話を、もっとお聞きしておけばと思いました。

表の出典:気象庁HP等をもとに著者作成。

図1、図2の出典:東京管区気象台編集(昭和32年(1957年))、東京都の気象、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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