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東京大空襲時の天気予報 日本よりアメリカのほうが精度が高かった可能性

饒村曜気象予報士
上野公園・時忘れじの塔(ペイレスイメージズ/アフロ)

気象報道管制

 天気予報などの気象情報は、戦争遂行のためには必要不可欠な情報です。このため、戦争になると、少しでも自国を有利にするため、自国の気象情報を隠し、相手国の気象情報の入手をこころみます。

 太平洋戦争のときも同じです。

 真珠湾攻撃が行われた昭和16年(1941年)12月8日の午前8時、中央気象台の藤原咲平台長は、陸軍大臣と海軍大臣から口頭をもって、気象報道管制実施を命令されています(文書では8日の午後6時)。

 そして、この気象報道管制によって、天気予報は一般国民へは伝えられなくなりました

 このため、昭和17年(1942年)8月27日に長崎県に上陸した台風により山口県を中心に1158名が亡くなるなど、台風が近づいても十分な対策がとれずに被害を大きくしてしまった、ということが多かったと言われています。

 しかし、サイパン島にアメリカ空軍が展開するようになると、アメリカ空軍は日本を空襲しながら広い範囲の気象観測をして、独自に日本の天気予報をして作戦に利用するようになります。時によっては、日本の秘密にしている天気予報より精度が高かった可能性もあります。

 このため、国民を自然の猛威にさらしてまで実施中の気象報道管制は無意味となっています。

昭和20年(1945年)3月9日の天気予報

 気象報道管制により、中央気象台は作成した天気予報を軍関係など一部機関へ提供するだけで、一般国民へは伝えることはありませんでした。

図 地上天気図(昭和20年(1945年)3月10日6時)
図 地上天気図(昭和20年(1945年)3月10日6時)

 昭和20年(1945年)3月の東京は、日本海低気圧や南岸低気圧の影響で曇や雨の日が多かったのですが(表)、9日朝の予報では、日本海にある前線を伴った低気圧が通過し、10日の夜ごろ以降は、しばらくは西高東低の冬型の気圧配置が強まり、やや強い季節風が吹いて晴れると考えていました。

表 昭和20年(1945年)3月の東京の気象(天気は「東京都の気候」による)
表 昭和20年(1945年)3月の東京の気象(天気は「東京都の気候」による)

東京の3月9日朝の天気予報

今晩 西の風 晴れたり曇ったり

明日 西の風 晴れたり曇ったり午前に時々雨の所もある

明晩 北西の風 晴れ時々曇り 

明後日 晴れ

 しかし、実際は、低気圧の通過が早まり、9日夜から西高東低の冬型の気圧配置が強まり、晴れてやや強い北西の季節風が吹いています。

 アメリカ軍の天気予報は、このことを予報していたと思われます。日本周辺の制空権や制海権を押さえていたアメリカ軍のほうが、観測データを多く持っていたからかもしれません。

 というのは、9日の夜から10日の朝は、冬型の気圧配置が強まることを予想したからこそ、目視が効いて爆撃しやすく、しかも風が強くて大火になりやすいと考え、焦土作戦である東京大空襲を決行したと考えられるからです。加えて、3月10日は陸軍記念日で、日本国民の士気を落とす効果もあると考えられる日でした。

陸軍記念日(3月10日):明治38年(1905年)3月10日、日露戦争で最大の決戦となった奉天(現在の瀋陽)で日本陸軍が勝利した日。

海軍記念日(5月27日):明治38年(1905年)5月27日、日露戦争の勝敗を決定づけた日本海海戦で日本海軍が勝利した日。

東京大空襲

 東京大空襲は、昭和20年(1945年)3月10日の午前0時から始まり、300機ともいわれる超大型爆撃機B-29が東京を無差別攻撃した空襲です。

 高度2000メートルで隊列を組んで侵入し、木造家屋が多数密集する東京市街地の東半分を組織的に焼夷弾攻撃で焼き払うという戦術により、約23万戸が焼け、死者12万人という大きな被害がでました。そして、100万人とも言われる罹災者は、最高気温でも10度を下回る寒空の中に焼け出されたのです。

 冬型の気圧配置による強い北西風によって火勢が助長されたり、火災旋風や飛び火があり、大規模火災の消火が遅れ、大火は3月10日夜まで続きました。

 タイトル画像の上野公園にある時忘れじの塔は、東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑で、落語家で初代・林家三平さん夫人の海老名香葉子さんらによって建てられたものです(空襲で亡くなられた海老名香葉子さんの家族がモデル)。

 東京大空襲は戦争中のできごとですが、春先の西高東低の冬型の気圧配置の時の東京は、冬の乾燥状態が続いているところに強い風が吹くことから、大火災が発生しやすくなります。

 火の元には十分な注意が必要です。

表の出典:気象庁ホームページと国立情報学研究所のデジタル台風「100年間データベースー過去の天気図アーカイブと日本の気象観測の歴史」、東京都の気候(東京管区気象台(昭和32年)編纂・日本気象協会発行)をもとに著者作成。

図の出典:国立情報学研究所のデジタル台風「100年間データベースー過去の天気図アーカイブと日本の気象観測の歴史」

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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