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関東大震災後で最初の大地震・北丹後地震でも大火 3月7日まで春の火災予防週間

饒村曜気象予報士
炎(ペイレスイメージズ/アフロ)

春の火災予防週間

 明日(3月7日)で「春の火災予防週間」が終わります。

 「春の火災予防週間」は、3月1日から消防記念日(昭和23年に消防組織法が施行された3月7日)までの一週間行われています。

 この頃は、太平洋側では乾燥状態が続いて木材が乾いている頃であり、雪がとけて山に多くの人が入り始める頃です。火災が発生しやすく、一度火事が発生すると、大火になりやすい季節です。

 全国的な火災予防運動のきっかけは、90年前の北丹後地震です。関東大震災後、最初の大きな地震です。

北丹後地震

 北丹後地震は、昭和2年(1927年)3月7日18時27分に京都府丹後半島北部を震源として発生したマグニチュード7.3の地震で、兵庫県豊岡町(現在の豊岡市)、京都府宮津町(現在の宮津市)などで震度6を観測しました(当時の震度階級は震度6が最大の階級)。全国の被害は、死者2925人(このうち京都府は2898人)、住家被害2万2000棟、焼失家屋8000戸などの被害が発生しました。地震発生時刻が早春の夕方であったために暖房や炊事の火が原因となって各所で火災が発生し、8000戸以上が消失しましたが、中でも峰山町(現在は合併して京丹後市)の被害が大きく、家屋の95%以上が焼失、人口に対する死亡率は20%を超えています。

 人口密集地ではないのに死者が多かったのは、2メートルを越す積雪の中で火災が起こったためと言われています。また、火事が発生していなければ、被災者は壊れた家でも安全な場所を探して寒さをしのぎ、一夜を明かすことはできましたが、大火により、被災者は、雪が降る寒さの屋外へ投げ出されて一夜をすごすという悲惨さでした。

 関東大震災後の最初の大地震であると同時に、関東大震災と同様に大火災による被害が発生したことから世間の注目を集め、新聞社などが被災者救援の募金活動を行っています。

 大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災後を教訓に、地震の学理と震災予防のため、大正14年11月23日の勅令311号で東京帝国大学に地震研究所ができています。この地震研究所ができて初めての大地震が北丹後地震です。そして、精密測量や余震観測など近代的調査が初めて行われました。

 その結果、丹後半島の付け根を横切る形でいくつかの断続した断層が表れ、最大で約3メートル動いていることがわかりました。これらのことから、地震学の発展は北丹後地震からとも言われています。

防火運動

 防火防災思想の普及活動を事業目標としている大日本消防協会(現在の日本消防協会)は、昭和2年(1927年)3月7日の北丹後地震を契機とし、北丹後地震後3 年目の昭和5年3月7日に、府県の消防協会と共催して、防火運動を近畿地方で実施しました。

 これが、我が国初の防火運動です。防火運動は好評を博し、昭和5年12月1日には、関東に福島を加えた1府6県が、12月1日を防火デーと定め、府県ごとに一斉の防火運動を行っています。

 太平洋戦争が終わった昭和20年(1945年)、占領中の日本は連合軍総司令部(GHQ)の指示により、この年はアメリカで行われていたものと同じ日、10月21日から27日までの一週間を、全国一斉の火災予防運動として行っています。

 アメリカの火災予防運動は、明治44年(1911年)10月9 日に、アメリカ合衆国全土にわたって 行われた「火災予防デー」の行事が起源とされています。これは、明治4年(1871年)10 月8日に起こったシカゴ大火(死者250 人)から40 周年に際し、改めて火災予防の必要性を一般に認識させようと、北米ファイヤーマーシャル協会の提案に基づいたものですが、その後、前述の火災予防週間に変わっています。

 日本での火災予防運動の期間は、その後、何度か変更されていますが、平成元年からは、春の火災予防運動は、「消防記念日を最終日とする一週間(3月1日~7日)」、秋の火災予防運動は、「119番の日を初日とする一週間(11月9日~15日)」となっています。

 なお、「119番の日」は、火災を知らせる専用番号である119番にちなんだ記念日で、1月19日でもよさそうですが、実際の採用は11月9日です。

消防記念日

 消防記念日は、地域住民一人ひとりの火災予防思想の一層の普及を図り、火災の発生防止と高齢者等を中心とする死傷者の発生を大輻に減少させ、財産の損失を防ぐことを目的とするものです。

 消防記念日を、3月7日としたのは、消防組織法が施行されたのが昭和23年3月7日であるからです。国の消防行政は、太平洋戦争前までは警察組織の一部に組み込まれていましたが、戦後の行政改革で警察行政から切り離され、原則として市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務付けられました。

 このような大きな変革を記念し、2年後の昭和25年(1950年)に国家消防庁(現在の消防庁)が「消防記念日」を3月7日に決めたのですが、全国統一防火運動のきっかけとなった90年前の北丹後地震が発生した日でもあり、このことも意識していたのではないかと思います。

 というのは、消防法(昭和23年(1948年)法律第186号)が制定された7月24日など、消防記念日の候補は、他にもあると思われるからです。

寒さが続いた今年は延長が必要

 気象庁およびその地方組織は、気象の状況が火災の予防上危険であると認めるときは、その状況を直ちにその地を管轄する都道府県知事に通報しています。これを火災気象通報といいます。

 都道府県知事は、気象庁から火災気象通報を受けると、直ちにこれを市町村長に通報すること、通報を受けた市町村長は、気象の状況が火災の予防上危険であると認めるときに「火災に関する警報」を発することが決められています。市町村長から火災警報が発表されたときは、火事を絶対に出さないために最大限の注意が必要です。

 火災の危険があるのは、春の火災予防運動期間、秋の火災予防運動期間の合わせて2週間だけではありません。

 特に今年は、寒さが続いていたため、例年より山に人が入る時期がおくれていますので、山火事の危険がでてくるのはこれからです。

 今年は、春の火災予防運動の延長が必要という認識が大事です。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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