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「南海地震」と「南海トラフ地震に関連する情報」

饒村曜気象予報士
広村堤防(著者撮影)

東南海地震と南海地震

 「東海地震」「東南海地震」「南海地震」「日向灘地震」といった南海トラフと呼ばれる海溝で発生する地震は、西日本が乗っているユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが年間数センチの速度で沈み込むことでひずみのエネルギーがたまり、そのひずみが100から150年ごとに限界に達して発生しています(図1)。

図1 東海道・南海道沖における巨大地震発生年
図1 東海道・南海道沖における巨大地震発生年

 南海トラフをいくつかの領域に分けると、どの領域も周期的に地震を発生させており、規模の大きな地震は、複数の領域にまたがって発生しています。東海地方に一番近い領域Eでは、最近地震が発生していませんが、いつかは地震が(東海地震)発生することになります。

 昭和19年(1944年)12月7日に東南海地震が発生し、死者998名などの大きな被害が発生しました。熊野灘一帯に大きな津波が発生し、三重県、愛知県、静岡県を中心に、死者数が1223名に達したとも言われていますが、太平洋戦争中であること、戸籍が津波で流されたことなどから被害の詳細は今でもわかっていません。

 その約2年後の昭和21年(1946年)12月21日に南海地震が発生しています。大津波が発生し、高知県、徳島県、和歌山県を中心に死者・行方不明者1330名、家屋被害3万5000戸という大きな被害が発生しています。

 南海トラフ東部で発生する巨大地震は連動することが多く、昭和東南海地震と昭和南海地震の差は2年でしたが、前回は嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に安政東海地震が、翌11月5日(12月24日)に安政南海地震が発生しており、差は32時間でした。

 なお、嘉永7年は自然災害が相次いだことなどから改元されて安政となっています。当時は、改元すると1月1日に遡って適用されていますので、嘉永7年に発生した南海地震は、安政南海地震と呼ばれます。

 平成31年(2019年)4月30日に平成が終わり、翌5月1日から新しい元号になることが決まりましたが、改元の日から新しい元号を使っていたのは、これまで、大正と昭和だけです。慶応4年9月8日(1868年10月23日)に明治と改元が決まりますが、慶応4年1月1日(1868年1月25日)に遡って適用となっています。    

稲むらの火

 戦前の日本では、師範学校で使われた英語の読本「A living god(生ける神)」や、尋常小学校の国語読本「稲むらの火」によって、事実上の防災教育が行われていました。これらの本のモデルとなったのは、紀伊国有田郡広村(現在の和歌山県広川町)の豪農で、関東の醤油業(現在のヤマサ醤油)で財をなした浜口儀兵衛(梧陵)が安政南海地震のときにとった行動です。

 広村では、嘉永7年11月4日(1854年12月23日)四つ時(午前10時)に強い揺れを感じたあと、津波が押し寄せています(安政東海地震)。このとき、浜口儀兵衛は、昔からの伝承によって大地震のあと津波が来るとして村人を高台にある八幡神社境内に避難させています。そして、夕刻には津波が治まったものの、民家のほとんどが無人となったことから、盗難や火災防止のために強壮の者30余名を3分し、終夜村内を巡視させています。

 翌日、村人たちは自他の無異を喜び家路についていますが、七つ時(午後4時)に、前日とは比べることができない激しい揺れと大きな津波が村を襲っています(安政南海地震)。逃げ惑ったりしているうちに日は暮れています。ここで、浜口儀兵衛は、従者に路傍にあった稲むら(刈り取った稲を積み上げたもの)に次々に火をつけさせ、逃げ惑っている人が高台に避難するための道しるべとしたのです。このため、多くの人の命を救ったのですが、浜口儀兵衛の功績はこれだけではありません。

 次にくるであろう南海地震に備え、堤防を作ったのです。この堤防が92年後の昭和南海地震の津波から、住宅街を守っています。浜口儀兵衛は未来の人も助けたのです。

 そして、浜口儀兵衛が津波に立ち向かい、少しでも被害を減らすことができた地震であることから、安政南海地震が発生した11月5日は「津波防災の日」となっています。

    

地震の予知

 地震の予知が出来れば被害を軽減できることはいうまでもなく、地震が多い国土に住む日本人にとって最も関心が高いことの一つです。地震予知というからには、場所、規模、時を前もってかなりの確度で分かるというものでなければなりません。

 南海トラフに関する海溝型の巨大地震は、周期的に発生していますので、場所と規模は、ある程度推定できます。最も離しいのは、時です。誤差が周期の1%で予知できたとしても、1年以上の誤差の予知となります。その間、普段通りの生活を止めるのは、事実上無理です。

 また、科学的に予知をするためには、地震に何らかの前兆がなければ予知はできません。南海トラフに関連する地震については、南海トラフが陸地に近いところを通っており、特にその東端は陸域かかっていますので、精密な観測機器を多数設置することが可能です。

 そして、東端からの地震である東海地震がしばらく発生していないこともあり、前兆現象を捉えて予知の可能性が高いと考えられています。

 このため、気象庁では直前予知を前提とした東海地震に限った情報発表体制を整えてきました。

 しかし、平成29年(2017年)9月末に政府の作業部会が「確度の高い予測は困難」とする報告書をまとめていますので、首相が発表する東海地震の警戒宣言は、運用凍結となっています。

 気象庁は、平成29年(2017年)11月1日より、「南海トラフ地震に関連する情報」を発表することとし、内閣総理大臣に対する東海地震の警戒情報を運用凍結にしています(表)。南海トラフ地震に関連する情報は、直前予知できる前提からできない前提の運用へと大きく変更となりました。

表 「南海トラフ地震に関連する情報(臨時)」の流れと発表内容
表 「南海トラフ地震に関連する情報(臨時)」の流れと発表内容

ケーブル式海底地震計

 東海地震の直前予知が難しいことがわかってきて、巨大地震に対する地震防災が一歩後退したような印象をあたえます。しかし、南海トラフに関していろいろなことが分かってきた結果であり、「南海トラフ地震に関連する情報」は、地震防災の進展です。

 一方で、巨大地震発生直後に、大きな揺れの来る前に地震発生を伝える緊急地震速報の技術や、大きな津波の襲来を少しでも早く伝える技術は急速に進んでいます。 

 地震が起きると、地面の中を地震波(揺れ)が伝わってきますが、地震波には時速約7キロメートルの比較的弱い揺れ(P波)と、時速約4キロメートルの強い揺れ(S波)があります。速くて弱い揺れを地震計で捉えコンピューターで分析すると、地震の規模や震源の位置、地域別の最大震度が予測でき、これを素早く事業者や住民に伝え、被害を軽減させるのが緊急地震速報で、気象庁が一般向けに提供し始めたのは10年前の平成19年(2007年)10月からです。

 平成28年(2016年)4月の熊本地震などの直下型地震では緊急地震速報発表から強い揺れまでの時間が短く、対応が間に合わないのですが、海溝型の巨大地震では、震源域の近くで地震観測が行われていれば、その観測データを使って緊急地震速報を強い揺れがくる前に発表することができます。このためケーブル式海底地震計が設置されています。海の中は電波が通らないため、海域での地震観測は、かなりの経費がかかりますが、陸上からケーブルを海中に伸ばすという方法がとられているのです。

 日本で海底地震計が最初に設置されたのは、昭和54年(1979年)。気象庁が静岡県御前崎から東海沖に設置したもので、地震計4台から構成されています(図2)。手本のアメリカの海底地震計が半年で役目を終えたのに対し、気象庁の海底地震計は設計寿命をはるかに越え、約40年後の今でも観測が続いており、貴重な観測装置としで、使えなくなるまで使うことになっています。そして、平成20年(2008年)7月には、新しいケーブル式海底地震計と津波計が、御前崎から東海沖を通って紀伊半島の南東海上まで、全長220キロメートルにわたって設置されています。

図2 気象庁のケーブル式海底地震計
図2 気象庁のケーブル式海底地震計

 海底地震計や津波計を設置しているのは、気象庁だけではありません。防災科学技術研究所は、東日本太平洋沖に「日本海溝海底地震津波観測網(S-net)」と紀伊半島-四国東部沖合に「地震津波監視システム(DONET)」を構築しています。防災科学技術研究所は、海の巨大地震を素早くとらえ、緊急地震速報や津波警報の精度を向上させることを目指していますが、観測データは即時に気象庁にも伝えられ、緊急地震速報や津波予警報の発表に役立っています。

 平成29年(2017年)10月30日に本州のJR3社と防災科学技術研究所は、太平洋海底で捉えた地震データを鉄道の安全運行のために利用する協定を結んでいます。これにより、東北新幹線と上越新幹線は平成29年(2017年)11月から、東海道新幹線と山陽新幹線は平成31年(2019年)の春ごろから、海溝型の巨大地震が発生した場合は、大きな揺れが来る前に緊急停止させる体制ができつつあります。

 地震の予知は難しく、防災対策が十分できなくても、緊急地震速報などの減災対策によって、人的被害を少なくすることができます。防災対策が難しいので結果的に何もしないというのが最悪です。

 少しでも災害を減らそうという努力の積み重ねが人的被害を大きく軽減させると思います。

図1、図2、表の出典:饒村曜(2017)、南海トラフ地震に関連する情報(直前予知できる前提からできない前提の運用へ)、雑誌「近代消防」、近代消防社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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