南シナ海で消えた台風観測機
危険な観測
アメリカ軍は、終戦直後から昭和62年(1987年)の台風11号まで、飛行機による台風観測を行っています。
初期の台風観測には、戦争が終わって不要となった大型爆撃機「B29」を改良した、「WB29」が主に使われました。
長い航続距離と成層圏まで飛べる頑丈な機体、そして、爆弾を積む広いスペースを持っていたからです。爆弾を積む代わりに、多くの観測機器を積むことができました。そして、観測するのにちょうどよい速度のプロペラ機でした。
この時代には、台風観測中にたびたび墜落したといわれていますが、詳細はつまびらかではありません。東西冷戦が始まっていたからかもしれません。
昭和30年(1955年)頃から、大型爆撃機「B50」を改良した「WB50」が、昭和35年(1960年)頃から、大型輸送機「C130」を改良した「WC130」が使われるようになっています。その後、大型機はジェット機が主力となり、「C130」の後継機がなかなか見つからなかったこともあり、長いこと「WC130」が使われました。
その後、台風観測を安全に行う方法が確立されたこともあり、台風観測中の墜落事故がほとんどなくなっていますが、ゼロではありません。
昭和49年(1974年)の台風23号
昭和49年(1974年)の台風23号は、10月8日に発生し、発達しながら西進してフィリピンに975ヘクトパスカルの勢力で上陸しています。
その後、台風23号は、南シナ海を980から985ヘクトパスカルの勢力で西進しています。
南シナ海の台風23号に対して、10月12日、グアム島から「WC130」が観測のため飛び立っていますが、台風の北半分の観測を示す周辺資料の報告を最後の交信として、帰らざる機となっています(図)。
アメリカ軍の合同台風警報センター(JTWC)の1974年の報告書には次のような記述があります。本文中にある「Bess」は、台風23号の名前です。
気象衛星の登場
気象衛星が登場するまで、飛行機で太平洋上をくまなく探査し、台風の卵である熱帯低気圧をみつけていました。そして、発見した熱帯低気圧の周囲を精密に観測する方法がとられていました。
気象衛星の登場で、熱帯低気圧の発見が容易になり、飛行機観測が効率的に行えるようになりました。
そして、気象衛星の観測データから、台風の強さなどの情報を抽出する技術が開発・実用化されてきました。
気象衛星の観測で、飛行機観測を代替できることがわかると、「WC130」に替わる新しい機種が見つからないこともあり、昭和62年(1987年)10月1日(アメリカの1988会計年度の始まる日)より、費用がかかって危険な飛行機による台風観測を廃止しています。
このため、昭和62年(1987年)8月14日にフィリピンの東海上で発生し、西進してフィリピンに上陸した台風11号に対して、のべ9回行われた観測が、北太平洋における定常的な飛行機観測の最後となっています。
図の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。