災害直後には普段考えられない協力までする、日本の伝統の継続を
災害直後の被災地
熊本地震が発生し、大きな災害となってから1年が経過しました。
熊本地震のときもそうでしたが、日本の災害直後の秩序だった協力体制を、海外メディアは驚きをもって伝えることが希ではありません。
海外では、災害が発生すると略奪など治安の悪化が深刻となり、まず、治安維持が最優先課題になるからです。その国の軍隊が支援に駆けつけても、大半は警備のための人員として活動し、被災者への直接支援はごく一部の部隊です。
これに対し、自衛隊が災害派遣されるときは、ほとんど全員が被災者への直接支援の部隊です。そして、過去の度重なる災害出動の経験から、必要な装備を持って駆けつけています。
被災地では順番に並んで支援物資を受け取るなど、秩序をもって被災者どうしが協力しあうだけでなく、普段なら考えられない協力までするのが、日本の伝統です。
普段なら考えられない協力
平成7年1月17日の阪神・淡路大震災のとき神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の予報課長でした。
そこで、キリスト教とイスラム教、韓国人と朝鮮人など、普段なら考えられない協力を見たり聞いたりしました。
神戸海洋気象台の近くにあり、教会建築のシンボルと言われた栄光教会は、地震によって崩れるなど、地震によって多くの宗教施設が被害を受けています(図1、図2)。
また、神戸市中央区にある中山手カトリック教会は、石造りの聖堂(大正12年建造)の内部が崩れて使用できなくなっています。このため、地震後初めての日曜日である1月22日は、近くの神戸パプテスト協会でミサを行っています。同じキリスト教とはいえ、異なる宗派の教会でのミサは普通ではありえません。また、地震で被害を受けなかった同じ建物を、キリスト教信者とイスラム教信者が時間でわけて使用する例もありました。この他、遺骨の保管場所と避難場所が一緒というケースが続発し、みかねた寺院が、犠牲者の遺骨を宗派の区別なく一時預かりをするケースが相次いでいます。
また、在日本大韓民国民団と在日朝鮮人総連合会が協力しあって炊き出しを行っている避難所も数多くありました。
阪神・淡路大震災では、普段考えられない怨讐を超え助け合いが数多く見られました。
政府が扱いに困った暴力団の行動
決して暴力団を肯定しているわけではありませんが、神戸を本拠とする暴力団は地震直後にボランティアを行っています。私が見たある組長宅の前では、寒ぞらのもと、数人が手分けをしてオデンや焼きそばを作り、道行く人に生活必需品とともに配っていました。組の名前を示すものは何もなく、奥ゆかしいボランティアのように見えました。海外メディアが「ジャパニーズマフィアがボランティアをしている」と驚きの報道をしたときの話です。
地震直後で、交通機関が全て使えず、物資は遠い道のりを歩いて運ぶしかないときの話です。組長のためにと組員が担いできた物資は、暴力団幹部がニュースで語った「行政が駆けつけるまでは困ってる人がいたら我々が面倒をみる」ということで使われ、「売名行為であろうと、本当に困っているときなので助かった」と受け取っている人が多かったと思います。
暴力団を取り締まっている政府は、この行為の扱いに非常に困ったという話をあとで聞いたことがありますが、当時の私は、「組員が行動をしたことで感謝されるという実感をもって過去を精算してまっとうに生きてくれたら」と感じました。感傷かもしれません。
時がたつにつれ協力体制は難しい
阪神・淡路大震災の発生直後は、普段は考えられない協力までしているのですが、時がたつにつれ、その協力が崩れています。何かあって崩れたというより、自然に風化です。
4月14日に熊本地震の大きな前震、16日に熊本地震が発生してから1年がたちます。
災害発生直後の協力体制を思いだし、その協力体制を継続できたら、復旧という元に戻るのではなく、復興という元より良い世の中になるのではないかと思います。