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天気図を毎日作るきっかけとなったクリミア戦争時の嵐

饒村曜気象予報士
ヨーロッパの地図(提供:アフロ)

天気図を国の組織で作り、それを印刷発行した最初の国にはフランスで、クリミア戦争がきっかけとなっています。

戦争中に軍艦が暴風で沈没

1853年7月にロシア軍がオスマン帝国の自治区に独立支援を名目に進入することで始まった戦いは、フランスとイギリがオスマン帝国側につくなどして拡大し、クリミア戦争と呼ばれるように、黒海北部のクリミア半島を中心に争われました。

その最中、1854年11月14日、黒海にいたフランスの軍艦「アンリ四世号」が暴風で沈没しています。

嵐はスペインからきた

最新鋭の軍艦の沈没は、フランス政府に衝撃を与え、フランスの天文台を中心を各地の気象観測データを集めて調査が行われました。

その結果、11月10日にスペインのイベリア半島で発生した低気圧が、12~13日にオーストリアで発達し、14日に黒海を襲ったことが分かりました。

図 「アンリ4世号」を沈めた嵐の経路
図 「アンリ4世号」を沈めた嵐の経路

定期的に天気図を作って変化を追跡していけば、暴風の襲来を予想できて、被害が防げることが分かったのです。

毎日の天気図の作成

フランスで天気図が毎日作られ、天気予報が始まったのは、1858年のことです。

それから25年後の1883年(明治16年)3月1日には、日本で最初の天気図が作られ、暴風警報の発表が始まり、翌年には天気予報も始まっています。

幕末から明治維新という激動の時代を挟んでの、トップのフランスから25年後です。先進各国からはそれほど遅れていません。

最新の事業を急いで取り入れようとする、先人たちの意気込みを感じます。

図の出典:饒村曜(2002)、気象災害の予測と対策、オーム社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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