東パキスタンを襲い、バングラデシュを誕生させたサイクロン
熱帯低気圧で多くの人命が失われるときは、高潮をともなった時と言われています。バングラデシュがパキスタンの一部で、東パキスタンと呼ばれていた昭和45年11月13日、サイクロンによって起きた高潮によって死者16万5000人(パキスタン政府発表)という大きな被害が発生しています(図1)。
インド洋の発達した熱帯低気圧はサイクロン
サイクロンは、インド洋及びオーストラリア近海で発生・発達した熱帯低気圧です。発達した熱帯低気圧が多いのは、一般的には夏(北半球なら7~9月、南半球なら12~3月)ですが、北インド洋では、夏のモンスーンの始まりである春(5月)と終わりである秋(10~11月)に多いという2つのピークがあります(図2)。
夏のモンスーン期間の北インド洋では、上層は強い東風、下層は西風と風の鉛直方向の差が非常に大きいために熱帯低気圧が発達しにくいからです。とはいえ、対流活動が活発な夏は、モンスーンによる大雨が頻発します。
パキスタンからの分離・独立
高潮の大災害から1ヶ月後の12月に行われた総選挙では、東パキスタンの自治権を主張するアワミ連盟の圧勝、それに続く内戦、第三次印パ戦争をへて、翌46年12月にバングラデシュとしてパキスタンから独立しています。
この大きな政治の流れの中に、サイクロンによる大災害の影響が大きかったと言われています。
昭和60年5月にバングラデシュを襲ったサイクロン
バングラデシュは、南東部のチッタゴン丘陵を除き、平均標高がわずか9メートルの平野からできている国です。
新しい国になっても、サイクロンの高潮によって大きな被害がでる可能性は変わりません。
昭和60年5月24日には、中心気圧975ヘクトパスカル、最大風速30メートル毎秒と推定されているサイクロンが上陸し、高潮によって4万人とも5万人ともいわれる多くの人命が失われています。
このときのサイクロンは、静止気象衛星「ひまわり3号」が、かなり斜めからですが、撮影しています。
バングラデシュと日本
バングラデシュの国旗は、緑の地に赤い丸と、デザインは日本の日の丸に似ています。
バングラデシュは日本といろいろな点で異なっているとはいえ、海岸近くの低地に多くの人が生活していることも似ていますので、高潮に対する潜在的な危険性は同じです。
日本は、バングラデシュに対して気象事業の構築や、高潮避難用の丈夫な建物の建設などの援助を行っていますが、ここでの経験は、日本の高潮防災対策にも生きています。
図1、3の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。
図2の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。