予測不能な豪雨災害と自助・共助・公助の限界 新しい防災のあり方を考える

九州を襲った豪雨により被災した住宅(写真:ロイター/アフロ)

熊本県を中心に全国各地に大きな被害をもたらした令和2年7月豪雨では、気象庁の予想を大幅に上回る豪雨が降り河川が氾濫するなど、予測精度の難しさが浮き彫りになりました。線状降水帯の発生する範囲や持続時間の予測は現状では極めて難しいようです。また、令和2年7月豪雨は東シナ海の上空から九州に流れ込む水蒸気が大雨を引き起こしましたが、気象庁の会見によると「東シナ海上に観測点がないため、予測に使えるデータが十分ではなく、気象衛星による観測で大気下層の水蒸気を捉えることも難しいのが現実」とのことです。

https://www.risktaisaku.com/articles/-/36931

天候は予測できていない

私たちは日々の天気予報を見て、天候は予測できるものだと信じています。しかし、実際には、いつ、どこで、どのくらいの大雨が降るのかを正確に予測することは、かなり難しいのです。そのことが、多くの住民には理解されていないため「この天気は危険だ」と認識するのが遅れ、豪雨災害の度に逃げ遅れが発生しています。

令和元年東日本台風でも、その進路や台風の大きさについては天気予報を見ることで危機感を持っていた人はかなりいたはずですが、あれほどの大雨が降ることはほとんどの人が予測していなかったことでしょう。防災学の権威である関西大学社会安全学部・社会安全研究センター長の河田惠昭氏も指摘していることですが、私たちは災害を予測すらできていないわけです。

私たちは災害を予測すらできていない(リスク対策.com)

実際、坪木和久・名古屋大学宇宙地球環境研究所教授(気象学)によれば「19号の東側に、南から水蒸気が流れ込む『大気の川』(水蒸気帯)ができ、熱帯から多量の水蒸気を持ち込んだと考えられる」とのこと。「大気の川」は2015年の関東・東北豪雨でも発生し、鬼怒川の氾濫を引き起こしていると坪木氏は指摘していますが、やはりその予測は難しいようです。

災害の予測・予防・対応

こうした予測が難しい災害に私たちはどう立ち向かえばいいのでしょうか?

林春男氏(放送大学客員教授/防災科学技術研究所理事長)は、「レジリエンスを高めていくには予測力、予防力、対応力の3つの要素が必須」としています。

※「コミュニティがつなぐ安全・安心」林春男著(放送大学教材)より

「予測力」とは『「いつ」「どこで」「どのくらいの規模」のイベントが起こるのかを事前に確率論的に推定すること』です。その予測が難しいというのが近年の災害の特徴です。ただし、ハザードマップのような中長期的な影響度の予測は有効です。今回の熊本県球磨川の氾濫もほぼハザードマップ通りの被害をもたらしました。その意味では、最低でもハザードマップは見ておくべきです。

「予防力」は、予測された被害の影響を防ぐためのもので、回避(そもそも災害が起きる場所に住まないなど、リスク自体を無くすこと)、低減(河川を整備するなど、起きた場合の影響を小さくする)、移転(保険)などの方法があります。回避は、水害や土砂災害の危険な場所に建物を建てないようにする法制度ができれば効果があるかもしれませんが、すでに多くの建物が建っていることからすぐに効果は期待できません。低減については治山ダムの建設や堤防の強化により大きな効果を期待できるでしょうがやはり時間がかかりますし、予算の制約もあります。したがって、予防も簡単にはできません。

最後に、被害が防ぎきれずに顕在化した時は「対応力」が求められることになります。対応は、災害によってもたらされた新しい現実に対し、発災前のような状況に戻す復旧と、新しい現実に適用できるように発災前の仕組みを変える復興がありますが、まずは自らの命を守るという初動対応が求められます。

自助・共助・公助の限界

この初動対応は、自助、つまりは自らが自らの命を守れるようにすることが何より大切ですが、高齢化や核家族化などにより一人暮らしの高齢者や、高齢者だけの世帯が増えており、限界がきつつあります。

共助についても、中山間地では、過疎化により限界集落ともいわれるような地域が増え、やはり限界を迎えています。そして、公助についても、特に中山間地の小規模自治体は人手が足りず、防災担当者は数名しかおらず、さらに現在は新型コロナウイルスの対応に追われていることもあり、防災や災害対応にまで手が回らないというのが実情でしょう。

つまり、自助も共助も公助も限界を迎えているわけです。

では、こうした状況の中で、これ以上、災害による被害が出ないようにするにはどうしたらいいのか? 

大雨が落ち着いた今こそ、そのことをしっかり考え、これまでの対策と対応を振り返り、台風シーズンに備えるべきだと思います。

限界を補う3つの方策

さて、災害時に住民避難が遅れることはここ数年に限ったことではなく、ずいぶん前から問題とされてきました。避難に関する制度は何度となく変更され、今年も、市町村が住民に出す避難情報のうち、「避難勧告」を廃止し「避難指示」に一本化する方針が政府から示されるなど、大きな改定が予定されています。しかし、この制度改革だけによって予測・予防の限界や、対応における自助・共助・公助の限界をカバーできるとは思えません。

【災害時の負担を少しでも少なくする】

解決方法の1つは、災害時にやることを少しでも事前にやっておくということが考えられます。内閣府プロジェクトで、被災者に対して「災害の一日前に戻れたら、あなたは何をしますか」と聞いて、その回答をシリーズで紹介する「一日前プロジェクト」というものがありますが、事前にできることはやっておくことが大切です。

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/keigen/ichinitimae/index.html

危機管理には、さまざまな定義がありますが、私は、危機が発生した際に、危機への対応の負担を少しでも減らせるようにすることが危機管理の要諦だと考えています。

自助でいえば、災害時に大雨になったらもう動けないわけですから、最低でも、自分がいる場所の危険性をハザードマップなどで知っておく、避難の場所を探しておく、災害情報は常に入手できるようにしておく、持ち出せる備蓄をしておく。

共助の立場からいえば、災害時に皆で集まって逃げるかどうか判断もできないわけですから、あらかじめ集まって地域の危険性を一緒に考えておく、どういう状況になれば逃げるか基準を決めておく、お互いの連絡網を作っておく。

公助でいえば、災害時に避難情報を出しても皆動けないわけですから、平時のうちに、土砂災害や河川洪水などの被害に遭いそうな危険な地域については直接訪問し、事前対策や災害時の行動を伝えるということです。

時間のゆとりのある平時なら、自助も共助も公助も、まだまだできることはたくさんあるはずです。

【あらゆる縁の力を使う】

それでも限界はあります。繰り返しになりますが、共助と公助も、少子高齢化や過疎化によりコミュニティそのものが崩壊しかけているからです。

その際、自助・共助・公助に新たに「縁助」を加えることが重要だと私は考えています。

縁助とは、地縁、血縁、職縁、酒縁…、学校での先生や友だち、お店と顧客、趣味、ネット交流、さまざまな結びつきの「ご縁」を防災力に生かしていくことが重要だと思うのです。

【避難を文化にする】

新型コロナウイルスに関しては、ソーシャルディスタンスやマスクの着用、手指の消毒が新たな文化として定着しつつあります。同じように、河川の近くについては、日頃から浸水危険地域であることを可視化し、防災行動を呼び掛けていくことはできるはずです。それができていたのが釜石の奇跡だったのではないでしょうか。

キューバに学ぶ防災文化

キューバという国は経済的に貧しい中でもハリケーンに対する死者率が極めて低いことで世界から注目されているようです。

※「防災対策キューバに世界が注目するわけ」中村八郎・吉田太郎著(築地書館)より

その理由は、国の制度であったり、情報システムであったり、さまざまな工夫がされているようですが、彼らが最も力を入れているのは教育ということです。毎年のように上陸して多くの被害をもたらすハリケーンに対して、子供の頃から、避難することの重要性を教育の中で教え、文化にしているわけです。

河田惠昭氏は「文化は人間の知恵から生まれた行動を習慣化したもので、それを作り出すのは教育以外ない。今の学校で教えているような数字を覚える教育ではなく、命を守る教育が求められる」と災害文化を築いていく必要性を強く訴えています。

防災は、大人が子供に教えるだけでなく、子供が大人に教えることもできます。高齢者が先生になることもできる。それぞれの立場で、見えているリスクが異なるので、どのようなことが危険か、どうすればそのリスクを少しでも減らすことができるかを、お互いに教え、学び合うことができます。ある時は先生、ある時は生徒です。民主主義でいうところの「治者・被治者が同一である」という原則と同じように、謙虚に、かつ、「教える・学ぶ」両方の立場から経験を重ねる中で、本当の当事者意識が芽生えてくるのだと思うのです。