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「2011年の債務危機」の悪夢再現か:イエレン財務長官が債務上限額引き上げを議会に要請、共和党は拒否

中岡望ジャーナリスト
債務限度額の引き上げを求めるイエレン財務長官(写真:ロイター/アフロ)

■ イエレン財務長官が議会に送った書簡の内容

 2023年1月13日付でイエレン財務長官はケビン・マッカーシー下院議長宛てに2ページの書簡を送った。書簡は「一般法117-73号によって、2021年12月16日に債務の法的上限額は31兆2810億ドルに引き上げられた。ご承知のように、債務上限額はアメリカ政府が既存の法的な義務(社会保険費、低所得者医療保険、軍人の給与、財務省証券の利払い、税還付などの支払い)を履行するために認められている借入限度額の総額です」という説明から始まり、「私は下院議長にアメリカ合衆国の債務残高が法律で定められた上限に2023年1月19日に達すると予想されることを報告するために本書簡を書いています。ひとたび債務の上限に達すると、財務省は財務省証券のデフォルト(債務不履行)を回避するために、「異例な対策」を取らなければなりません」と、債務限度額引き上げが必要であると訴えている。ちなみに現在の上限額の約31兆ドルは2021年12月15日に議会で承認されたものである。

 イエレン長官は、「異例な対策」として2つの対策を指摘している。最初の対策は、公務員退職・障害基金(CSRDF)と退職郵便局職員健康基金(Postal Fund)に積み立てている資金を取り崩すか、新規の積み立てを中止すること。2つ目の対策は、連邦職員退職金口座が保有する政府証券投資基金(G Fund)の再投資を中止することである。要するに政府が所轄する公務員の年金資金を流用するか、流出を減らすことで、財務省の資金繰りをつけるということである。イエレン長官は「議会は財務省にこうした対策を講じる権限を与えており、過去において財務長官はその権限を行使し、財務省は連邦政府の運営に関する費用を調達してきた」と説明している、

 そして「政府債務の不履行が起これば、アメリカ経済、すべてのアメリカ人の生活、国際的な金融の安定に取り返しのつかない損害を与えることになる」と警告し、「実際、2011年にアメリカ政府が債務不履行に陥る可能性があることで財務省証券の格付けの引き下げなどの実際に被害が発生している」と、債務不履行に陥った時の問題を指摘している。

 さらに、債務限度額引き上げは歳出増に結びつくと反対する共和党議員に向かって、「債務限度額の引き上げは、新しい歳出を承認したり、納税者に新たな金銭的負担を強いるものではない。単に議会や大統領が過去に作り出した既存の債務を履行することを政府に認めることである」と、債務限度額の引き上げは財務省の“資金繰り”の問題であると強調している。書簡の最後に「私は、議会に対して、合衆国の十分な信頼と信用(full faith and credit)を守るために迅速に行動を取ることを要請する」と結んでいる。

■ 債務限度額引き上げが認められないと何が起こるか

 政府も家計もお金に関して変わりはない。資金が足りなくなれば、預金を取り崩すか、借金をするしかない。政府は所得税などの歳入を得て、様々な政策を実現したり、政府機関を運営するために歳出を行う。ただ歳出と歳入がいつもタイミング的に一致するわけではない。歳入より歳出を先に行わなければならない事態が常に発生する。そうすると政府は国債(アメリカでは財務省証券)を発行して、不足する資金を賄う。財政規模は常に拡大しており、借入額も次第に大きくなっていく。

 アメリカでは1917年に財務省の債務限度額が設定され、限度額に達した場合、議会の承認を得て、限度額の引き上げが行われてきた。債務限度額引き上げは1960年以降、78回行われている。特別な政治的状況でもない限り、議会は債務限度額の引き上げを自動的に認めてきた。イエレン長官が書簡の中で指摘しているように、債務限度額引き上げは過去の政策に基づいて調達された借入であり、新規の歳出を伴うものではない。したがって債務限度額問題は基本的には政治的な対立を引き起こすものではない。

 もし債務限度額の引き上げが認められないと、どのような事態が起こるのだろうか。財務省にとって最優先する歳出は財務省証券の利払いである。もし利払いが滞れば、デフォルト(債務不履行)が発生し、財務省証券の格付けが引き下げられる。そうすると財務省は財務省証券の発行が難しくなったり、財務省証券の金利の上昇を招く。財務省証券の金利上昇は、イエレン長官が指摘しているように、金融市場に混乱をもたらしたらす可能性がある。

 歳出を削減するために最初に考えられるのは、前述した「異例な措置」を取ることである。さらに資金不足が続くと、政府はさらに進んで行政運営の経費を削ることになる。政府機関が閉鎖され、行政サービスが中断する。政府職員のレイオフ(一時解雇)も行われる。「政府閉鎖(government shutdown)」である。政府は、そうした事態を回避するために債務限度額の引き上げを議会に要請する。だが、過去には財政縮小を主張する共和党が引き上げに抵抗した例がある。

■ 2011年の「債務危機」が再来するのか?

 債務限度額引き上げが最初に政治問題となったのは1995年である。前年に共和党は中間選挙で下院と上院の過半数を獲得した。共和党党首のニュート・ギングリッチ下院議長はクリントン大統領に対して歳出削減を要求した。クリントン大統領は共和党の要求を拒否した。その結果、下院共和党は予算案の承認を拒否した。予算が成立しないことで、政府は支出ができず、同年の12月に政府機関は閉鎖に追い込まれた。議会が予算案を承認したのは翌年の1月後半であった。このケースでは債務限度額の引き上げではなく、予算案が成立しないため政府が閉鎖に追い込まれたものである。

 2011年にオバマ政権は債務限度額引き上げ問題に直面した。共和党は限度額引き上げの条件として財政赤字削減を要求した。リーマンショック後、財政赤字は拡大していた。議会は2010年の間に債務発行の上限額を14兆3000憶ドルに引き上げている。2011年、再び限度額に近づいたため、オバマ政権は議会の限度額の引き上げを求めた。共和党と政府の間で激しい論争が展開され、最終的に2011年8月に債務限度額の引き上げが承認され、デフォルトや政府閉鎖という事態は回避された。だが、政治的混乱を背景に格付け会社スタンダード・プァーズ社は財務省証券の格付けを「AAA」から「AA+」引き下げる決定をおこなった。米財務省証券の格付けが引き下げられたのは、初めてのことであった。

 今回、2011年の危機が繰り返される可能性が出てきている。今年の1月3日、新議会が始まった。昨年の中間選挙で共和党は下院の過半数を獲得し、下院の指導権を握った。下院議長にケビン・マッカーシー議員が就任した。共和党の保守派議員の多くはバイデン大統領に対して歳出削減を要求している。マッカーシー議長も後述するが、極右議員や財政保守派の共和党に同調する意向を示しており、債務限度額引き上げを認める条件としてバイデン政権に歳出削減を求める動きを見せている。

■ なぜ共和党は債務限度額引き上げに反対するのか?

 過去において債務限度額引上げを巡る政治対立が繰り返されてきた。だが、短期的に政府閉鎖が行われる事態があったが、懸念されたデフォルトは起こらなかった。あくまで共和党と政府の間の予算を巡る政治闘争のエピソードに終わった。ただウエブメディアの『AXIOS』は「今回は危機が本物になるかもしれない」という記事を掲載している(2023年1月12日、「Why debt ceiling risks could be real this time」)。同記事は「下院共和党は上院民主党とバイデン政権が大幅な政策譲歩を行わない限り、債務上限額引き上げを拒否するだろう」と書いている。さらに「それにより債務不履行が現実のものになるかもしれない。株式市場に大きなショックを与え、財務省証券の格付けを引き下げる契機となった2011年夏の膠着状況の再現が起こるだろう」とも指摘。さらにゴールドマンサックス証券のエコノミストの「1995年あるいは2011年の時よりもより大きなリスクが存在する」という発言を紹介している。

 下院議長選出は混乱をきたした。15回に及ぶ投票の結果、マッカーシー前共和党下院院内総務が議長に選出された。議長選挙の投票が複数回行われるのは1924年以来のことである。多数党の幹部が議長に就任する。マッカーシー議員の議長就任に反対したのは身内の共和党の極右議員であった。共和党は下院の過半数を占めたとはいえ、民主党との差はわずかである(共和党222議席、民主党212議席、欠員1議席)。過半数は218議席であり、もし共和党議員4名が離反すれば共和党は過半数を維持できなくなる。下院議長選挙が紛糾したのは、極右と評される議員20名がマッカーシー議員の議長就任に反対したためである。マッカーシー議員は反対派を抑え込むために多くの譲歩を行っている。極右議員はバイデン政権に対して予算削減を求めており、マッカーシー議長も極右議員の強硬な要求を受け入れざるを得ない状況に置かれている。マッカーシー議員の最大の譲歩は、一人の議員でも議長不信任案を提出することを認めたことだ。議長は常に極右議員の脅威にさらされることを意味している。

 マッカーシー議員の議長就任に反対した共和党のチップ・ロイ議員は「債務限度額引き上げと同時に歳出を削減するという約束をマッカーシー議長が守らなければ、我々が議長を排除することもありうる。マッカーシー議長に約束を守らせるために我々は下院を利用する」と語っている。マッカーシー議長も「同僚の下院議員は大幅な歳出削減がない限り、債務限度額引き上げには賛成しないだろう」と、極右議員に同調する発言を行っている。トランプ前大統領も、債務限度額引き上げ問題を“政治的な武器”として利用すべきであると背後から煽っている。

 多くの共和党員が主張しているのは医療保険制度のメディケアを始めとする福祉予算の大幅削減である。また共和党内の財政保守派議員は財政均衡を求めている。だが、これはバイデン政権にとって一歩も譲ることができない問題である。ホワイトハウスのカリン・ジャン=ピエール報道官は「議会はいかなる条件も付けず債務限度額引き上げを承認する必要がある。債務限度額引き上げを交渉の材料とする試みは機能しないだろう。この問題で人質を取ることはできない」と、共和党と真っ向から対立する構えである。

■ これから何が起こるのか

 前述のように、すぐに財務省の資金が尽きるわけではない。財務省は「特別措置」を活用したり、テクニカルな対応で一時的に資金繰りを付けていくことになる。とはいえ、最終的に債務限度額の引き上げが実現しない限り、資金が尽きることは間違いない。早ければ春先、遅くても夏には資金不足に対応できない状況になるだろう。利払いが滞ることはないにせよ、政府閉鎖が避けられない事態は十分に起こりうる。債務限度額引上げ問題が政治問題化すれば、金融市場にも大きな影響を及ぼすことになる。2011年のように財務省証券の格付けの引き下げが行われることになれば、ドル金利の上昇を招くだろう。

 ギングリッチ議長が最終的に予算案を認めたのは、政府閉鎖で国民の不満が高まり、批判の矢面に立たされたのが同議長であったからだ。2024年の大統領選挙と議会選挙も控えており、政治的妥協が難しい状況である。夏場にアメリカ経済がリセッションに陥っている状況であれば、債務限度額引き上げ問題が経済的に深刻な影響を及ぼす可能性も否定できない。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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