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保守派の期待を背負いバレット最高裁判事が誕生、女性の中絶権の見直しなど最高裁の保守化が加速するか

中岡望ジャーナリスト
上院で最高裁判事に承認され、トランプ大統領の前で宣誓するバレット最高裁判事(写真:ロイター/アフロ)

■ 最高裁の判決が大統領選挙に影響を与える

 10月26日、日本では報道されることのない最高裁の判決が下された。ウィスコンシン州が大統領選挙で郵便投票の締め切りを延期しているのは違法であると判断を下したのである。一見なんでもない判決だが、大統領選挙に大きな影響を与える可能性がある。新型コロナウイルスの蔓延で不在者投票や郵便投票が大幅に増えている。投票に関する規則は州によって異なるが、ウィスコンシン州では郵便投票の受付を投票日後6日まで延長する措置を取っている。新型コロナウイルスの蔓延や郵便の遅配で、多くの有権者が期日通りに投票できない状況を配慮した措置であった。共和党がこれに反対し、訴訟を起こした。

 最高裁の判決で同州では郵便投票の受付延長は認められないことになる。投票日を1週間後に控えての選挙ルールの変更は異例である。最高裁に政治的忖度が働いたと思われる。NBCは最高裁の判決を「激戦州で民主党は後退した」と書いている(”In Setback for Democrats, Supreme Court won’t let late mail ballots count in Wisconsin”、2020年10月27日)。郵便投票は民主党に有利であると見られている。これに対してトランプ大統領と共和党は、不正に行われる可能性があると繰り返し郵便投票や受付延長措置を批判していた。この最高裁の判決は前回の大統領選挙で勝利した激戦州で苦戦を強いられているトランプ大統領にとって追い風となることは間違いない。

 最高裁判決で同州では11月3日午後8時までに届かない郵便投票は集計されないことになる。激戦州では数千票の差で勝敗が左右される。前回の同州の大統領選挙ではトランプ候補がクリントン候補より2万3000票多く獲得し勝利している。現在の選挙状況はトランプ大統領に不利であり、期日に間に合わない郵便投票が集計から除外されることで選挙結果に重大な影響が及ぶ可能性がある。この判決によって、ウィスコンシン州では数万人の選挙権が奪われることになる。同州の民主党は有権者に期日までに届くように郵便投票を行うように呼び掛けている。

 最高裁は激戦州ノース・カロライナ州とペンシルバニア州の郵便投票の取り扱いについても審理を行っており、トランプ大統領に有利な判決がでる可能性が強い。激戦州の結果が大統領選挙の結果を決めるといっても過言ではない。裁判の中立性を信じる日本人にとって政治的な判断をする最高裁は理解しにくいかもしれない。こうした判決が出た背景には最高裁判事の構成がある。ウィスコンシン州の判決は賛成5、反対3で評決された。5名は保守派の判事で、3名はリベラル派の判事である。党派性の強い判決である。

■ 上院がバレットの最高裁判事を承認

 さらに最高裁の将来の方向を決める決定が26日に上院で行われた。それはエイミー・コニー・バレット連邦控訴裁判事が上院で新しい最高裁判事に承認されたことである。同判事は承認後すぐホワイトハウスで宣誓し、27日から最高裁の審理に加わる。バレット判事の就任で最高裁判事の6名が保守派になる。最高裁のさらなる右傾化は避けられない。

 今後、最高裁は「妊娠中絶問題」、「人種差別問題」、「投票権問題」、「銃規制問題」、「同性婚問題」、「宗教的自由問題」、「LGBTQ差別問題」、「オバマケア問題」など、保守派とリベラル派が激突している多くの問題に対する判断を下さなければならない。バレット判事の最高裁判事就任は最高裁の方向性を決定する重要な意味を持っている。

 特に注目されるのはトランプ大統領が選挙で敗北した場合に予想される選挙の合法性を巡る訴訟である。トランプ大統領は「大統領選挙の決着は最高裁で付けられることになるだろう」と語っている。トランプ大統領が期待を持って最高裁判事に指名したのが、バレット判事である。最高裁判事は保守派5人、リベラル派3人であった。バレット判事が加わることで、保守派判事は6人となる。ただ保守派のジョン・ロバーツ最高裁首席判事は”swing justice”と呼ばれ、案件によってはリベラル派に組む人物である。選挙不正を理由に訴訟が起これば、トランプ大統領の意を汲んだバレット判事が決定的な役割を果たすことになる。ロバーツ主席判事がリベラル派に付いても、バレット判事が加わったことで保守派は過半数の5人を確保できる。

 今後の最高裁の在り方に大きな影響を与えるとみられるバレット判事とは何者なのか。上院での承認に際して、なぜ民主党は必死の抵抗を行ったのか。以下、バレット判事の最高裁判事就任の問題点を明らかにする。

■ 紛糾したバレット最高裁判事の承認

 バレット最高裁判事承認は異例の速さで進んだ。上院司法委員会での公聴会は形式的に行われ、共和党は一気に上院総会での承認に突き進んだ。ワシントンの政治紙『Roll Call』は「バレットの上院の承認には(共和党と民主党の間に)緊張感はあったが、まるでドラマがなかった」と、共和党が民主党の反対を押し切り、機械的に承認を決めた様子が思い浮かぶ。

 なぜ共和党はそこまで急いだのか。それは共和党内に焦りがあったからだ。大統領選挙でトランプ大統領の劣勢が伝えられ、上院選挙も当初は非改選議員を含め、過半数確保すると見られていたのが、最近の状況では最悪の場合、共和党は上院で過半数を割る可能性が出てきたからだ。今、新最高裁判事を決めなければ、バイデン大統領と上院の過半数を獲得した民主党が決めることになる。保守派の戦略である司法を支配する思惑が、大きく狂ってくる可能性が出てきたからである。

 バレット判事の最高裁判事就任はアメリカの将来にとって極めて重要な意味を持つ。最高裁判事は9名で構成され、多数決で判決が下される。判事の任期は終身である。まったく異なった世界観を持つ保守派とリベラル派は最高裁を支配するために、自らのイデオロギーに近い人物を最高裁判事に登用しようと激しい争いを展開している。バレット最高裁判事の誕生によって、保守派の判事が6名、リベラル派の判事が3名となる。保守派が支配する最高裁は中絶や同性婚、銃規制、宗教的自由、選挙資金など両派が対立する案件で保守派の主張が実現する可能性が強くなると予想される。

 さらに大統領選挙で敗色が濃いトランプ大統領は、選挙不正が行われていると繰り返し主張している。トランプ大統領は、選挙で敗北した場合、大統領選挙の無効を主張し、訴訟を起こす可能性がある。連邦議会選挙も、下院のみならず、上院でも民主党が過半数を制する可能性がある。そんな状況下でトランプ大統領と共和党はバレット判事の最高裁判事承認を急いだ。選挙の正当性を巡る訴訟は最終的に最高裁の判断で決まる。極論すれば、保守派の判事が6名を占める最高裁が大統領選挙無効の判決を出す可能性は否定できないのである。

 10月26日、上院総会は52対48でバレット連邦控訴裁判事の最高裁判事就任を承認した。共和党のスーザン・コリンズ議員は反対票を投じているが、民主党議員は全員反対票を投じた。野党が脱落者ゼロという事態は151年ぶりのことである。上院での承認直後にホワイトハウスで宣誓式が行われ、バレット判事は第115代目の最高裁判事に就任した。5人目の女性最高裁判事で、最初のアイビー・リーグ以外のロースクール(法律大学院)卒業生である。27日からバレット判事は最高裁の審理に加わる。

■ バレット最高裁判事の誕生は「悪夢」か、「夢」か

 公共ラジオ局のNPRはバレット最高裁判事就任を「右派にとって夢であり、左派にとって悪夢だ」と表現している(”Amy Coney Barrett, “A Dream for the Right, Nightmare for the Left”, 2020年9月28日)。『ニューヨーク・タイムズ』は、バレット判事を「宗教的な保守主義者のヒーローである」と呼んでいる。

 バレット判事は敬虔なカトリック教徒で、7人の子供を持ち、大学教授であった。7人の子供の1人はダウン症である。ハイチから2人の子供を養子として受け入れている。15年間奉職していたノートルダム大学では学生に敬愛され、在職期間中に最優秀教授に3度選ばれている。毎朝4時に起きてジムに行き、さらに裁判官を務めるシカゴの連邦控訴裁判所に車で1時間45分かけて通った。仕事と家庭を両立させる“理想的な女性”である。裁判官としての資格も十分で、文句の付けようのない人物である。2017年にトランプ大統領に連邦控訴裁判事に指名されたときは、上院総会では55対43で承認された。

 では、なぜバレット最高裁判事の承認が紛糾したのか。なぜ保守派にとって彼女は“夢”であり、リベラル派にとって“悪夢”なのだろうか。

 トランプ大統領は2016年の大統領選挙でも、今回の大統領選挙でも、最大の支持者であるエバンジェリカル(原理主義者の福音派キリスト教徒)に対して最高裁判事には反中絶派の人物を選ぶと公約していた。バレット判事は、まさにトランプ大統領が求めていた人物であった。中絶に反対し、同性婚に反対する立場を取っていた。エバンジェリカルからの支持もある。

 またトランプ大統領と共和党が破棄を狙う医療保険制度「オバマケア」に関しても、最高裁が合法である判決を下した時、彼女は最高裁の判決を批判し、「オバマケアに反対する判事の主張の方が優れている」と発言している。近い将来、最高裁は1973年に女性の中絶権を認めた「ロー対ウエイド判決」や、同性婚などを巡る保守派とリベラル派が激突する係争で新たな判決を出す予想される。バレット最高裁判事の就任が、そうした裁判の判決に大きな影響を及ぼすことは間違いない。

■ バレット判事の政治的な立場

 バレット判事は極めて政治的な立場を取っている。たとえば2016年の大統領選挙の際、ジャクソンヴィル大学で行った講義の中で「もしヒラリー・クリントン候補が当選すれば、裁判所はイデオロギーで大きな流れの変化(Sea Change)を経験することになるだろう」と、クリントン候補に批判的な発言を行った。今度は自らが最高裁判事に就任することで、裁判所は大きなイデオロギー的なSea Changeを引き起こすことになる。トランプ大統領は最高裁判事を選ぶ基準は、「ロー対ウエイド判決」や「オバマケア判決」を覆す人物であると語っている。

 もう一つ大きな条件がある。今回の大統領選挙でトランプ大統領は劣勢である。かねてからトランプ大統領は選挙で不正が行われていると執拗に主張している。特に郵便投票は不正の温床であるとさえ語っている。こうした発言は、選挙で敗北すれば投票結果は不正であると訴訟を起こすための布石でもある。訴訟が起これば、最終判断を下すのは最高裁である。最高裁判事はバレット判事が加わったことで保守派は6名になり、そのうち3人はトランプ大統領が指名した判事である。そうした政治的、イデオロギー的な背景が、判決に影響を及ぼす可能性は十分にある。

 司法委員会の公聴会でコリー・ブッカー上院議員が「トランプ大統領は選挙で敗北した場合、平和裏に政権移行をしないと語っているが」と質問したのに対して、バレット判事は「大統領がそうした発言をしたというのであれば、その問題は政治的な論争となっており、判事として見解を述べるべきではない」と、極めて巧みに質問をかわしている。上院司法委員会の公聴会で、バレット判事は質問に対して真正面から答えることはなかった。

■ バレット判事と宗教の問題

 バレット判事の最高裁判事承認で問題になったのは、彼女の宗教である。宗教的な信念が裁判の判決に影響を及ぼすことが懸念された。2017年の連邦控訴裁判事承認を巡る公聴会で、ダイアン・ファインスタイン上院議員はバレット・ノートルダム大学教授(当時)に対して「どんな宗教であれ独自のドグマを持っている。法律とドグマは異なったものだ。あなたの心の中にドグマが大きな声を出しながら生きている」と、バレット判事の宗教上の問題を指摘している。信仰が厚ければ厚いほど、宗教が法解釈にも影響を及ぼす可能性がある。最高裁判事としての「独立性」と「公平性」が維持できるのかと、ファインスタイン議員は問うたのである。

 そうした懸念が出てきたのは、大学教授時代に書いた論文や発言に強い宗教の影響が見られたからだ。たとえば彼女は1998年に書いた論文のなかで「カトリック教徒の判事は死刑判決がでるような裁判に関わるべきではない」と書いている。判事としての仕事より、宗教的信念を重視する内容である。

 また2013年にノートルダム大学の同僚の教師たちと出した「反中絶」の新聞広告に名前を連ねている。その広告には「まだ生まれぬ胎児を法律で保護し、誕生が祝福されるべきだという私たちの要求を新たにする」と書かれている。アメリカでは中絶問題は深刻な社会的対立を引き起こしている。宗教的な立場から反中絶を訴える姿勢が、最高裁判事としてふさわしいかも問われた。今回の公聴会で宗教と法律に関する質問が出た。それに対して彼女は「宗教で法律を解釈することはない」と、無難に答えている。

 バレット判事の宗教が問題になったのは、彼女と彼女の家族が宗教コミュニティ「People of Praise」に長く所属していたからでもある。ただ連邦控訴裁判事候補に指名された際に同グループの名簿から名前は削除されている。メンバーはお互いに誓約し、お互いに忠誠を示し、一緒に暮らす。一緒に暮らすか、近い場所で暮らす。ヘッドと呼ばれるアドバイザーが存在し、重要な人生の決定に関して指示を出す。たとえば誰とデートをし、誰と結婚するのか、どこに住むのか、どんな仕事に就き、どこに家を買うのか、どのように子育てをするのかといった事柄について指示された。People of Praiseに所属していた人物は「このグループの結びつきは極めて強く、個人の判断を維持するのは難しい」と語っている。男性は外で働き、女性は家事と育児に専念すべきだというのがPeople of Praiseの教える伝統的な家庭の在り方である。多くの人は、そうした伝統的な教えの影響を受けた人物が最高裁判事の座に就くのはふさわしいのかと問うた。同組織はカルト集団と見られている。テレビ映画「A Handmaid’s Tale」は、People of Praiseをモデルにしているともいわれている。

 

■ バレット判事が直面する裁判案件

 ではバレット判事は、社会的対立を引き起こしている問題に対して、どのような考えを持っているのだろうか。以下で、バレット判事の考え方を検討する。

 中絶問題:バレット判事はカトリック教徒の立場から中絶に反対している。判事として極めて巧妙かつ政治的な立場を取っている。同判事は「ロー対ウエイド判決は既に空洞化しており、覆す必要はない」と発言している。

 アメリカの中絶禁止を巡る状況を説明すると、各州がそれぞれ様々な法案を成立させ、中絶を禁止したり、制約する動きを見せている。わざわざロー対ウエイド判決を覆すまでもなく、各州の中絶禁止や規制法を個別に成立させている。こうした州レベルの中絶に関する裁判で最高裁が判断すれば良いというのが、バレット判事の立場である。しかし、本音ではロー対ウエイド判決を「恥ずべきことである(infamous)」と決めつけている。公聴会でロー対ウエイド判決に関する立場を聞かれたとき、同判事は自分の立場を明らかにすることはなかった。上院の承認を得るために中絶問題に対して、他の紛糾しそうな問題に対してと同様に、「政治的問題に対してコメントしない」という姿勢を貫いた。

 連邦控訴裁裁判の時、バレット判事は未成年者が中絶を望むとき、医者は例外なく両親に連絡することを義務付ける法律を支持し、胎児の遺体の埋葬か火葬を義務付けるインディアナ州の法律は合憲であると主張している。アメリカでは事実上、州レベルで様々な中絶規制が行われている。「2019年時点で妊娠して一定期間後に中絶を禁止する州は43州ある。アラバマ州は完全に中絶を禁止し、胎児の心臓が動き始めた後に中絶を禁止する州は4州存在する」(”Where is abortion legal? Everywhere. But”, USA Today, 2019年5月25日)。

 バレット判事は「ロー対ウエイド判決は実質的に空洞化しており、覆す必要はない。問題は、各州が中絶を規制する際に最高裁が各州にどこまで自由を与えるかだ」と語っている。これは現実に保守的な州では既に様々なレベルで中絶規制が行われている事実を意識しての発言であろう。敢えて政治的な危機を冒すまでもなく、各州が行う中絶規制を巡る訴訟で最高裁がケース・バイ・ケースで判断を下せば良いという極めてプラグマチックな発想である。とはいえ中絶禁止を掲げる保守派にとって、象徴的なロー対ウエイド判決を覆す意味は大きい。

 11月3日の投票日に幾つかの州では中絶に関する住民投票が行われる。たとえばルイジアナ州では「中絶権は保護されない」という文章を州憲法に盛り込む提案がなされ、さらに州裁判所は州レベルで中絶規制を憲法違反と判断することを禁止する条項も含まれている。コロラド州では妊娠後22週を経過した場合、中絶を禁止する提案の住民投票が行われる。

 上院公聴会で民主党副大統領候補のカマラ・ハリス上院議員が気候変動問題に関する見解を明らかにするように求めたのに対して、バレット判事は「議員は国民の間で大きな議論となっている問題に関して私の意見を強引に引き出そうとしている」とし、質問に答えることを拒んでいる。

 LGBTQと同性婚の問題:同性婚問題も再び最高裁で審理される可能性がある。最高裁は2015年の「Obergefell v. Hodges裁判」で同性婚は合憲との判断を下した。この裁判で同性婚を合憲と判断した最高裁判事で現在も残っているのは3人に過ぎない。バレット判事が加わることで、最高裁は同性婚を合法とした判決を見直す可能性が高くなった。また、それこそがトランプ大統領がバレット判事に託したミッションでもある。保守派のトーマス判事とサミュエル・アリトー判事は「同性婚の権利は憲法の条文のどこにも書かれていない」と、同性婚判決を覆す法的根拠について言及している。バレット判事は両判事の強い影響を受けており、両判事に同調する可能性が強い。加えて長年所属していたHope of Praiseも同性婚を否定している。

 さらにバレット判事は同性婚の子供の入学を拒否し、同性愛者の採用を否定する宗教学校(Trinity School)の理事を務めていた。AP通信は10月21日にバレット判事のPeople of Praiseとの関係、LGBTQの権利に対する否定的な姿勢に関する長文の記事を配信している(”Barrett was trustee at private school with anti-gay policies”)。

 上院の公聴会で同性婚に対する意見を求められたとき、バレット判事は「私は性的な嗜好(sexual preference)に基づいて人を差別したことはない」と答えている。だが同性愛を“性的な嗜好”と考えることこそが、同性愛を否定する考えでもある。公聴会でそれを批判されると、「同性愛を攻撃するつもりはなかった」と釈明。さらに同性婚を合法とした2015年の最高裁の判決に対して意見を求められると、繰り返し回答を拒否している。また同性愛者の性行為を犯罪とする州法を否定した2003年の最高裁の「Lawrence v. Texas判決」に対する意見を求められた際も、回答を拒否している。こうした一連の事実や発言から判断すれば、バレット判事が同性婚に反対なことは明白である。最高裁は同性婚問題で時代に逆行する判断を下すことになるかもしれない。

 銃規制問題:アメリカ社会の最大の問題は銃の所有問題である。憲法修正第2条に「国民が武器を保有し、携行する権利は侵してならない」と書かれている。また2008年に最高裁は、憲法は銃の所有を保障しているという判決を下している。

 バレット判事の銃規制に関する考え方は、さらに過激である。2019年に連邦控訴裁での判決で、バレット判事は“重罪”を犯した人物による銃購入を禁止するウィスコンシン州の法律は憲法違反であるという判決を下している。銃購入と銃保有は、それが犯罪に結びつく可能性があっても絶対に保障されなければならないというのが、同判事の考え方である。

 アメリカでは銃を使った大量殺人事件が起こるたびに銃規制が問題となる。銃を販売する際、購入者の犯罪歴のチェックや重犯罪者の購入規制が受け入れられつつある。だがバレット判事は、そうした流れに逆行するものである。

■ 歴史的に最高裁は党派争いの焦点であった

 政党による裁判所支配の歴史は古い。最高裁の支配権を巡る争いは18世紀のフェデラリスト党と民主共和党の対立から始まる。フェデラリスト党のジョン・アダムズ大統領はフェデラリスト党員を相次いで最高裁判事に任命した。こうした動きに対して野党の民主共和党のトーマス・ジェファーソン党首は「フェデラリスト党は司法を自らの要塞にしてしまった」と批判している。最も露骨な最高裁判事人事は、アダムス大統領の行った人事である。1800年の大統領選挙でジェファーソン候補に敗れたアダムス大統領は1801年に司法法を改正し、フェデラリストで連邦裁判所を独占しようとした。また既に大統領選挙で敗北が決まっているにもかかわらず強引にジョン・マーシャルを最高裁首席判事に指名し、議会で強引に承認させた。大統領職務期限が切れるわずか3時間前のことである。

 これはトランプ大統領と共和党が現在行っている手法とまったく同じである。敗色濃いトランプ大統領が強引に保守派の最高裁判事を指名し、上院共和党が十分な議論をしないままにバレット最高裁判事を承認した動きと酷似している。

 南北戦争が始まる前の1850年代、最高裁判事9名のうち7名が奴隷制度を支持する民主党の大統領によって任命された判事であった。最高裁が奴隷制度の存続を主張する役割を果たした。保守的な最高裁は、1883年に公共施設における人種差別を禁止した「1875年公民権法」に違憲判決を下している。

■ バイデン前副大統領の最高裁判事増員案

 1933年にフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した時、最高裁判事の構成は共和党大統領指名の判事が7人占めていた。現在の共和党大統領指名判事6名、民主党大統領指名判事3名よりもはるかに共和党に偏っていた。最高裁はルーズベルト大統領のニューディール政策のもとで成立した主要法案(社会保障法、ワーグナー法など)に違憲判決を下した。ニューディール政策の最大の抵抗勢力であった最高裁に対して、ルーズベルト大統領は1937年に対抗策を発表する。その提案は「Court Packing」と呼ばれ、最高裁判事の数を増やし、連邦司法制度を改革する内容である。「Court Packing」は「裁判所抱き込み案」(『英米法事典』東京大学出版会)と訳されている。この脅しが効き一人の判事はルーズベルト大統領に寝返り、他の判事も死亡したり、辞任した。最終的に同大統領は最高裁判事8名を新たに指名し、最高裁を支配するのに成功している。蛇足だが、ニューディール政策が実現したのは、民主党が議会で圧倒的多数を占め、最高裁を支配することができたからである。

 大統領選挙の結果によるが、トランプ大統領が再選を果たせば、最高裁で保守派が多数を占めているため、政策実施は極めて容易になるだろう。現在、アメリカでは政策は議会を迂回し、「大統領令」を出す方法で実施されている。そうした大統領令の合憲性は最終的に最高裁で決定される。保守派が支配する最高裁はトランプ大統領にとって極めて有利な状況である。

 また長期的な問題もある。最高裁判事は終身であり、死亡するか、辞任するか、弾劾されない限り最高裁判事の座に留まる。現在の判事の年齢は最年長が82歳のスティーブ・ブライヤー判事である。だが彼はリベラル派で、後任にリベラル派が選ばれても、最高裁のイデオロギー構成は変わらない。保守派の最長老はトーマス判事で72歳である。まだ10~15年は最高裁判事の地位に留まるだろう。後は60歳代が3人、50歳代が2人、40歳代1人である。バレット判事の前任者のギンズバーグ判事が死んだのは87歳であった。トーマス判事がギンズバーグ判事と同じ歳まで判事の座にあるとすれば、15年間は判事の座に留まることになる。保守派が圧倒的多数を占める最高裁が長期にわたって続くことになる。

 バイデン氏は最高裁判事増員に慎重な姿勢を取っていたが、支援者からのプレッシャーもあり、10月25日に放送されたCBSニュースのインタビューで「連邦裁判制度は機能を果たさなくなっているので、超党派の委員会を設立し、連邦裁判制度の改革に関して勧告するように要請するつもりだ」と答えている。

 憲法には最高裁判事の定員に関する規定はない。したがって憲法を修正する必要はなく、連邦議会で承認すれば増員は可能である。そのためには下院だけでなく、上院も民主党が過半数を占める必要がある。それが実現しなければ、共和党の反対で最高裁判事の増員は実現できない。今回の連邦議会の選挙では、下院は間違いなく民主党が過半数を維持するとみられている。上院は、現在、共和党が過半数を占めているが、最近の選挙情勢分析では、非改選を含めて民主党と共和党は同数になるか、場合によっては民主党が過半数を取り戻す可能性も出てきている。ルーズベルト大統領が「Court Packing」ができたのは、民主党が圧倒的多数で両院を支配していたからである。最高裁判事増員問題は簡単には決着がつかないだろうが、バイデン氏が勝利した場合、民主党にとって大きな課題に取り組むしかないだろう。

 バレット最高裁判事の誕生は、アメリカの司法制度の問題点を浮き彫りにすることになった。最高裁判事の任期が終身であることの妥当性も問われている。リベラル派は、最高裁判事増員だけでなく、終身の任期を有期に変えるべきだとも主張している。

 本欄で既に最高裁とトランプ大統領の関係(「米大統領選挙の深層:大統領選挙の本当の争点は最高裁の支配を巡る対立にある」)、バレット判事の最高裁判事指名の狙い(「トランプ大統領がバレット連邦控訴裁判事を次期最高裁判事に指名した本当の理由を明らかにする」)を合わせて読んでいただければ、最高裁を巡る問題が立体的に理解できる。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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