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米大統領選挙徹底分析(10):FBIの「電子メール事件」再捜査報道はクリントン候補の致命傷になるか

中岡望ジャーナリスト
突然、クリントン候補のメール事件の再捜査を発表したコメイFBI長官(写真:ロイター/アフロ)

内容

1. コメイFBI長官の議会あて書簡の内容

2. なぜ大統領選挙直前にFBIは再捜査を始めることを明らかにしたのか

3. FBIのメール再捜査情報はクリントン候補にどんな影響を与えるのか

1. コメイFBI長官の議会あて書簡の内容

大統領選挙まで残すところ一週間あまりとなった。メディアの報道や世論調査の結果から判断する限り、クリントン候補が勝利をほぼ手中に収めた感がある。しかし、アメリカの大統領選挙では終盤に様々な事件が起こる。思わぬ情報が(偶然か、意図的かは別にして)リークされ、大統領選挙の行方を不透明なものにすることがある。これを“オクトーバー・サプライズ(October Surprise)”という。事実、今回の大統領選挙でも幾つかのオクトーバー・サプライズが起こっている。第2回公開討論会直前の10月7日に共和党のドナルド・トランプ候補のロッカールームで女性に対する卑猥な発言がリークされ、多くの共和党支持者の離反を招いた。さらに10月28日、FBI(連邦捜査局)のジェームズ・コメイ長官が議会の8つの調査委員会の委員長宛てにFBIはヒラリー・クリントン候補が国務長官時代に私的なメール・アドレスを使って公務を行った件に関して新しい証拠が出てきたので再調査を行う旨の書簡を送付したことを明らかになった。FBIの捜査が具体的にいつ始まり、いつ結果が発表されるのか、どんな内容になるのかはまったく分かっていない。ただ、この問題がメディアで取り上げ続ける限り、このところ沈静化していたクリントン候補の「信頼性」と「不正直」を問う問題が繰り返し浮上し、直近に迫った大統領選挙に影響を与えかねないという問題が出てくる。そのためクリントン陣営は対応に追われている。

まず事件の概要を説明しておく。電子メール事件とは、クリントン候補が国務長官時代に私的なメール・サーバーを使って公務に関する通信をしたことが問題となり、議会で調査委員会が設置され、FBIが調査を行った事件である。問題は、まず公務で私的なメール・サーバーを使ってことで国家機密の漏洩があったのではないかという疑惑である。また、交信されたメールの中に2012年9月にリビア東部にあるベンガジの米領事館とCIA(中央情報局)の活動拠点がテロリストに襲われ、米大使とアメリカ人職員3名が殺害された事件に関しするメールが含まれており、オバマ政権の事件への対応に問題があったのではないかと批判されたことである。リビアの米大使館や公館がテロの脅威にさらされているとの情報があったにもかかわらず、国務省は安全確保の対策を取らなかったと批判された。当然、当時の国務長官であったクリントン候補が批判の矢面に立たされた。ただ、2015年10月22日に開催された下院の公聴会でクリントン候補は11時間にわたって証言し、一連の疑惑をはらした。少なくとも、メディアの評価はそうであった。事実2016年7月5日にジェームズ・コメイ長官は、事件の捜査は終了したとの声明を発表した。その際、コメイ長官は「クリントンと彼女のスタッフは機密情報の取り扱いに関して極めて不注意であったが、刑事訴追をするような事件ではまったくない」と語っている。さらに同長官は「FBIは機密情報を明らかに“意図的か故意に誤った扱い方(clearly intentional and willful mishandling of classified information)”をしたことを示す証拠を見つけることはできなかった」と、捜査終了の理由を説明している。さらに翌日、ロレッタ・リンチ司法長官も事件には犯罪性はないと、捜査が終了するとの声明を発表している。普通に考えれば、ここで話は終わりである。

だが大統領選挙が始まって以来、共和党候補者はこぞって電子メール問題でクリントン批判を展開した。特にトランプ候補は執拗な攻撃を繰り返した。批判のポイントは二つの疑惑ある。まず国家機密を漏らしたのではないかという疑惑で、トランプ候補の支持者は「クリントン候補は刑事訴追され、投獄されてしかるべきだ」と公然とクリントン批判を繰り返した。さらにFBIの捜査が始まってから、クリントン候補は大量のメールを削除して隠蔽工作を行ったのではないかという疑惑だ。そのことからトランプ陣営は、クリントン候補は指導者としての適性がないと攻撃を加えた。さらにメール削除は隠蔽工作だとして、クリントン候補の「信頼性」と「不正直」を問いただした。これに対して、クリントン候補は、捜査は終了しており、法律に反する行為はないと反論していた。

既に述べたようにコメイFBI長官は、本件に関する捜査終了宣言を行っている。またなぜ同長官は司法省のルール(後述する)を犯してまで本件を再捜査することを公表したのかが議論の対象となっている。まず、FBIが再捜査をすることを明らかにしたコメイ長官の書簡の全文を以下に紹介する。書簡は司法省の便箋が使われ、連邦調査局と印刷されている。書簡の日付は2016年10月28日。ちなみにFBIは司法省の管轄下にある組織である。

【コメイFBI長官の議会宛ての書簡の全文】

「私は以前行われた議会の委員会で、(クリントン)元国務長官の個人メール・サーバーの私的な使用問題に関してFBIの捜査が終了したという証言をしました。しかし、最近、事態に進展があり、私は過去の証言を補足するために本書簡を書いております。

FBIは本件とは無関係な事件の捜査過程で、本件に関連すると思われる電子メールの存在を知るに至りました。昨日、私は捜査チームからその旨の説明を受けたことを皆様にご連絡するために本書簡を書いています。私は、捜査官によって新たに発見された電子メールの中に機密情報が含まれているかどうか、また本件にとってこれらの電子メールが重要であるかどうかを判断するために、FBIが適切な捜査を行えるよう適切な措置を講ずべきだということに同意しました。

FBIはこの資料が重要であるかどうか判断することはできませんし、私にはこうした追加捜査を完了するのにどれだけの時間が掛かるか予想もできませんが、私は過去において議会で行った証言に照らし合わせて、FBIが現在行っている事柄に関して諸委員会に新しい情報を提供することは重要だと信じています。

Sincerely y your

James B. Comey

Director                           」

2.なぜ大統領選挙直前にFBIは再捜査を始めることを明らかにしたのか

コメイFBI長官の書簡は、大統領選挙まで11日しか残っていない時点で議会に送られ、公表された。最大の疑問は「なぜ今なのか」である。当然、大統領選挙に大きな影響を及ぼすことは容易に想像がつく。そのうえ、新しい電子メールが発見されたとはいえ、それらのメールの中に犯罪性があるものが含まれているかどうか、また書簡で長官自身が認めているように、確実な事柄は何もわかっていない。さらに前述のように、長官は7月の段階で捜査が終了したことを明らかにしている。発見された電子メールが事実関係を根底から覆すものであれば(あるいは、その可能性があれば)再捜査に着手するとしても不思議ではない。だが、コメイ長官は、そうした可能性があるかどうかも明言していない。むしろ犯罪性に関しては一言も言及していない。また、発見されたメールは1000通以上と報道されているが、具体的な数は分かっていない。疑惑があるかもしれないという段階で議会の委員会に報告し、かつ公表しなければならない緊急性があったのか。通常、司法当局は、単に疑惑があるだけという程度の気迫な根拠で、捜査情報を公表することはない。そうした意味で、今回のコメイ長官の行動は専門家の間では不可解なものと受け取られている。

新しいメールはどこで発見されたのか。メールは、アンソニー・ウェイナー元下院議員(民主党)が所有するコンピュータに残されていた。同氏の別居中の妻はヒューマ・アベディンである。興味深いのは、彼女はクリントン候補の側近中の側近であるということだ。2009年から2013年までクリントン国務長官の副首席補佐官を務めている。とすると、長官と副首席補佐官の間でメールのやり取りがあっても不思議ではない。ちなみに彼女は2016年のクリントン候補の選挙事務所の副委員長でもある。問題となる電子メールが残されていたコンピュータは、ウェイナーが15歳の少女に猥褻な文章を送った事件(underage sexting)を捜査している過程で押収されたものである。1か月前にFBIはウェイナー所有のパソコンや携帯電話を押収している。そのパソコンの中にアベディンのメールが残されていた。FBIは、押収したコンピュータを解析しているときに、クリントン国務長官とやり取りをしたアベディンのメールを発見した。FBIはまだメールの詳細な解析を行っておらず、ウェイナーはFBIに対して積極的に捜査協力をすると申し出ている。ただ29日の時点ではFBIはまだ司法省から正式な捜査令状を受け取ってはいない。

アベディンは、以前、FBIに対して「クリントン長官からメールの印刷を依頼されたとき、国務省のシステムを使うのはあまりに格好が悪かった(clunky)ので、メールを自分の2つある個人アドレスの一つに送ったことがある」と認めていた。また彼女は、国務省での仕事に関係すると思われる2台のパソコンと1個の携帯電話などは自分の弁護士に渡していると証言していた。『ワシントン・ポスト』紙は、クリントン候補の所有していないコンピュータから公開されていないメールが出てきたからといって、それで状況が変わるものではないと解説している。言い換えれば、それでクリントン候補の法的な責任を問うことはできないということである。ただ、アベディンは国務省を辞めるとき、すべての機密情報を国務省に返還するという誓約書に署名している。もし彼女が国務省に返還しない機密情報を隠し持っていたとすれば、彼女の法的な責任が問われるかもしれない。しかし、選挙を控えたクリントン候補にとって、そうした法律論はあまり意味がない。電子メール問題が再捜査されると報道されることで、クリントン候補に対する不信感が再燃すれ恐れがある。それは選挙結果に影響しかねない。

そうなればコメイ長官に何らかの政治的な意図があったのではないかという疑問も湧いてくる。同長官を3年前に任命したのはオバマ大統領である。長官は共和党員で、任期は10年である。かりにクリントン候補が大統領になっても、彼を更迭することはできない。十分な任期が残っている。同長官に何らかの政治的意図があるかどうかは判然としない。リンチ司法長官とサリー・イエーツ副長官は、議会の指導者にクリントン候補のメール事件の再捜査を行う旨を連絡したのは「継続中の捜査に関してコメントしない」という司法省の方針に反するものだとコメイ長官を批判している。さらに「司法省は選挙に影響を与えるとみられるような行動は取らない」とも語っている。司法省幹部は「司法省の考え方はコメイ長官に伝えられているが、同長官は独自に行動している」と語っている。マット・ミラー元司法省報道官は「コメイ長官が司法省の勧告を無視して行動しているのは“驚き”であり、彼は司法長官のために働いていることを忘れている」とコメントしている。今度の選挙では上院は民主党が過半数を回復する可能性が強いとみられる。そうなれば司法委員会の委員長は民主党議員が務めることになり、コメイ長官にとって、今回の行動は決してプラスにはならないだろう。

30日に民主党の4名の上院議員がリンチ司法長官とコメイ長官を訪れ、状況を説明するように求めている。上院議員たちは「大統領選挙10日前であり、アメリカ国民はFBIの再捜査の発表に関して遅滞なく詳細な情報の提供を受ける権利がある」とし、「2016年10月28日までに行われた捜査に関して、どのような捜査が行われたのか、関係するメールが何件あるの、そのうち何通を調査したのか詳細な状況を提供することを要求する」とコメイ長官に要請している。共和党の上院国土安全保障委員会のロン・ジョンソン議員も、コメイ長官に対して「FBIは継続中の捜査の一貫性を損なうことなく、新しい事態に関する可能な限りの情報を提供することを求める」という趣旨の書簡を送っている。

3.FBIの再捜査情報はクリントン候補にどんな影響を与えるのか

『ニューヨーク・タイムズ』紙は10月28日の記事(Email in Anthony Weiner Inquiry Jolt Hillary Clinton’s Campaign)で、「新たにクリントン候補のメールが発見され、司法当局者高官が事件の再捜査をするという発言が報道された金曜日、リントン選挙運動に激震が走った」と書いている。アイオワ州デモインで遊説中だったクリントン候補は金曜の夕方、高校のコーラス室で急遽記者会見を設定し、「最も重要な選挙が行われている。既に(期日前)投票も行われている。私もスタッフも新しい捜査に関してFBIから何の連絡も受けてはない。私たちはFBIに対して持っている情報を全て公開するように要求する」と厳しい姿勢を見せた。選挙参謀のジョン・ペデスタは「メールがどんな内容なのかまったく分からない。長官自身、それは意味のないものかもしれないと言っている。投票日11日前にこんなことが起こるなど異例なことだ」と、コメイ長官の発言に当惑しながら、影響力の拡大を懸念している。

冷静に考えれば、クリントン候補やペデスタの言う通りである。コメイ長官は、議会指導者への書簡の中で新しいメールが発見されたので、再調査するということを言っているだけで、具体的な容疑があるわけではない。しかし、クリントン陣営が怒り、慌てた理由は、世論調査で両候補の支持率の差が決してクリントン候補に圧倒的に有利という状況にないためである。30日に発表されたABCニュースと『ワシントン・ポスト』紙の共同調査では、クリントン支持が46%に対してトランプ候補支持45%、リバタリアン党のジョンソン候補4%で、クリントン候補とトランプ候補の差はわずか1ポイントに過ぎない。誤差の範囲である。さらに『ロサンジェルス・タイムズ』紙の調査では、クリントン候補44%に対してトランプ候補は46%と逆にトランプ候補の支持率が2ポイント上回っている。ただ州別の選挙人獲得数予想では、クリントン候補が圧倒的に優位な立場に立っている。さらに期日前投票の調査では、クリントン候補がトランプ候補15ポイント上回っている。ただ、マイナス面としてはオバマケアと呼ばれる公的医療保険制度の保険料が予想よりも高くなるとの見通しが発表されたり、ウィキリークスからクリントン基金に関する情報がリークされるなど、このところ逆風が目立つ。選挙直前の情勢は極めて重要である。政治理論に、有権者は投票日前の数週間の間の記憶で投票行動を決めるというのがある。まさに現在、クリントン候補にとってマイナスの情報が相次いで流されており、この理論が正しければ懸念するのも当然といえよう。

他方、トランプ候補にとっては干天の慈雨である。長期的に支持率が低迷するなかで、クリントン批判の有力な武器が天から降ってきた格好である。FBIが再捜査するという情報がもたらされたとき、トランプ候補はニューハンプシャー州で遊説中であった。この情報を聞くとトランプ候補は「やっと正義がなされた。ヒラリー・クリントンの腐敗は我々が想像する以上の規模のものだ」と、喜びに満ちた表情でコメントをしている。これでトランプ陣営は一気に活気を取り戻しつつある。トランプ陣営は、この24時間で無党派の支持者が増えていると語っている。ただ、英『ガーディアン』紙(2016年10月29日)のリチャード・ウルフ記者は「大半の有権者はクリントン候補が正直で信用できるかどうかに関して既に判断を下している。有権者はクリントン候補を信用していない。ただ、それ以上にトランプ候補を信用していない」と書いている。同記者の言葉を解釈すれば、クリントン候補を支持するかしないかは、今回のFBIの再捜査とは関係なく、既に決まっており、これによって選挙情勢が大きく変わることはないということだ。投票日までの1週間、両陣営とも従来に増して批判合戦を展開することになるだろう。選挙は水物である。風の吹きようによって結果は大きく変わってくる。依然として予測機関の体制はクリントン候補勝利と予測しているが、仮にクリントン候補が勝つにしても、勝ち方が問題である。

また、筆者は選挙のポイントは投票率の動向にあると考える。投票率が高ければクリントン候補に有利になるが、低いとトランプ候補に有利になる。というのは、共和党支持者や保守派の投票率は通常高く、逆に民主党支持者やリベラル派の投票率は低い。特に民主党支持者のマイノリティの投票率は低い。電子メール事件再捜査の影響が出るとすれば、クリントン候補を支持する層が棄権する場合だ。そうなると、現在のところクリントン候補が有利に展開している激戦州の投票結果に盈虚がでる可能性が出てくる。クリントン候補がイメージ悪化を回復するには時間が限られている。かりに影響が限定的でも、今回の再捜査報道は選挙の流れを変える可能性を秘めていることは事実である。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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