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FRBの次期副議長、スタンレー・フィッシャーは何者か

中岡望ジャーナリスト

学問と実務の双方で優れた実績を誇るフィッシャー

毎年8月末にワイオミング州ジャクソンホール市でカンサス連邦準備銀行主催の経済政策シンポジュームが開催される。世界中の中央銀行総裁や経済政策担当者が一堂に集まる大イベントである。数年前、同会議での晩餐会で居並ぶ有力者を前にバーナンキ議長は「今夜の晩餐会に参加している全ての人に共通展がある。それは、全員が博士論文の指導教授がスタンレー・フィッシャーであることだ」と語ったことがある。

大学院でマクロ経済学を勉強した人なら、MITの教授であったフィッシャーと同僚のルディガー・ドーンブッシュ教授(故人)が1978年に共著で出版した最初の本格的なマクロ経済学の教科書『マクロ経済学』を使った記憶があるはずである。同書は現在のマクロ経済学の基礎になった本である。言うまでもなく、フィッシャーはバーナンキ前議長のMITでの博士論文の指導教授であった。その他にもマリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁など、フィッシャーFRB副議長の薫陶を受けた学者は枚挙にいとまはない。今回のフィッシャーの副議長就任に関して、アメリカの多くの経済学者が諸手をあげて賛成しているのも、フィッシャー副議長の学界における影響力と信頼性の高さを示しているものである。

ジャクソンホールでバーナンキ前議長がフィッシャーに言及したとき、彼は恩師がFRBナンバー2に指名されるとは夢にも思っていなかっただろう。当時、フィッシャー副議長はイスラエルの中央銀行の総裁の職にあった。小国とは言え、前イスラエルの中央銀行総裁のFRB副議長就任は“超大物副議長”の誕生を意味する。

フィッシャー副議長は経済学界の重鎮であり、最も評価の高い経済学者の一人である。同時に2010年に金融専門誌『ユーロマネー』誌は、当時のイスラエル銀行総裁のふぃっしゃいーをリーマンショック後の大不況からのイスラエル経済を救ったという理由から、世界で最も優れた中央銀行総裁七名の内の一人に選出した。同誌は、「2009年9月のフィッシャーの大胆な金利引上げ政策で、イスラエルは金融危機後、最初に金利を引上げた先進国となった。これは正しい政策であった」と、イスラエル銀行の金融政策を高く評価した。イスラエル銀行総裁を辞任する際、地元紙は「フィッシャーはイスラエル国民が絶対の信頼を置く人物である」と最高級の賛辞を送った。フィッシャーは、中央銀行総裁として大きな成果を上げたのである。

フィッシャー副議長は、学問の分野だけではなく実務の両方で誰もが認めざるをえない優れた実績をあげている。フィッシャーは世界銀行首席エコノミストやIMF(国際通貨基金)の筆頭副専務理事を務め、国際通貨危機などの問題に取り組んで来た。1994年のメキシコ通貨危機、1997年のアジア通貨危機の際に優れた指導力を発揮し救済策を講じたことは良く知られている。各国中央銀行を動員して救済策を講じるなど、フィッシャーの優れた外交手腕がなかたら金融危機はさらに厳しいものになっていただろうと言われている。

イエレン・フィッシャーは最高のチームか

オバマ大統領は副議長に国際金融に精通した人物を捜していた。フィッシャーを副議長に指名するに際してオバマ大統領は国際金融の優れた知識を持つ人物を捜していた。その候補者に上がったのがフィッシャーである。だが、ホワイトハウスは中央銀行総裁の経歴を持つフィシャーがFRBのナンバー2のポストを引き受けるどうか確信はなかった。そこでイエレン議長に連絡したところ、議長は強烈にフィッシャーを副議長に推挙し、自らも直接彼と連絡を取り合い、副議長就任の話をしていることを明らかにしている。

オバマ大統領の選択基準は正しかった。なぜなら、現在、中央銀行総裁に要求される資質のひとつは各国の中央銀行と政策協調を行える外交能力である。その意味で、イエレン議長は労働経済学者であり、国際金融問題に精通しているとは言えず、他の国の中央銀行総裁と交渉した経験はない。その意味で、国際舞台で活躍し、独自のネットワークを持つフィッシャーの副議長就任は、イエレン議長の弱点を補うことができる。オバマ大統領はフィッシャー指名の記者会見で「彼とイエレンは最高のチームになるだろう」と語っているのも、社交辞令ではない。

こうしたフィッシャー選択の経緯からいえば、イエレン議長とフィッシャー副議長の間に個人的な信頼関係が存在するとみても間違いではない。かつてグリーンスパン議長を牽制するためにクリントン大統領がアラン・ブラインダー現プリンストン大学教授を副議長に送り込んだことがある。だが、グリーンスパン議長とブラインダー副議長の関係は最悪で、FRB内で孤立したブラインダー副議長が早々と辞任した例がある。今回のコンビはそうした個人的な軋轢を生む懸念はないだろう。むしろイエレン議長は、フィッシャー副議長の名声と影響力を必要としているといえるかもしれない。

経済理論もイエレン議長とフィッシャー副議長の間に大きな違いはないと予想される。イエレン議長はインフレ抑制よりも、雇用を重視する典型的なケインジアンである。また、バーナンキ前議長はフィッシャー副議長に関して、「彼の本質は基本的にケインジアンである」と指摘している。フィッシャー副議長自身も「私は依然としてケインズ経済学は極めて重要であると考えている。そう思わない人は、今回の金融危機で考え直すべきである」と語っているように、イエレン議長とフィッシャー副議長の経済政策に関する基本的な考え方はケインジアン的であるといえる。

フォワード・ガイダンスを巡る対立の可能性も

昨年11月にIMF年次総会で行った基調演説で、フィッシャー副議長はゼロ金利の元での量的緩和政策の有効性を強調している。また、自身も、イスラエル銀行総裁として長期債券の買い取り政策を実施している。その意味で、イエレン議長もフィッシャー議長も量的緩和政策(QE)の急激な変更を主張することはないだろう。バーナンキ前議長が敷いた路線に沿いながら、徐々に出口戦略を進めて行くだろう。

ただ、すべての政策で両者が一致する保証はない。たとえば、インフレ目標政策や失業率目標率を発表する“フォワード・ガイダンス”に関しては意見の相違が見られる。元々、グリーンスパン議長の秘密主義に対して市場との積極的対話を主張したのはバーナンキ・イエレンのコンビであった。だが、フィッシャー副議長は、IMF総会の演説で「過剰なフォワード・ガイダンスを行えば、政策の弾力性を失うことになる。今から一年後の状況は誰にも分からない。やり過ぎるのは間違いだ」と語っている。バーナンキ前議長とイエレン議長は、正確にFRBの政策意図を市場に伝えることで市場の正しい期待形成を促すと主張していた。だが、フィッシャー副議長はイスラエル銀行での失敗の経験を踏まえながら、「そうした政策は市場の混乱を招くだけだ」と否定的なコメントを繰り返し行っている。新コンビは、金融政策そのものよりも、金融政策の運営を巡って緊張する場面も見られるかもしれない。

ただ、政策を決定するのはFOMC(連邦公開市場委員会)である。FOMCはFRBの七名の理事と一二の連邦準備銀行総裁によって構成される。政策決定に関する投票権を持つのは七名のFRB理事と五名の連銀総裁である。投票権のある連銀総裁はニューヨーク連銀総裁(常任副議長)を除き、毎年交代する仕組みになっている。FRB議長はFOMC議長を兼務するが、投票権は他の委員と同様に一票である。

理屈からいえば、FRB議長が投票で少数派になる可能性は十分にある。事実、ボルカー議長がFRB内の採決で少数派に陥るという異例な状況に直面したことがある。各連銀総裁は自由に発言し、投票する権利がある。議長に求められるのは、理論面での説得力と根回しを通してFOMC内で多数派を構成することである。新コンビが上手く機能すれば、かつて見られなかったような強力な政策運営が実現するかもしれない。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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