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なぜ仕出し屋の弁当は残念なのか~弁当からみる地域振興

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
列車で食べる弁当は、旅の楽しみの一つだが・・・(写真:アフロ)

・手渡される弁当が・・・

 地方に出かけることが多い。なかなかのんびりすることもできず、懇親会も出ることができずに、特急電車や新幹線に乗り込むことが常だ。

 

 そんな時、先方が気を使って、「車内で食べてください」と弁当を手渡してくれることがある。特に地方の小さな都市を訪れた際に、そういうことが多い。列車に乗り、帰り着くころには深夜だ。夕食用にと気遣って渡してくださる先方の気持ちが伝わってきて、暖かい気持ちになる。

 しかし、手渡される弁当の多くが、異様に大きいのである。大きいというのは、平面的に広いのだ。二段や三段と重箱のようになっているのではなく、一重で面積が広いのである。時にA3用紙くらいの大きさのものを渡される。これは面倒である。自分のかばんも持ち、ビニールの風呂敷に包まれたそれを水平に保って持つのは、かなりの努力が必要だ。さらに、列車の車内には、そんなに大きなものを広げるテーブルは当然ながら、ない。そして、最大の問題は、おいしくないのである。

・インスタ映えはするけれども・・・

 膝の上に弁当を置き、包みを広げる。ふたを取ると、細かく仕切られたマス目状の入れ物に、美しく数多くのおかずが載っている。一瞬、楽しい気分になる。インスタ映えしそうだ。しかし、箸をつけ始めると、気持ちが落ち込んでいく。

 弁当であるから、時間が経って食べることを考え、食材や料理が限定されるのは仕方ない。それらを差っ引いたとしても、残念なのである。大きな弁当の数多いマス目を埋めるために、様々な食材を使っている。しかし、とにかくマス目の数を埋めることが優先されているのが判るのだ。出来合いの漬物やら佃煮などをごはんの上に置いて、マス目を埋めている。非常に申し訳ないが、これならば、いっそコンビニの弁当を渡された方が良かったなとため息をつくことも多い。

・仕出し弁当と地域振興の共通点

 他から来た人たちをもてなそうという気持ちを多くの人が持っている。しかし、ではどうするかという点でなかなかうまくいかない。

 地方の中小企業経営者と話をすると、「そこに住んでいる地元の人が、その土地の良さに気が付いていなかったり、場合によっては自信を持っていない。それどころか、恥ずかしいと考えていることが多い」と指摘される場合が多い。

 弁当も同じで、その土地の食べ物がいろいろある中で、それを使えば良いし、ないならないで普通にある食材をきちんと普通に料理して詰めれば良いのだが、「都会から来た人には、そんなものは珍しくもないでしょう」と逆に笑われてしまうことが多い。その結果、品数が多くて、見栄えは良いが、苦し紛れに出来合いのものを詰め込んだ仕出し弁当が出来上がるのだ。

 これはちょうど地域振興と同じだ。その町で、本来は集客力もあり、大切な資源であるものを使うことを忘れて、「都会の人が喜ぶ」と思い込んでいるものを「買ってきて」ちまちまと詰め込もうとする。

・白壁に瓦屋根、、、、、、、

 「伝統的というけれど、そんな伝統がないところに、白壁で蔵造り風の街並みを作るというのが、各地で流行った。一見、和風できれいになるが、その土地の風景とは違って、観光客をひきつけることはできない」ある建築家は、そう嘆く。

 「自分たちの街にある建物が価値のあるものだと訴えても、こんな汚いもので人が来るはずがないと年長者に否定される」とある地方の自治体職員は言う。

 約30年前、滋賀県長浜市の中心市街地でまちおこしが始まった。教会として使われていた元銀行の建物を取り壊さずに活用し、観光拠点にする取り組みは、「黒壁の町」として多くの観光客を集めることに成功した。古い街並みを活用し、街歩き観光で成功した事例として、各地から視察者も集まった。

 まちおこしの先駆者として、名前が轟いた長浜市には、この30年間に多くの視察団が各地から訪れ、そこでの成功事例をわが町で再現した。その結果、長浜と似たような景色が全国各地で作り出された。そして、今、長浜を訪れた観光客は、このような感想を持ってしまうのだ。

 参考にするのと、マネするというのは違うはずだ。やるべきことは、手法を参考にしつつ、自分たちだけの資産、素材を見つけ出す作業なのだ。そのことは、弁当をはじめとする食の部分でも同じなのだ。とりあえず見栄えをよくするために、食材や料理済みのものを、ほかから「買ってきて」詰め込んでしまう。まちづくりや地域振興も全く同じことをしていないだろうか。

 

・弁当の変化、街の変化

 渡される弁当の中でも、食べるにつれてうれしくなるものもある。もちろん、しっかりとその土地の珍しい素材を取り込んでいるもののそうだが、そう珍しいものではなくともきちんと調理され、バランスよく盛り付けられている弁当だ。そうした弁当に当たると、その町の新しい動きを感じて、応援したくなる。

 「お口に合うかどうか判りませんが、うちの町では人気のお弁当なのです」などと言われ、渡されるものはおいしいくて、その町でしっかり経済活動が行われているのだなと窺い知ることができる。そして、これからの動きにも期待ができる。

 弁当が変化するのと同じで、ここ10年ほどで、やっともう一度、自身の町に残る資産や建築物を再評価しようという動きが本格化してきた。しかし、依然としてうまく動かない地域も多い。近代建築がブームだからと多額の資金を投じて修復したのは良いが活用方法が見つからないとか、新しい弁当や名物を作ろうと補助金をばらまいて作ってみたものの、いつの間にか消えてしまっているなどだ。それはまるで、たくさんのマス目を埋めることばかりに注目して、出来合いのものを詰め込んでいく弁当作りと同じだ。

 要は、本当に「お客」への配慮ができているかだろう。「今、こんなものが流行っているから、我が町でも」という「モノマネ」に安易に飛びつき、それをするのは行政からの多額の補助金だというのであれば、品数多くて、見栄えは良いが、客からすればおいしくもない弁当と同じである。

徳島に行った時に地元の商工会の方から渡された弁当。おいしくて地元でも人気だという理由が判った。特別さはないが、一つ一つがきちんとおいしかった。(撮影・筆者)
徳島に行った時に地元の商工会の方から渡された弁当。おいしくて地元でも人気だという理由が判った。特別さはないが、一つ一つがきちんとおいしかった。(撮影・筆者)

・一生懸命やっているだけでは、地方振興はできない

 「せっかく喜んでもらおうと一生懸命やっていることを否定するなんて、ひどいじゃないか」という反論もあるだろう。しかし、では、一生懸命やっているのだからと、放置しておけば良いのか。

 「頑張っている経営者は、いったん町を離れてから戻ってきたり、別の仕事を経験して家業を継いだり、あるいは全く違う地域から移住してきて起業した人たちが多い。」ある中小企業支援機関の職員は、そう話す。さらに「実際には若手とは限りません。違いはやはり危機感でしょう。地方で親から継いだ商売があり、その本業以外にも親や祖父母が残してくれた不動産があって、その収入もあるという経営者は、危機感は薄いです。仕方ないことです」とも言う。昔ながらの見かけだけの仕出し弁当は、そうした危機感の薄さの象徴と言えなくないか。人口減少が深刻化する中では、危機感を持ちつつ、新しいことに取り組んでいく経営者が、地域振興には最も必要なのだ。

・食は、まちおこしの基礎

 仕出し弁当程度のことで、云々いうのはカッコ悪いという考えもあるだろう。しかし、観光客や訪問者は、その町の余韻を持ちながら帰途に就く。途中の車内で弁当を広げた時に、「もう一度、行ってみよう」、「次回はこの店に行ってみよう」と思えるかどうかは重要ではないだろうか。

 

 「その町などの会議に出て、机の上にその町や土地の飲み物が載っているのと、大手メーカーの飲み物が載っているのとで、その自治体の職員の本気度が判る」と、ある都市開発の専門家が言っているのを聞いたことがある。

 その町で出された弁当を食べてみたら、その町のまちおこしへの本気度が判る。そう言っても良いのではないだろうか。本気を出せば、どこの町でも、ほかではないおいしい弁当が作ることができるだけの素材も、レシピも、腕を持つ料理人もいるはずだ。「うちの町で一番おいしい弁当なら、コンビニで買うべき」などと言っているのでは、地方振興など覚束ないことくらいは、多くの人が理解するだろう。

 「食」は、我々の生活の基盤である。まちおこしの基礎を形づくる非常に重要な資源の一つでもある。「たかが弁当ごとき」と言わずに、もう一度、見直してみてはどうだろう。品数や見栄えだけに囚われて、大切なことを忘れていないだろうか。あなたの町には、おいしい弁当はありますか?

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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