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加賀・山中温泉の新名所「加賀依緑園」が開園 ~ 金唐革紙が救った近代和風建築

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
昭和天皇も訪れた名旅館が新たな観光施設「加賀依緑園」として開館(画像・筆者撮影)

 2024年4月13日、北陸新幹線敦賀延伸により観光客増が期待される加賀温泉郷の一つ、山中温泉加賀市が新しい観光拠点をオープンしました。この施設は「加賀依緑園」と名付けられ、かつて昭和天皇や皇族、著名人、文人たちが宿泊した「旧よしのや依緑園別荘」の建物を大規模に修復したものです。

 この「加賀依緑園」は、1947年に昭和天皇が滞在し、1963年には吉田茂元首相が滞在し、池田勇人の後継を佐藤とする「山中会議」が開かれた場所です。他にも政財界や作家などの文化人も多く宿泊した「旧よしのや依緑園別荘」だったところです。筆者が2016年に訪れた際、建物は廃墟のような状態でしたが、特に天皇陛下が滞在された和室「御殿・御幸の間」や「山中会議」が開かれた洋室は良好な保存状態でした。その中でも注目されたのが、壁紙に使用されていた金唐革紙です。

・廃墟になりかけていた明治の近代和風建築物

 2016年6月、筆者は廃墟になりかけていた建物に入り、驚きました。山中商工会の招きで訪れた際に、櫻井比呂之顧問(当時は会長)らの案内で、「旧よしのや依緑園別荘」に案内されたのでした。

 旧よしのや依緑園は、創業800年の山中温泉を代表する旅館として、昭和天皇ら皇族や政財界人、文人などが宿泊してきました。しかし、2008年12月に営業を停止しました。その後、湯快リゾート株式会社が買収し、2010年3月に「湯快リゾートプレミアム山中温泉よしのや依緑園」としてリニューアルオープンしました。

 さらに、2011年7月には、湯快リゾートが「依緑園別荘」の土地建物一式を加賀市に寄贈しました。その後、加賀市や山中商工会、市民グループなどが、寄贈された「依緑園別荘」の近代和風建築物の活用方法について検討がなされていましたが、放置されたまま5年の年月が過ぎていました。2016年当時は、木々や雑草が生い茂り、客室の一部は天井や床が大きく崩壊するなど、廃屋寸前の状態にまでなっていました。

2016年6月当時、荒れ果てた状態となっていた「別荘依緑園」。(画像・筆者撮影)
2016年6月当時、荒れ果てた状態となっていた「別荘依緑園」。(画像・筆者撮影)

・金唐革紙の美しい客室

 「依緑園別荘」は、1947年10月に昭和天皇が滞在したほか、1963年6月には、吉田茂元首相が佐藤栄作氏、三木武夫氏を伴い、「依緑園別荘」に滞在しました。そこで、池田勇人氏の後継を佐藤氏とするという「山中会議」を開いたという現代史にも登場する場所です。他にも、戦前戦後に渡り、皇族や政治家、川端康成、今東光、山本周五郎、吉川英治などの作家たちも滞在しました。

 2016年に訪問した際には、山の斜面を利用して建てられていた離れの客室は、崩壊寸前の状態であり、その他の部屋も、物置部屋のような状態でした。ところが、天皇陛下が宿泊された和室「御殿・御幸の間」や、「山中会議」が開かれた洋室は良好な保存状態が保たれていました。

 その中でも目を引いたのが壁紙に使用されていた金唐革紙です。

 中世ヨーロッパでは、王侯貴族の館の壁などには、金や銀を箔押しした皮革を壁紙として使っていました。その金唐革を日本の伝統的な和紙の技術などで再現したものです。

 日本製の金唐革紙は、1873年のウィーン万国博覧会に出展したことで、欧米で人気が高まり、明治政府印刷局で製造を行い、盛んに輸出されました。国内でも洋風建築の高級壁紙として利用されました。しかし、昭和に入ると急速に需要が減少し、その技術は衰退し、幻の工芸品となってしまいました。

 昭和時代の終わり頃になると、明治時代や大正時代に建てられた歴史的建造物の修復の必要となり、金唐紙研究所(代表・上田尚氏)が復元に成功し、「金唐紙」と呼ぶようになりました。今回の依緑園での修復や展示においても、同研究所が大きな役割を果たしています。

美しく修復された金唐革紙。(画像・筆者撮影)
美しく修復された金唐革紙。(画像・筆者撮影)

・総額6億円の大修復

 特に洋間の壁紙に用いられた金唐革紙の美しさは、素晴らしいものでした。この金唐革紙の希少性、そして保存状態の良さなどを山中商工会の皆さんにお伝えしたところ、櫻井顧問(当時は会長)が関心を持たれました。櫻井顧問は、重要文化財である「孫文記念館(移情閣)」「旧岩崎家住宅洋館」 など各地の金唐革紙を保存している施設の見学や専門家への相談などを行い、さらに加賀市に働きかけ、政府の関係機関などとも協調し、その結果、総額約6億円の予算で大修復工事が行われることになりました。

 「山中温泉は加賀温泉郷の中でも、街歩きができるところが大きな魅力。歴史と伝統のある建物が修復され、観光拠点として整備されたことは、地域振興にとって大きな一歩です。5年前、貴重な建物だということや、観光の拠点として活用していきたいという考えはあったものの、何を柱に据えるか悩んでいたところに金唐革紙の存在を知り、多くの人にご覧いただいたところ、非常に貴重だということで、ここまでこれました。あの廃墟のような姿を思い出すと、今日の開園式は感無量でした。金唐革紙が救ってくれました」と櫻井顧問は話します。

2024年4月。復元された貴賓室。昭和天皇がお使いになったソファも修復された。(画像・筆者撮影)
2024年4月。復元された貴賓室。昭和天皇がお使いになったソファも修復された。(画像・筆者撮影)

・日本の和風建築技術の粋を凝らした修復

 修復にも関わった地元の建築家・喜多英幸氏は、「最高級の木材や石材などの調達はもちろん、一流の職人たちの技術の粋を凝らして復元をしています。金唐革紙のある貴賓室の素晴らしさはもちろんですが、大きく損壊していた和室部分の細かな造作にも注目してもらいたいです。建築を仕事としている方や、愛好家の方々にはたまらないものになっていると思います」と話します。

 また、修復された唐船の間は、ギャラリーとして北陸地方の若手工芸作家の作品が展示販売されています。茶室は、伝統的な技法を用いて新たに作られ、今後、茶会などを催す予定だそうです。

 建造物の素晴らしさはもちろんですが、今回は庭園も美しく復元されています。復元に当たっては、庭園デザイナー烏賀陽百合氏の監修によって、敷地の傾斜を利用した水の流れを生かした庭園になっています。

 古くからの建造物や庭園を活かしつつ、令和の匠の技を生かした日本の和風建築技術の粋を凝らした修復となっています。

令和の匠の技を結集した茶室。細かな造作が素晴らしい。(画像・筆者撮影)
令和の匠の技を結集した茶室。細かな造作が素晴らしい。(画像・筆者撮影)

北陸地方の若手芸術家の作品が展示販売されているギャラリーとなった「唐船の間」。(画像・筆者撮影)
北陸地方の若手芸術家の作品が展示販売されているギャラリーとなった「唐船の間」。(画像・筆者撮影)

・「御殿」でのくつろぎのお茶を楽しむ

 鮮やかな群青色の壁と欅一枚板に仕上げた欄間彫刻「群雲の月」が目を引く「御殿」では、山中温泉の老舗店の菓子と山中塗の器で日本茶を楽しめます。

 この部屋は、欄間を生かすために天井を高く作られたといわれ、その欄間は井波彫刻の名工として名高い初代大島五雲の製作のものです。

 修復にあたっては、オリジナルの資材をできるだけ再利用していますが、この「御殿」で使われている椅子も、旅館時代に使用されていたものを修復したものです。

 ここに座れば、美しい庭園を眺めながら、往年の名旅館の雰囲気を味わえます。 

 ところで、加賀依緑園の指定管理事業者は、金沢市に本社のある株式会社リナシェンテです。同社は、金沢まいもん寿司を運営するほか、石川県能美市の九谷焼若手作家8名が1室ずつプロデュースした宿泊施設やカフェなどのある「ウェルネスハウスSARAI」なども運営しており、まちづくり事業の一つとして、今回、加賀依緑園の運営を担っています。また、ギャラリーでの展示販売は、金沢市のひがし茶屋街でセレクトショップとギャラリーを運営する「縁煌~enishira~」が担うことになっています。

昭和天皇などが宿泊された「御殿」は、カフェとして利用できるようになっている。(画像。筆者撮影)
昭和天皇などが宿泊された「御殿」は、カフェとして利用できるようになっている。(画像。筆者撮影)

・温泉郷の再興に向けて

 古くからの温泉郷の老舗旅館が、経営不振から廃業や倒産という話は、珍しいことではなくなっています。その結果、所有者が明らかでないまま、自治体が数億円単位の費用を負担し、建物を取り壊して更地にするという事例も各地で見られます。今回の開園式でも、「同じように巨費をかけて建物を潰すだけなのと、観光拠点にするのとを比べると、市民の受け止め方も異なる」と言う市会議員もいました。また、建築関係の経営者は「日本の誇る和風建築技術を後世に伝えるためには、こうした取り組みが不可欠だ。観光振興だけではなく、産業振興、技術伝承のためにも、多くの人が関心を持ってもらいたい」と言います。

 貴賓室や御殿といった中心的な部屋は、比較的傷みが少なかったことも幸運でした。金唐革紙はもちろん、昭和天皇もご覧になったであろうバスルームを装飾していたかわいらしい海中をデザインしたステンドグラスや、鏝絵(こてえ)の技術を使った天井の細工などの状態が非常に良好でした。これらも見学の目玉となっています。

 有名旅館の廃業や倒産が起きると、皇族や政治家、文人などの宿泊した記録や書画骨董などが散逸し、地域から流出してしまうことがほとんどです。技巧を凝らした建築物や、今では手に入らない建築材料なども失われてしまいます。

 今回も散逸してしまった資料も多かったようですが、今回の開園にあたっては、「湯快リゾートプレミアム山中温泉よしのや依緑園」を運営する湯快リゾート株式会社の協力や、開園を知った市民からの提供などがありました。そのため、昭和天皇がお使いになった食器や寝具、さらに様々な資料なども展示され、その歴史を知ることができるようになりました。

 加賀依緑園は、幸運が偶然が積み重なっただけでなく、商工会の会長をはじめ多くの人々が温泉郷の再興を願い、歴史的な建造物のみならず、地域の歴史や記憶を残したいという思いで活動した結果と言えます。

 老舗旅館の廃業や倒産が相次ぐ中、困難とはいえ、この事例のような活用方法も考えられるでしょう。温泉旅行の方々はもちろん、建築に興味のある方々、歴史好きの方々、そして、各地の温泉郷の活性化に取り組む方々にも訪れていただきたいと思います。

昭和天皇が宿泊した貴賓室のバスルームを飾っていたステンドグラスも見逃せない作品。(画像・筆者撮影)
昭和天皇が宿泊した貴賓室のバスルームを飾っていたステンドグラスも見逃せない作品。(画像・筆者撮影)

ほとんど傷みがなく、当時のままの天井装飾。当時の匠の技を今に伝える貴重なものです。(画像・筆者撮影)
ほとんど傷みがなく、当時のままの天井装飾。当時の匠の技を今に伝える貴重なものです。(画像・筆者撮影)

*加賀依緑園

開館:10時~18時(入館は16時30分まで)

休館日:木曜日(祝日は開館)※年末年始はお問い合わせください。

入館料:一般600円、団体(20名以上)490円 ※高校生以下・障がい者は無料

場所:石川県加賀市山中温泉南町ロ87番地1

電話:0761-71-2683

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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