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知れば驚く美術館の街・名古屋

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
昭和美術館南山寿荘

・「最も魅力に欠ける都市」?

昨年6月に名古屋市観光文化交流局が行った「都市ブランド・イメージ調査」で、名古屋市は札幌市、東京 23 区、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、福岡市の中で「最も魅力的に感じる都市」で最下位、「最も魅力に欠ける都市」で最上位という結果となり、「最も魅力に乏しい都市と見られている」と発表され、話題となった。

この結果を河村たかし名古屋市長も取り上げ、懸案だった名古屋城の木造復元の必要性を強調した。さらに、名古屋市は5月22日に、名古屋の魅力向上・発信のキャッチコピー「名古屋なんて、だいすき」 と新しいロゴを発表した。

・白い街のイメージ

ここへきて、急に「最も魅力に欠ける都市」と批判され、観光振興が必要だと言われてるようにみえる名古屋市だが、こうした指摘は以前からある。広い道路とコンクリートビルが立ち並ぶ、面白みのない街というイメージを有名にした最初は、1967年(昭和42年)に流行した石原裕次郎氏の「白い街」という歌だと言われる。

大ヒット曲とはならなかったようだが、激しい戦災で市の中心部が灰燼に帰し、100メートル道路をはじめとした近代的な都市計画で再建された名古屋の街は、この歌とともに、コンクリートで固めた無機質な近代都市というイメージを定着させてしまったようだ。

・出張で来れば直径5キロで済む

実際、出張などで名古屋に出かける場合、栄地域を中心に、直径5キロメートル程度の円の範囲で大方の用事が済んでしまう。郊外の工場などを訪ねる以外は、北端が名古屋城、南の端が金山駅、西の端が名古屋駅、東の端が千種駅の範囲内での移動である。いわゆるオフィス街やホテル、商業エリアは、ほぼこの円の中に集約されている。

そうなると、印象に残るのは「広い道路」、「古いものが何もない街」、「どこにでもあるような地方の都市」と言ったイメージであることは、否定しようがないだろう。

・市民の満足度は高い

「最も魅力に欠ける都市」と言われる反面、実は市民の満足度は高い。同じ名古屋市が2016年(平成28年)に実施した第55回市政世論調査では、「住みやすい」と「どちらかといえば住みやすい」と回答した人は全体の90.9%だった。その中で、名古屋の良いところとして60%以上の人が挙げているのは、「地理的に日本各地への移動が便利」という点である。

同じ調査で興味深いのは、良いところとして40%の人が「名古屋名物と言われている特色ある食べ物」としている反面、良くないところとして53.7%の人が「観光名所が少ない」ことを挙げている点である。「名古屋城くらいしか見るところはないねえ」と、当の名古屋市民からの返事が多いのも、当然なのだ。

・京の都よりも賑やかだった名古屋

しかし、落ち着いて考えてみれば、名古屋は、尾張徳川家の治める尾張藩の中心地であった。特に第7代藩主徳川宗春は、「名古屋の繁華に興(京)がさめた」と呼ばれるほどの賑わいを名古屋にもたらし、「芸どころ」名古屋の基礎を固めた。

戦災を受けたとはいえ、こうした歴史や文化は色濃く残っているはずである。そんな「芸どころ」である歴史と文化を今に伝える一つが、名古屋の美術館群だ。

・世界に誇れる徳川美術館

名古屋市内には、愛知県美術館、名古屋市美術館の公設美術館、さらに半公設である名古屋ボストン美術館などがある。さらに、これらに加え、なんと名古屋市内だけで、8つもの民間美術館があるのだ。

その中でも尾張徳川家の秘宝を収めた徳川美術館は、名古屋を代表する美術館である。本館は、1935年(昭和10年)の開館当時のもので、近代建築として有名だ。収蔵品は、徳川家康の遺品にはじまる、いわゆる「大名道具」1万件余りを誇る。 また、国宝「源氏物語絵巻」のほか、国宝9件、重要文化財59件を収蔵しており、春に開催される歴代の雛人形の展示は圧巻である。名古屋に来たら、ここは絶対に外せないと言える美術館だ。国際的にも集客力のある日本を代表できる美術館だ。

・茶どころ名古屋の実力

名古屋は、あまり知られていないが、茶道も盛んな土地柄である。抹茶ブームに乗って知名度が急上昇した西尾市は、名古屋の郊外にあり、茶道を支えてきた茶どころである。

こうした茶道の歴史、文化を伝えるのが、昭和美術館と桑山美術館である。この二つの美術館は、名古屋市中心部から少し離れた高級住宅街に隣接している。美術館に向かう鬱蒼と木が生い茂る大邸宅が並ぶ地域を歩くと、名古屋経済の豊かさを感じることができるかもしれない。

昭和美術館は、2200坪(約7300平米)の敷地に庭園が拡がり、池を中心に3つの茶室がある。その一つは、江戸時代に名古屋市中心部堀川沿いに建てられていた尾張藩家老の別邸を第二次世界大戦前に移築したものだ。戦災被害を受けなかった貴重な愛知県指定文化財である。収蔵品は重要文化財3点を含む800点あり、その大半が茶道に関するものとなっている。

桑山美術館は、近代の日本画と鎌倉時代から現代にいたるまでの茶道具を中心とした収蔵品を持ち、庭園と茶室も持っている。やはり茶道具を中心としたコレクションが名高い。建物は、小高い丘の上に立っており、屋上からは名古屋市内を一望できる。

この二つの美術館は、茶道が盛んな茶どころ名古屋の実力を伝える素晴らしい美術館であるが、観光ガイドブックなどには登場しないことが多い。世界的にも茶道が注目を浴びている現在では、観光名所になる価値は充分にあるにもかかわらず、もったいない限りである。

・名古屋の産業史と実業家たちの夢

地下鉄今池駅からほど近い住宅街にあるこじんまりした古川美術館は、美人画など近代日本画から西洋中世の彩飾写本など約2800点を収蔵しているが、もう一つの見どころは、別館である。この別館は、為三郎記念館と呼ばれ、元は古川為三郎氏の私邸である。母屋は1934年(昭和9年)に建築された数寄屋造りの「為春亭」の建物であり、広く手入れの行き届いた庭園の中には茶室「知足庵」もある。別館では、特別展や企画展も開催されているが、普段でも邸内で抹茶やコーヒーを楽しめるようになっている。

昭和美術館も桑山美術館も、いずれも個人の実業家のコレクションを財団化し、美術館を建設し公開している。実は名古屋市には、こうした美術館が他にもあるのだ。昭和美術館の創設者後藤幸三氏は、戦前に国産自動車の製造に携わり、桑山美術館の創設者桑山清一氏は、戦前に繊維産業で財を成した人物だ。古川美術館は、かつて名古屋市内で映画館や興業などで成長したヘラルドグループの創業者古川為三郎氏の個人コレクションを元にしている。これら美術館からは、名古屋の産業史と、実業家たちの夢も感じることができる。

・平成時代にも美術館は設立されている

こうした個人の実業家による美術館設立は、近年も続いている。大一美術館は、パチンコメーカーの大一商会がメセナの一環として1997年(平成9年)に開館したアールヌーボーのグラスアートを中心とした常設展示を行っている。掘美術館は、2006年(平成18年)にCADソフトの開発・販売を行うダイテックグループの創業者堀誠氏が収集した藤田嗣治、梅原龍三郎、棟方志功、加山又造など近代日本画を収蔵し、公開している。

さらに2010年(平成22年)には、工作機械メーカーであるヤマザキマザックの創業者山崎照幸氏が収集した美術品を公開するヤマザキマザック美術館が開館した。18世紀から20世紀のフランス美術を中心した絵画やガラス工芸、家具などの収蔵品が中心であり、山崎氏がヨーロッパの美術館のように個人の邸宅で鑑賞しているようにしたいという考えから、額装のガラスを外した形で直接、鑑賞できるようになっていたり、展示室の壁面が白一色ではなく、作品に合わせた壁色となっており、合わせて収集された家具も置かれている。

・名古屋人の名古屋知らず

名古屋市在住の中小企業経営者たちと先日、話す機会があったのだが、こうした美術館の多さに気が付いている人は少なかった。特に公設のものではなく、個人の実業家たちによるコレクションをそれぞれの財団が運営し、展示だけではなくお茶会やワークショップなど様々な活動を行っている。「観光名所が少ないというのは、ちょっと思い込みが過ぎていた」とある中小企業経営者が言った言葉を裏付ける。別の経営者は、「名古屋人の名古屋知らず。言われてみれば、経済界の先人たちが多くの資産を残してくれている。」と話す。

・豊かな文化や資源をどう生かすのか

名古屋は「観光名所が少ない」のではなく、「観光名所が知られていない」だけだ。実は名古屋市民は、ここに挙げた美術館を一例として、豊かな文化や資源に囲まれている。しかし、それが当たり前過ぎて、「観光名所」だという発想が少ないのではないか。さらに言えば、元々、産業も盛んで、経済的にも豊かであることから、観光産業で外から観光客を誘致して経済を活発化させる「必要性」も「関心」も低かったのは、当然なのである。

今回取り上げた美術館の創設者たちは、旧藩主、繊維産業、自動車産業、映画、パチンコ、製造業向けソフトウェア、工作機械などで財を成した。そのまま、名古屋の産業史を体現している。それぞれの時代の実業家たちが、発祥の地に海外からの観光客をも惹きつけるだけの資産を残してくれているのだ。

今回取り上げた美術館に限らず、名古屋、中部地方には実は観光資源となりうるものは数多い。観光客を誘致したいと考えるのであれば、「最も魅力に欠ける都市」などと煽るのは、長い目で見て得策ではない。素晴らしい物を持っていることを謙遜し、自虐的に言っているうちは良いが、本当に良い物、魅力的な物を持っていることを忘れてしまうのは、もったいないことだ。

さて、名古屋市民が選んだ「名古屋の良くないところ」の第一位はダントツで、「夏、蒸し暑いこと」である。そんな蒸し暑さを避けて、涼しい美術館で名古屋の「良さ」と「ほんもの」を感じてみるのも一興ではないだろうか。「魅力がない」などという感想が変わるかもしれない。

☆本文で紹介した美術館

徳川美術館

昭和美術館

桑山美術館

古川美術館

大一美術館

掘美術館

ヤマザキマザック美術館

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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