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トルコで広がる‘ウイグル狩り’――中国の「ワクチンを送らない」圧力とは

六辻彰二国際政治学者
イスタンブールに暮らすウイグル人のデモ(2020.10.1)(写真:ロイター/アフロ)
  • 中国で弾圧され、国外に逃れたウイグル人を最も多く受け入れているのは、民族的に近いトルコである
  • しかし、トルコでは最近、亡命ウイグル人の間に、中国に強制送還される不安が広がっている
  • トルコ政府の変心の背景には、コロナワクチンの提供を手段とした中国の圧力があるとみられる

 中国での弾圧を逃れた亡命ウイグル人は、海外でも安心できない。受け入れ先の政府が、中国の圧力によって態度を変えかねないからだが、その波は最大のウイグル人受け入れ国トルコにも及んでいる。

「昨夜15人が消えた」

 中国の新疆ウイグル自治区でのウイグル弾圧は、日本でもこの数年で広く知られるようになった。ウイグル人のなかには運よく国外に逃れられた者もあるが、中国当局の手を逃れた彼らを、今度は受け入れ国の政府が追ってくることも珍しくない。

 トルコでは最近、当局によってウイグル人が国外退去の処分を受けるケースが増えている。2月中旬、イギリスメディアの取材に応じたイスタンブールに暮らすウイグル人男性は、「昨晩だけで15人が連れていかれた。彼ら(トルコ政府)は少しずつ実行しているんだ」と述べている。

 その多くは合法的に在住しているウイグル人だが、さまざまな理由をつけられて警察に連行された後、トルクメニスタンなど第三国を経由して、この数年で数百人が中国に送られているとみられる。

 トルコに暮らす亡命ウイグル人にはウイグル伝統のものを扱う雑貨店や飲食店などを営む者が多いが、警官などの目にとまりにくくするため、店の看板やディスプレイを外す動きも広がっているという。

 トルコはウイグル人に冷たいわけではない。むしろトルコ人は民族的にウイグル人に近く、そのためにトルコはこれまで亡命ウイグル人の最大の受け入れ国となってきた。トルコに暮らすウイグル人は約45,000人と推計される。トルコのエルドアン大統領は2009年、中国のウイグル弾圧を「大量虐殺」と呼び、中国と外交的なトラブルになったこともある。

 現在でもトルコ政府は少なくとも公式にはウイグル問題に熱心な姿勢を保っている。しかし、その影でウイグル狩りが進む状況は、もはや亡命ウイグル人にとって安心できる土地がなくなりつつあることを象徴する。

巨大な監獄社会・新疆

 亡命ウイグル人はなぜ中国当局に追われるのか。

 そのほとんどがムスリムであるウイグル人は、中国の55の少数民族で最も人口が多く、なかには中国の支配から独立しようとする一派もある。中国政府は分離主義を「テロ」と位置づけ、数百万人を「再教育キャンプ」と呼ばれる強制収容所に収容してきた。

 再教育キャンプでは、女性に外科手術などが施されてウイグル人の出生率が低下したことや、イスラームで忌避される豚肉を食べることを強要されるなどといった事例が報告されている。国際的な批判の高まりを受け、中国政府は2019年12月、「全てのウイグル人が再教育キャンプを‘卒業’した」と発表した。しかし、‘卒業’したウイグル人たちを待ち構えているのは刑務所ともいわれる。

 国外に逃れた場合、中国当局は海外に暮らすウイグル人たちの親族を勾留するなどして脅し、帰国を促してきた。国外で中国の恥部を訴える亡命ウイグル人たちは、中国当局にとって危険極まりない存在だからだ

 ただし、亡命ウイグル人にとっての「敵」は中国だけではない。一度はウイグル人を受け入れた国も中国の圧力によって態度を翻すことは珍しくないためであり、ウイグル問題で中国を最も厳しく批判してきたトルコもその例外ではない。

トルコ政府の変心

 それでは、トルコ政府はなぜ態度を変え、ウイグル狩りに向かうのか。そこにはトランプ政権の遺産とコロナの影響がある。

 このうちまずトランプ政権の遺産について触れると、トルコは2018年からアメリカとの貿易摩擦で経済が急速に悪化してきた。トランプ政権の「アメリカファースト」の矛先は中国にとどまらず各国に向かったが、そのなかにはNATO加盟の同盟国であるトルコも含まれた。

 トルコ製のアルミ、鉄鋼などの輸入関税が引き上げられたことは、2018年8月にトルコ・リラが暴落するきっかけにもなった。アメリカとの取引が激減し、経済にブレーキがかかるなか、トルコでは相対的に中国の投資や貿易の重要性が増したのである。

 もともとトルコのエルドアン政権はウイグル問題で中国を非難する一方、「一帯一路」国際会議に出席するなど、中国との経済交流には積極的だった。これはアメリカと中国を天秤にかける手法だが、この危ういバランスはトランプ政権との関係が急速に悪化したことで崩れ、結果的にトルコは中国への依存度を深めることになってしまったのである。

「ワクチンを送らない」外交

 これに拍車をかけたのがコロナの蔓延と中国のワクチン外交だ。

 トルコ政府は昨年12月、中国国営のシノバック・バイオテック社と5,000万回分のコロナワクチン購入の契約を結んだ。しかし、1月中旬に650万回分が届いて以降、ワクチンの到着は遅れている。

 トルコ保健省は「4月末までには揃う」と強調するが、シノバック側から同様の見通しは伝わってこない。

 仁義なきワクチン争奪戦が展開されている世界では、一部の富裕な国がコロナワクチンの多くを買い占めており、新興国や途上国は後回しにされやすい。この状況のもと、コロナ対策で国際的な主導権を握りたい中国は、いち早く各国にワクチンを供給してきた。

 質はともかくスピードと規模の大きさは中国の真骨頂であるがゆえに、トルコへのワクチン遅延は異例といえる。

 そのため、中国、トルコの両政府が「ウイグル問題とワクチン遅延は無関係」と強調しても、トルコの野党などから「中国がワクチンを人質にウイグル問題で圧力をかけている」と批判があがることは不思議でない。

犯罪者引き渡し条約の圧力

 トルコ政府にとってさらに圧力になっているのが、中国との間で2017年に結ばれた、犯罪者の引き渡しに関する条約だ。中国側はウイグルを「分離主義のテロリスト」と位置づけているため、この条約が発効すれば亡命ウイグル人もその対象に加えられかねない。

 中国側は昨年、この条約を批准した。あとはトルコ議会が批准すれば、この条約は発効する。この状況は中国から「早く批准しろ」という無言の圧力になる。

 ただし、トルコ政府にとって、亡命ウイグル人引き渡しにつながりかねない条約の批准・発効は避けたいところだ。

 サウジアラビアなど他のイスラーム諸国が中国との関係を念頭に、中国によるウイグル弾圧に沈黙しがちななか、「イスラーム世界のリーダー」を目指すトルコにとって「ムスリムが異教徒に弾圧されている」ウイグル問題は格好の外交手段であることも手伝って、エルドアン大統領はこれまでウイグル問題をテコに中国批判を展開し、ナショナリズムを鼓舞してきた。

 つまり、ここで条約を批准すれば、エルドアン大統領は自分が煽ってきたナショナリズムに足元をすくわれかねないのだ。

 条約は批准したくない。しかし、ワクチンは欲しい。

 トルコ政府のこのジレンマのもと、亡命ウイグル人を事実上、強制送還するウイグル狩りが進んできたのである。ウイグル人にとって安息の地は着実に失われつつあるのだ。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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