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サウジ人記者殺害事件が単純に「報道の自由をめぐる問題」ではない3つのポイント

六辻彰二国際政治学者
ロンドンで講演するジャマル・カショギ氏(2018.9.29)(提供:Middle East Monitor/ロイター/アフロ)

 10月20日、サウジアラビア当局はトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で行方不明になっていたサウジ人記者ジャマル・カショギ氏を領事館員らが「過失」で死亡させたと認め、これを隠蔽しようとしたとして18人を拘束した。この事件は人権問題として国際的に関心が集まっていたものの、少なくとも当事国の当局者にとっては政治的な問題であり、「独裁者」同士の対立が表面化したものともいえる。

三つの疑問

 今回の問題は人権や報道の自由という観点から語られやすいが、それ以外にも大きく3つのポイントがある。

  • カショギ氏は単に「反体制」だったから殺害されたのか
  • なぜトルコはこの事件の究明に熱心なのか
  • 「領事館員が勝手にやったこと」というサウジ当局の説明をトルコは受け入れるのか

知りすぎた男

 これらについてみていくと、第一に、カショギ氏の事件は「自由や権利を訴える反体制派への弾圧」というだけでなく、その死にはサウジ内部の権力闘争の影響がうかがえる

 カショギ氏はしばしば「反体制的なジャーナリスト」と紹介されているが、最初から政府に批判的だったわけではない。カショギ氏は1990年代に政府系新聞で務め、(サウジ政府から資金協力を受けていたと噂される)アルカイダのリーダーだったビン・ラディンにインタビューした経験ももつ。王族・政府内にも知古は多く、2000年代に情報部門の責任者を務めたタルキ・ビン・ファイサル王子のメディア・アドバイザーでもあった。

 つまり、カショギ氏はむしろサウジ政府の内実に通じていたが、その後2010年に編集方針をめぐって政府系新聞アル・ワタンを解雇された後、報道の自由や表現の自由を強調する言論活動に転じ、欧米メディアでも中東問題についてコメントする著名ジャーナリストとなった。

 これは現在の事実上の最高権力者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子からみて、一種の脅威だったといえる。

 2015年に即位したムハンマド皇太子は、高齢の実父サルマン国王に代わり、事実上国政の全てを握り、その権力をもってサウジの近代化を推し進めてきた人物だ。その改革には女性が自動車を運転することの解禁や、石油頼みのサウジアラビアに製造業・観光業など新たな産業を育成することなどが含まれるが、その一方で改革を推し進める強い権限を集中させるため、政府や国営企業に根を張る王族を次々と排除してきた。

 とはいえ、サウジアラビアではもともと言論や情報の統制は厳しいものの、これまでジャーナリストが殺害されることは稀だった。それにもかかわらず、ムハンマド皇太子と対立する王子とも親交があるカショギ氏が殺害された今回の事件は、ムハンマド皇太子の独裁化を象徴するとともに、暴かれてはならない秘密をカショギ氏が握っていた可能性をも示唆する。

トルコはなぜ熱心か

 次に、事件が発生したトルコは、なぜその究明に熱心なのか。

 トルコ政府が人権の観点からサウジ人記者の安否を重視していたとは思えない。トルコのエルドアン大統領は、サウジのムハンマド皇太子と同様、独裁化の傾向を強めており、トルコ政府自身がサウジ政府と同じくらい、あるいはそれ以上に表現の自由を制限しているからである。

 「国境なき記者団」によると、現在世界で167人のジャーナリストが拘束されているが、このうちトルコ国内では27人が刑務所に収監されており、これは世界で最多である。また、2016年11月にはSNSが封鎖されている。

 むしろ、トルコ国内で発生した事件とはいえ、トルコ人でもないジャーナリストの失踪事件にトルコ政府が熱心であることは、主にサウジアラビア政府を「とっちめるため」だったといえる

 トルコとサウジはいずれもアメリカの同盟国で、宗派もスンニ派で共通する。また、トルコはムハンマド皇太子が推し進めるイエメン内戦への介入にも協力してきた。

 その一方で、両国の間には拭い難い対立もある。

 例えば、サウジアラビア政府が「テロ組織」と認定するイスラーム団体「ムスリム同胞団」は、トルコのエルドアン大統領の支持基盤の一つである。また、サウジがアメリカとともに「反アサド」の立場からシリア内戦に介入したのと対照的に、トルコはロシアやイランとともにアサド政権の存続を認めている。

 さらに、トルコと同様、ムスリム同胞団に友好的なカタールに対して、サウジアラビアは2017年6月から経済制裁を強いているが、これに対してトルコはカタールに食糧などを送って支援するだけでなく、トルコ軍をカタールに駐留させ、事実上サウジの圧力から同国を守ってきた。

 こうした背景のもと、「サウジ政府によるサウジ人記者の圧殺」を世界に宣伝することは、トルコにとってサウジに「非人道的な独裁国家」というレッテルを貼り、外交的に追い詰める手段となる。だからこそ、トルコ政府はこの事件の捜索に熱心だったのである。

事件の収束の政治力学

 最後に、今回の事件の捜査がトルコとサウジの政治的な対立を反映したものだったとすると、今後の展開も、人権より政治が優先されるものになるとみられる。

 サウジアラビア当局がカショギ氏の死亡を認める以前、ムハンマド皇太子と対立してドイツに亡命しているハリド・ビン・ファルハン王子は「サウジ政府がスケープゴートを持ち出す」と予測していた。この観点からみれば、カショギ氏の死亡を認めたサウジ当局が、極めてスピーディーに18人を逮捕したことは不思議でない。

 サウジの発表に対して、トルコの与党、公正発展党のスポークスマンは「トルコは発生したどんなことも明らかにする」と強調し、調査の継続を示唆した。しかし、18人の逮捕が多くの人に「トカゲのしっぽ切り」とみられたとしても、トルコ政府にとってもこれがサウジ追及の潮時になる可能性は大きい

 トルコとサウジのどちらにとっても重要な同盟国であるアメリカのトランプ大統領は、基本的にサウジアラビア政府を擁護する立場にある。

 オバマ大統領はイランとの関係を改善し、2015年に歴史的なイラン核合意を成立させたが、トランプ大統領には「反イラン」が鮮明で、イランを敵視するサウジとの同盟関係を再構築することに力を注いできた。2017年5月、初めての外遊でトランプ氏がサウジアラビアを訪問したことは、その象徴だ。

 そのため、トランプ大統領はトルコ当局が事件の重要証拠である音声データを握っているとみられる以上「過失による死亡」というサウジ当局の説明に疑念を示さざるを得なかったものの、「ムハンマド皇太子がこの件について知らなかったことは起こりえる(possible)」とも述べている。さらに、サウジへの経済制裁への可能性を否定しない一方で、武器輸出は続けるとも明言している。そこには「これで事件を収束させたい」という、サウジやアメリカの意図をうかがえる。

 その一方で、トルコのエルドアン大統領はシリア内戦でのイランとの協力やトルコ製鉄鋼・アルミニウムの輸入関税引き上げなどをめぐってアメリカと対立してきた。しかし、一つの焦点だった、トルコ当局がテロ容疑で拘留していたアメリカ人牧師の解放をきっかけに両国の関係は改善に向かいつつあり、この状況下でこれ以上トランプ政権の不興を買うことは避けたいところだ。

 だとすれば、アメリカからさらなる「ボーナス」を引き出したり、世界に向かって体面を保ったりするために強気の発言があっても、トルコがサウジの幕引きを受け入れたとしても不思議ではないのである。

「独裁者」対「独裁者」の時代

 こうしてみたとき、今回の事件はトルコとサウジアラビアの「独裁者」それぞれの事情や両国の対立を映し出すものだ。批判する者を排除するムハンマド皇太子と、自国のことは棚に上げて「人権」を外交的な手段として用いるエルドアン大統領は、どちらも権力を集中させようとする「独裁者」である点で一致する。

 欧米諸国では、専制君主国家だったペルシャ帝国と民主政ギリシャの間の戦争以来、「独裁者」と民主主義が争う構図が好んで語られがちだが、実態としては「独裁者」同士の争いも絶えない。今回の事件が収束したとしても、国際情勢が流動化する今後の世界では、トルコとサウジアラビアの間の摩擦のような事案は、増えこそすれ減ることはないとみてよいだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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