Yahoo!ニュース

「地上の約20%がバッタ巨大群の被害を受ける」――FAO警告の衝撃

六辻彰二国際政治学者
インド農務省によって殺虫剤で駆除されたバッタ(2020.5.29)(写真:REX/アフロ)
  • バッタの大群はアフリカ、アジアだけでなく南米でも勢力を拡大している
  • ブラジルやアルゼンチンは世界的な穀物輸出国であるため、バッタの襲来を受けていない土地でも食糧不足の影響が出やすい
  • それに加えて、バッタの襲来はそれまでに高まっていあ政治的混乱や軍事的緊張をエスカレートさせかねない

 70年に一度ともいわれる規模のバッタ大発生は、コロナの悪影響とも相まって、図りしれないダメージを各地に及ぼす公算が大きい。

三大陸に広がるバッタ巨大群

 1月下旬に東アフリカで発生したサバクトビバッタの大群は、各地で繁殖を繰り返しながら、海を超えてアジアでも勢力を広げている。

 インドでは北西部から侵入したバッタの大群が農作物を食い荒らしながら、6月末までに首都ニューデリー近郊に迫っている。また、標高が高く、気温が低いため、これまでバッタの襲来が少なかったネパールでも、すでに1100ヘクタールの農地が被害を受けている。

 ところが、アフリカとアジアだけでなく、南米でもバッタが大繁殖している

 その発生源はパラグアイとみられ、5月21日にはアルゼンチンのサンタフェにバッタの大群が出現した。今後、周辺のブラジルやウルグアイにも拡大する恐れがある。

世界全体で食糧価格が高騰する恐れ

 各国の政治、経済がコロナで混乱するなか、三大陸に広がるバッタの大群は、人間社会に大きな悪影響を及ぼすとみられる。その第一が、食糧危機だ。

 すでにコロナによって各国の農業や流通には大きな影響が出ている。国内の食糧不足への懸念から、輸出を制限する国が増えていることは、これに拍車をかけている。

 ウォールストリートジャーナルによると、コロナ蔓延後の食糧価格は、過去40年間で最も早いペースで上昇している。

 バッタによる農作物被害は、これをさらに加速させる懸念が大きい。国連の食糧農業機関(FAO)は、このままでは地球の土地の約20%、世界人口の約10分の1がダメージを受けると警告している。

 東アフリカやアジアなどではすでに食糧価格が上昇しているが、このうえ南米でもバッタの被害が拡大すれば、影響はより深刻なものになるとみられる。ブラジルやアルゼンチンは世界屈指の穀物輸出国だからだ。アトラスによると2018年の全世界におけるトウモロコシ輸出額のうち、ブラジルは12.6パーセント、アルゼンチンは12.3パーセントを占める。

 つまり、このままバッタの被害が拡大すれば、バッタが直接やってこない土地の食糧価格にも影響を及ぼしかねない。

バッタが政治を混乱させる?

 バッタが及ぼす第二の影響は、政治の混乱だ。

 北東アフリカではコロナとバッタ、さらに昨年末からの大雨による洪水の三重苦で市民生活がひっ迫しており、それにともない政府への不満が表面化している。

 例えば、エチオピアでは6月29日、政府を批判する同国の有名歌手ハチャル・ハンデッサ氏が首都アディスアベバで殺害され、これをきっかけに抗議デモが各地に拡大。その結果、抗議デモの参加者80人以上が殺害され、政府はSNSを遮断した。

 エチオピアはこの10数年間、順調に経済成長し、そのパフォーマンスは世界的にも注目されてきた。その一方で、民族間の対立は根深く、とりわけ人口で最多のオロモ人の間では政府への反感が広がっている(ハチャル氏もオロモ出身だった)。

 そのエチオピアでは、FAOの調査によると、バッタの襲来により20万ヘクタール以上の農地が被害を受け、今年に入って全国平均で食糧価格が50パーセント上昇している。こうした社会不安は、民族対立を噴出させるきっかけになったといえる。

 古来、食糧やエネルギーの不足による社会不安は革命や内乱の引き金になってきた。エチオピアの政治危機は東アフリカ各国にとって対岸の火事ではないのだ。

軍事的な緊張の高まり

 第三に、バッタの大群はすでに高まっていた国家間の緊張をエスカレートさせかねない。その典型が中国とインドの対立だ。

 中国とインドの間には、これまでにも領土や勢力圏をめぐる争いがあったが、6月15日に両軍が国境にあるガルワン渓谷で小競り合いを演じ、インド兵20人が死亡したことで、これまでになく緊張が高まっている。

 6月中旬以前、バッタ対策で中国とインドが協力する可能性も取り沙汰されていた。しかし、中印の緊張がこれまでになく高まった後は、バッタがむしろ両国の関係をさらに悪化させる一因にもなっている。

 6月29日、中国政府系の英字紙グローバル・タイムズは「中国にはインドのバッタ対策を支援する力がある」と述べたが、そのうえで支援の前提として「インド側が頼まなければならない」と付け加えた。

 念のために補足すれば、支援において相手からの要請を前提にするのは中国の基本方針だ。それは「押しつけ」のイメージを避けるもので、マスク外交でもそれは同様だった。

 しかし、このタイミングでインドにそれをいえば、反感をさらに招くことは目に見えていた。実際、インドでは反中世論が噴出。火に油を注ぐことになった。

 インドは独立以来、カシミール地方の領有をめぐって隣国パキスタンと対立し、同国を念頭に1998年には核保有に至った。しかし、現在ではむしろ「一帯一路」構想のもと南アジア一帯に勢力を広げる中国をその標的にしているともいわれる。

 バッタ巨大群の襲来はこうした中印関係にも影を落としているのである。

社会の変革は間に合うか

 コロナがそうであるように、大きな危機は社会を混乱させると同時に、それまでの社会を見直すきっかけにもなる。バッタの大群の襲来は、食糧のアンバランスな配分や民族対立、さらに国境問題など、さまざまな問題を表面化させる契機にもなっている。

 歴史をふり返ると、中世という時代が終わり、近代の幕が開いた14〜15世期のヨーロッパでは、ペストが蔓延しただけでなく、バッタの襲来も相次いでいたことが、最近の研究で明らかになっている。当時の気候変動がこれに影響したとみられている。

 良くも悪くも病気や天災が人間に苦難を与えると同時に社会の変革を促してきたとすれば、三大陸に広がるバッタの大群は、コロナとともに歴史の大きな分岐点となるかもしれない。だとすると、問題は危機そのものよりむしろ、人間が危機を歴史の発展のために活用できるかにあるといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)、『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)など。

六辻彰二の最近の記事