「楽園」モルディブの騒乱―中国、インド、サウジの「インド洋三国志」と小国の「産みの苦しみ」

モルディブ、ダール環礁(写真:アフロ)

 インド洋に浮かぶモルディブは世界有数のリゾート地として知られ、日本からも年間約4万人が観光で訪れます。この国で2月5日、政府が非常事態を宣言。最高裁長官などが逮捕・拘束され、野党支持者やメディアへの弾圧が激しさを増しています。

 この騒乱の背景としては既に「中国よりの政府とインドよりの野党の対立」という構図が紹介されています。しかし、総面積が東京23区の約半分(298平方キロメートル)で人口わずか40万人に過ぎないこの小国が直面する状況は、より複雑なものです。モルディブは中国、インド、サウジの三大国が勢力を争う「三国時代」のさなかにあるのです

民主化から強権化へ

 まずモルディブそのものに目を向けると、今回の騒乱は基本的には「民主化の産みの苦しみ」の一端といえます。非常事態を宣言し、強権化するアブドッラ・ヤーミン大統領は、かつて政府を批判する勢力の頭目として台頭した経歴の持ち主です。

 モルディブでは1978年から2008年まで30年間に渡って、マウムーン・ガユーム大統領(当時)が権力を維持。しかし、独裁への批判を受け、2008年の大統領選挙では野党候補のモハメド・ナシード氏がガユーム氏を破り、初めて民主的に選ばれた大統領が誕生したのです。

 ところが、大統領選挙で勝利したものの、ナシード氏率いる民主党(MDP)は議会で少数派にとどまりました。その結果、野党が多数を占める議会と大統領の対立が深刻化。2010年12月には、議会の承認を経ないままナシード大統領が大臣を任命したことに最高裁が違憲判決を下し、これをきっかけに抗議デモが各地に広がりました。

強権支配の連鎖

 このなかで台頭したのが、ガユーム元大統領率いる進歩党(PPM)に加わったヤーミン氏でした。ヤーミン氏はガユーム元大統領の異母兄弟で、ガユーム政権でも国営企業の要職などを歴任。政府による司法への介入に批判が広がり、警察や軍隊までがこれに呼応するなか、2012年2月にナシード氏が大統領を辞任すると、ヤーミン氏は2013年11月の大統領選挙にPPM代表として立候補して当選したのです。

 ところが、そのヤーミン氏が非常事態を宣言したきっかけも、ナシード政権と同様の司法介入にありました

 就任後、ヤーミン政権は野党関係者などの取り締まりを強化。ナシード氏は英国に亡命せざるを得なくなったのです。この背景のもと、最高裁は2月1日、獄中の野党政治家9人の釈放と、与党離党後に罷免された議員12人の復職を命令。これが実現すると、議会で与野党が逆転し、ナシード政権期のように「ねじれ」が発生するだけでなく、国外で政府批判を展開してきたナシード氏の帰国にも道筋がつきかねません。

 そのため、ヤーミン大統領は5日、最高裁に命令の撤回を要求。その後、15日間の非常事態が宣言され、最高裁判事らが逮捕された他、ガユーム元大統領も自宅で拘束されるなど、混乱が広がったのです。

「楽園」を目指す中国

 こうしてみたとき、モルディブの騒乱は、制度的な民主化が多様な政治活動を生み、これを封じるためにかえって政府が強権化した結果、生み出されたものといえます。革命後のフランスにナポレオンが登場したように、民主化が力による支配を生む現象は、しばしばみられるものです。ただし、モルディブの場合、外国の影響が対立をより深刻化させてきました

 もともとモルディブは、英国の植民地時代、スリランカの総督府が間接的に支配していました。そのため、1965年の独立後もインドやスリランカと深い関係を維持。30年にわたる支配を築いたガユーム元大統領は、インドとの協力に基づき、その座を保ちました。

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 しかし、中国がインド洋への進出を強めるなか、その「一帯一路」構想のルート上に位置するモルディブは、中国にとって海上交通の要衝として重要度を増していったのです。

 その結果、ヤーミン政権との友好関係に基づき、中国は2014年9月に合意された、2億ドルを投じた「中国・モルディブ友好橋」の建設をはじめとするインフラ協力を加速。これと並行して、自由貿易協定(FTA)の締結による貿易・投資も活発化してきました。さらに、2013年の段階で、年間120万人にのぼる観光客のうち中国人は33万人にのぼりました。

反中感情の芽

 ただし、中国の急速な進出が膨大な資金流入をもたらし、結果的にその国の政府要人の汚職を加速させがちなことは、多くの国でみられることです。モルディブでもヤーミン政権にはもともと汚職の噂が絶えませんでしたが、中国の進出はその汚職体質を強化したとみられます

 モルディブ・インデペンデント紙によると、中国とモルディブの両政府の協議で決定された、「中国・モルディブ友好橋」を含む橋脚建設に関わる中国企業のなかには、フィリピンの道路改修工事などで詐欺行為を働いたとして世界銀行のブラックリストに掲載されているCCCC Second Harbor Engineering社も含まれています。報道を受け、ヤーミン政権は企業選定が「透明で公正なもの」と強調しましたが、これは中国だけでなく政府に対する反感をも招き、それが結果的に政府ををさらに強権化させる一因になったといえるでしょう。

 これまでにも中国とインドの勢力圏争いは表面化しており、もともとモルディブと近い関係にあったインドからみて、中国の「一帯一路」構想はこれを脅かすものです。この背景のもと、中国に傾倒するヤーミン大統領と対立し、英国に亡命中のナシード元大統領は2018年1月22日に訪問先のスリランカで「モルディブの対外債務の80パーセントは中国が握っており、これによって中国は島を奪い取ろうとしている」と批判。インドをはじめ、中国を警戒する国への協力を呼びかけたのです。

ダークホース・サウジアラビア

 以上に鑑みると、非常事態を宣言した後、ヤーミン大統領が状況を説明するため中国に特使を派遣した一方、インドには誰も派遣しなかったことは、不思議ではありません。

 ただし、ここで注意すべきは、ヤーミン大統領が特使を派遣した国のなかには、中国だけでなくサウジアラビアも含まれていたことです。

 モルディブは伝統的にインドの「縄張り」である一方、人口のほぼ100パーセントをムスリムが占めます。聖地メッカを擁するサウジアラビアは厳格な政教一致を説くワッハーブ派を国教とし、神学生の受け入れ、説教師の派遣、モスクの建設などを通じてイスラーム圏への影響力を強めてきました。モルディブに対しても2016年10月に1億5000万ドルの資金協力を行うなど、世界有数の産油国として経済的なアプローチもありますが、サウジの本領はむしろイスラームを通じた影響力の拡大にあります

 英国BBCによると、2014年3月にモルディブを訪問したサウジのサルマン皇太子は、同国に「世界クラスの」モスクを10ヵ所に建設する他、サウジへの留学生のために10万ドルを提供することなどを約束。イスラームを通じたサウジの影響力の強さは、2017年6月のサウジ主導によるカタール断交にモルディブ政府が追随したことからもうかがえます。

イスラーム過激派の台頭

 ところが、サウジによる厳格なイスラームの普及は、モルディブの内政にも少なからず影響を及ぼしてきました。

 東南アジアやアフリカなどその他の「イスラーム圏の周辺」と同様、もともとモルディブでは土着の聖人崇拝などと結びついた、緩やかなイスラームが主流でした。

 しかし、サウジのアプローチが加速するなかで、「イスラーム社会としての純化」を求める動きが活発化。その結果、例えば先述した2010年からのナシード元大統領に対する抗議デモは、当時進められていた、リゾートにおけるアルコール販売などの規制緩和を批判する人々も含まれていました。また、2013年の大統領選挙でヤーミン氏はナシード氏を「反イスラーム的」と非難して排撃するなど、イスラームがこれまで以上に「正統な教義」と位置づけられるようになったのです。

 それにつれて、失業や貧困への不満も手伝って、選挙中も「反イスラーム的」とみなされる人々への襲撃や暴行も横行。また、2014年に「イスラーム国」(IS)が建国を宣言するや、約200人がシリアに渡ったとみられます。これはISに最も多くの外国人戦闘員を送り出したチュニジア(6000人)やサウジアラビア(2500人)と比べて少ないものの、先述のようにモルディブの全人口は40万人に過ぎず、人口に占める比率(0.05パーセント)ではサウジを上回り、チュニジアとほぼ同じ水準になります。

サウジへの不信感

 ところが、サウジとの関係を重視し、イスラームを選挙戦術として用いるヤーミン政権は、ワッハーブ派に感化され、暴力事件を引き起こす若者を必ずしも積極に取り締まってきませんでした。これがインドとの関係を重視してきた、異母兄弟のガユーム元大統領を含む反対派からの批判を引き起こしてきたことは、不思議ではありません。

 のみならず、2017年3月に一部メディアが「政府がサウジアラビアにファーフ環礁を売却することを決定した」と報じたことは、ヤーミン政権へのさらなる批判を招きました。それに先立つ2015年6月、ヤーミン政権は国土を外国に売ることを可能にするよう憲法を改正していました。しかし、反対の声が高まったことを受け、政府はメディア規制を強める一方、計画そのものを否定せざるを得なくなりました。

 この背景のもと、ナシード元大統領はスリランカでの声明のなかで、中国だけでなくイスラーム過激派もモルディブへの脅威として取り上げています。それはサウジに対する警戒をも暗示しているといえるでしょう。

「インド洋三国志」の時代

 こうしてみたとき、今回のモルディブ騒乱は国内外の伏線が複雑に絡み合った結果といえます。

 中国、インド、サウジの三ヵ国はインド洋一帯をめぐり、激しい火花を散らしてきましたが、それは協力と対立の微妙な関係のうえにあります。中国とインドは「一帯一路」をめぐって対立する一方、BRICSのメンバーとして協力関係にあります。一方、サウジは国内のムスリム迫害を容認するインドのモディ政権と必ずしも友好的でなく、モルディブだけでなくパキスタンなどでも、インドと対立する中国と戦列をともにしています。また、大産油国サウジにとって中国は、いまや米国以上に大事な顧客でもあります。しかし、サウジも「一帯一路」には非協力的です。

 インド洋を囲む三ヵ国がこのような複雑な関係にある様は、古代中国の三国時代を想起させます。そのレースが激しさを増すほど、周辺の小国はこれまで以上に振り回されやすくなり、それは内政にまで影響を及ぼすとみられます。モルディブの事例は、インド洋一帯の小国にとって、他人事でないといえるのです。