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「仏教は暴力に結びつきにくい」のか:ロヒンギャ排斥を主導する仏教僧を突き動かすもの

六辻彰二国際政治学者
バングラデシュの難民キャンプに逃れてきたロヒンギャ(2017.8.30)(写真:ロイター/アフロ)

 先日、ロヒンギャ問題の記事を読んだ知り合いから質問を受けました。それは「なぜミャンマーでは仏教僧が先頭に立って、ムスリムのロヒンギャを排斥しようとしてきたのか」というものでした。

 同様の質問は他でも受けたことがありますが、そこには「仏教はその教義からして他者を受け入れるもので、歴史的にも宗教戦争はなかったのではないか」という疑問があるようです。言い換えると、この手の質問の前提には、キリスト教やイスラームなどと比べて、仏教に平和的なイメージがもたれていることがあると思われます。

 しかし、後述するように、キリスト教やイスラームなどの一神教と仏教の間に、他の宗教・宗派に対する態度の違いはあるとしても、その他の宗教と同様に仏教もやはり暴力と無縁ではありません

 日本でも、明治期こそ国家神道によって排斥された「被害者」としての歴史(廃仏棄釈)がありますが、伝来から間もない飛鳥時代には仏教を信奉する曽我氏と古来の神道を掲げる物部氏の争いが起こり、平安時代から鎌倉時代にかけては多くの僧兵を抱える大寺院が政治的影響力を示し(『平家物語』で白河天皇はままならないものとして、氾濫を繰り返していた加茂川の水、双六のサイの目、比叡山延暦寺の山法師をあげている)、戦国時代には一向宗信徒が大名並みの軍事力をもって織田信長らと対峙しました。

 ただし、ここで注意すべきは、「(他の宗教と同様に)宗教としての仏教の教義そのものが暴力を導いているのではなく、仏教が政治的イデオロギーとなることで、暴力行為を行う特定の集団の主張を支える基盤にされている」ことです。これについて、ロヒンギャ問題が改めてクローズアップされるミャンマーの事例から考えます。

仏教と一神教

 仏教は民族や地域を越えて伝播した「世界宗教」であり、この点でキリスト教やイスラームなどとも共通します。

 その一方で、近代以降の日本を代表する哲学者の一人である和辻哲郎は、キリスト教やイスラームなどの一神教と仏教には、その伝播に大きな違いがあったと指摘します【『続日本精神史』、1962】。つまり、在来の宗教や土着の習慣に対して、キリスト教やイスラームが「不寛容、非妥協的」であったのに対して、仏教は「寛容、妥協的」だったというのです。

 歴史的に、キリスト教やイスラームの布教が少なからず戦争や侵略をともなうものだったことは確かです。そして、キリスト教あるいはイスラームに改宗する場合、それ以外の信仰は全く捨てなければならず、さらに他の神は「悪魔」にさえ位置付けられてきました(旧約聖書にある「ソロモンの悪魔」はそれ以前からのエジプトやメソポタミアの神々を指す)。

 これに対して、紀元前5世紀頃にインドで生まれた仏教の普及は、常に平和的だったとは限らないものの、少なくともそれまでのものを捨てることを強制することは少なく、むしろ他の宗教や習慣を吸収していきました。例えば『寅さん』で有名な帝釈天は、もともとインド神話のインドラを「仏教の守護神」として取り入れたものです。また、インドで発祥した段階では仏教に「先祖祭祀」の要素はありませんでしたが、シルクロードを通じて中国に伝播した段階で、これが加わったといわれます。

世界に広がる条件

 念のために言えば、キリスト教やイスラームも布教段階で他の宗教や土着の習慣を全く無視したわけではありません。

 キリスト教の祭典の一つとみなされるイースター(復活祭)はもともと春の訪れを祝うイングランドの古い習慣で、それがいつしかキリスト教に取り入れられたものです。また、15世紀以降、中南米での布教においてカトリック教会はマリア像を現地人に合わせて褐色に塗り、親しみをもたせました。イスラームでも、中心地であるアラビア半島一帯はともかく、アフリカや東南アジア、中央アジアでは精霊信仰や聖人崇拝の要素が取り入れられてきました。

 それぞれの土地の固有性を抜きに、金太郎アメのようにどこも全く同じ原理を導入しようとしても反発が大きくなりがちで、普及のためにキリスト教やイスラームもそれなりに「調整」してきたといえます。発祥地あるいは中心地から離れるほど、現地のものと結びついて、オリジナルにない要素が盛り込まれるのは、宗教に限らず、政治的イデオロギーでも同様です(冷戦期の中東で盛んだったアラブ社会主義など)。

融通無碍の自由さ

 とはいえ、他の宗教の神々や習慣まで取り入れてきた仏教が、キリスト教などと比べて、総じて「ゆるい」ことは確かです。仏教学者で僧侶の山田明爾によれば、「仏教とは水みたいなもので、仏教という水を飲んだ人間がそれぞれ自由に行動するが、その行動のいちいちは規制しない」【『シルクロード学の提唱』、1994】。(一夫一妻の)キリスト教や(一夫多妻を認める)イスラームと比べて、仏教には社会生活を拘束する側面が小さいことや、共通する経典がないことが、様々な宗教・宗派や土着文化との融合を可能にしたといえます。

 言い換えると、明確な原理のなさこそが仏教の大きな特徴となります。冒頭で紹介したような「他者との共存」イメージは、明確な原理がないからこそ生まれたといえるでしょう

 それは社会とのかかわり方にも表れます。「諸行無常」というように、何かに拘泥することをむしろ戒める自由さは仏教の本質といえます。しかし、その「悟り」は良くも悪くも、何らかの目標を実現させる熱意とは無関係のものです

 欧米諸国におけるキリスト教会やイスラーム圏におけるイスラーム系団体と比べて、アジアの仏教寺院が社会活動などに関わることは稀です。「こうあるべき」という観念が弱いことは、「政治や社会のあり方を正そう」というモチベーションが小さくなりがちです。それは仏教徒の集団による慈善事業などだけでなく、テロ活動が少ないことにも結びついてきたといえるでしょう。

仏教徒が他者を排斥するとき

 ところが、冒頭に触れたように、ミャンマーでは過激派仏教僧がロヒンギャ排斥の先頭に立っています。なかでも軍隊によるロヒンギャ攻撃を支持し、海外の干渉やロヒンギャへの人道支援も拒絶する世論を扇動するアシン・ウィラトウ師は、その過激な説法から「仏教のビン・ラディン」とも呼ばれます。これは仏教の「他者との共存」イメージからかけ離れたものといえます。

 とはいえ、出家、在家に関わらず、仏教徒が他者を排撃することは、ミャンマーに限りません。例えばスリランカでは、セイロンと呼ばれていた英国植民地時代(1802-1948)から、仏教徒がほとんどの多数派シンハラ人と、ヒンドゥー教徒やムスリムが多い少数派タミール人の争いが絶えず、両者の対立は独立後の内戦(1983-2009)に行き着きました。

 ここで確認すべきは、先進国以上に開発途上国では、民族や血統などの属性によって、所得や教育などが大きく左右されることです。個人が能力ではなく属性によって判断される縁故主義は、国営企業が多いことをはじめ、政治と経済が結びつくことにより増幅します。

 そのような環境のもとでは、「我々」と「彼ら」を識別することが「我々の利益」にとって欠かせず、宗教はその識別のための一つの属性といえます。スリランカの場合でいえば、多数派が権力や富を握るとき、「シンハラ人であること」、言い換えれば「多数派の属性」として、仏教徒であることが重要な意味を持ったといえます。

ナショナリズムの一要素

 ミャンマーに目を向けると、軍事政権の時代から政府は人口で7割を占めるビルマ人の政治的、経済的利益を優先させており、それは少数民族を排斥する動きの大きな背景になってきました。そして、仏教徒であることは、ビルマ人をその他の少数民族と識別する大きな属性の一つです。この構図そのものは、スー・チー政権が誕生した後も、基本的に変化はありません。

 すなわち、ウィラトウ師に代表されるミャンマーの過激派仏教僧は、仏教の教義に基づいてムスリムを排撃しているというより、ビルマ・ナショナリズムに基づいて少数民族を排撃しているのであり、そこにおいて仏教は「ビルマ人であることの要素」以上の意味はないといえるのです。

 実際、ウィラトウ師は「仏教徒がムスリムの脅威にさらされている」と強調しますが、そこでいう「仏教徒」に他国の仏教徒はほとんど含まれておらず、隣国バングラデシュなどで仏教徒が迫害されることについては、特に関心を示していません。これは、ビン・ラディンらのイスラーム過激派が国境を越えた問題として「ムスリムの抑圧」を掲げたことと対照的です。

 つまり、ウィラトウ師は仏教僧ではあるものの、教義に基づく「宗教原理主義者」というより、世俗的な「過激なナショナリスト」として行動しているとみた方がよいでしょう

 現代ではナショナリストは極右政党や保守政党に多いとみられがちですが、冷戦期ソ連に代表されるように共産主義とナショナリズムが結びつくこともあります。つまり、ナショナリズムには思想的パートナーのストライクゾーンが広いという側面があります。そのため、ミャンマーでは相手をあまり選ばないナショナリズムと、やはり融通無碍に様々な思想や習慣と結びつく仏教が接合したといえるでしょう。

「違い」が利害に結びつくとき

 いかなる教義であれ、それを解釈するのは人間です。仏教が教義として魂の平安を希求するものであっても、それを「ビルマ人の属性」に捉え直すことで、ウィラトウ師らの仏教僧はロヒンギャ迫害のイデオロギーに用いているといえるでしょう。

 一般的に、宗教戦争や民族紛争は、宗教や民族の違いによって発生すると思われるかもしれません。しかし、実際には、ほとんどの場合にそこに政治的、経済的な利害関係があります。

 つまり、宗教や民族に基づく対立は、宗教や民族の違いを強調することによって自らの利益を確保しようとするなかで生まれることがほとんどで、違いそのものが対立を生むわけではありません。状況は多少違っても、先進国で外国人との雇用競争に負けそうな業種・職種、あるいは地域に「移民排斥」を叫ぶ人が多いことも、その点では同じです。

 自民族の優位を確立する、虐げられている「我々」を解放する、腐敗した権力を打倒するといった政治的目標の実現を目指す場合、人間は何らかのイデオロギーでこれを正当化し、支持を集めようとします。自由主義や社会主義といった世俗的イデオロギーが説得力を失った現代では、ナショナリズムをコーティングするイデオロギーとして宗教が用いられることが珍しくありません。ミャンマーで少数民族の排斥を叫ぶ仏教僧は、その一例といえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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