「仏教のビン・ラディン」の説法禁止:ロヒンギャ問題の解決か、ミャンマーでの対テロ戦争の激化か

ウィラトゥ師に抗議するムスリム(インドネシア・ジャカルタ:2015年5月27日)(写真:ロイター/アフロ)

3月11日、ミャンマーのサンガ・マハ・ナヤカ(高位の仏僧で構成される会議)は、アシン・ウィラトゥ師に一年間、説法を禁じる決定を下しました

1968年生まれのウィラトゥ師は、比較的若いものの、やはり高位の仏僧です。その一方で、ムスリムを「危険」と位置づけロヒンギャ排斥運動の中心人物の一人でもあります。他の宗教に対する不寛容さと、その攻撃的な発言から、イスラーム過激派アル・カイダの創設者になぞらえて、欧米メディアでは「仏教のビン・ラディン」、「ビルマのビン・ラディン」とも呼ばれます。

人口の大半が仏教徒のミャンマーで、ムスリムであるロヒンギャの人々は、差別や迫害を受けてきました。その結果、ロヒンギャ難民は増え続けており、周辺国にも小さくないインパクトをもたらしています

ウィラトゥ師に説法の禁止を命じたサンガ・マハ・ナヤカは、そのメンバーが宗教省によって任命される、政府の監督下にある組織です。つまり、今回の決定は、ロヒンギャ問題をめぐって国際的な批判にさらされてきたミャンマーの政府と宗教界の主流派が、非主流派のヘイトスピーチを規制するものです。これによって、ウィラトゥ師の説法は、いわば「異端」と位置付けられたといえます。

とはいえ、これによってロヒンギャ問題の解決に目処が立つかは不透明です。「本家」ビン・ラディンのケースに照らせば、「正統派」としての認知を公式に拒絶された場合、宗教過激派がかえって急進化することもあります。その点において、宗教過激派はポピュリストと同じといえるでしょう。

ミャンマーの仏教過激派

ロヒンギャ迫害の中心にいるのは、969運動と呼ばれる団体です。そのメンバーの多くは仏僧で、ムスリムの増加に警戒を促し、宗教間の融和を求めるメディアを嫌悪し、さらにビルマ人ナショナリズムを強調する点に特徴があります

そのリーダーであるウィラトゥ師は、ロヒンギャ弾圧を先導するなかで、その認知度を引き上げてきました。

軍事政権時代、軍による少数民族の抑圧はあったものの、政府は民間レベルでの民族・宗派間の争いを厳しく取り締まっていました。実際、ウィラトゥ師は2001年から反イスラーム的な抗議活動を先導し始めましたが、2003年には軍事政権によって25年の懲役刑に処された経緯があります。

しかし、軍事政権が体制転換を決定した2010年、多くの政治犯が釈放されました。そして、そのなかにはウィラトゥ師も含まれていたのです。

独立以来の差別と抑圧を背景に、ロヒンギャの間にはテロ活動に向かう者もあり、RSO(ロヒンギャ連帯機構)など、日本の公安調査庁を含めて、多くの国の情報機関からテロ組織として認定される組織もあります。

この背景のもと、民政移管にともない、政治活動や言論に対する規制が大幅に緩和されるなか、ウィラトゥ師や969運動の活動は、それ以前よりさらに活発化しました。民政移管の翌2012年6月、ラカイン州でモスクが襲撃され、仏教徒とムスリムの大規模な衝突が発生。その直前、ウィラトゥ師はラカイン州に現れ、ムスリムの排除を呼びかけていました。

これに対して、イスラーム過激派からの敵意も増幅しており、2013年7月には、ミャンマー第二の都市マンダレーの仏教寺院で演説していたウィラトゥ師のすぐそばで爆弾が爆発する事件も発生しています。

反イスラーム、反人権、反スー・チー

ウィラトゥ師はロヒンギャ以外のムスリムも危険視しており、体制転換後には、異教徒間の婚姻を制限する法律の制定を求めて、各地でデモを実施。これを受けて、(アウン・サン・スー・チー氏が率いるNLD、国民民主連盟が議会選挙で勝利する直前の)2015年7月、ミャンマーの政府・議会は「人種・宗教保護法」を制定しました。その内容には、ラカイン州に集中的に暮らすロヒンギャを念頭に、「全体のバランスを保つために特定の地域に産児制限を設ける」ことも含まれています。

さらに、ウィラトゥ師は2017年2月、ムスリム(ロヒンギャではない)で、NLDの法律顧問でもある弁護士のウ・コ・ニ氏が銃撃されて殺害された際、それを賞賛しています

これらと連動して、ウィラトゥ師はムスリムやロヒンギャだけでなく、「人権保護」を求める勢力に対しても、攻撃的な姿勢を強めていきました。2015年1月、人種・宗教保護法の導入を目指し、ミャンマー各地で反イスラーム的なデモが行われる状況を、国連の人権査察団が批判。これに対して、ウィラトゥ師は集会で、査察団長のリー氏を「娼婦」と呼び、「お前はただ国連にポストがあるだけで、敬意を払われる対象ではない」と罵りました。そのうえで、外部からの批判を受けてなお人種・宗教保護法を導入したテイン・セイン大統領(当時)を支持する一方、民主主義や人権といった国際的なトレンドに敏感で、テイン・セイン氏や軍隊の影響力を弱めようとする(公式には無役の)スー・チー氏を「女独裁者」と呼びました

ビン・ラディンか、トランプか

「味方」以外を全て「敵」とみなし、異教徒への暴力を唱道し、「人権保護」を求めるグローバルな勢力に敵意を隠さない点で、ウィラトゥ師にはビン・ラディンとの共通性を見出せます。さらに、ネット空間を通じて過激な思想を流布する点でも、かつてのビン・ラディンと同様といえます。ウィラトゥ師はソーシャルメディアを通じて排他的なメッセージを発信し続けており、2017年3月現在、そのFacebookは4万4000人以上にフォローされています

そのため、ウィラトゥ師がイスラーム過激派のカリスマになぞらえられることは、不思議ではありません。また、ウィラトゥ師自身も、「仏教のビン・ラディン」と呼ばれることを、特に否定していません

ただし、当然といえば当然ですが、ウィラトゥ師にはビン・ラディンとの差異もまた見受けられます。最大のポイントは、「既存の国家をどのように捉えるか」の違いにあります。

ビン・ラディンの場合、母国サウジアラビアの政府を「不正に満ちたもの」とみなし、これに対する攻撃を続けるなか、1998年に米国とそれに協力する者を攻撃する「グローバル・ジハード」を宣言し、世界中のムスリムに参加を呼びかけました。つまり、ビン・ラディンは、(それが多分に過激な解釈であるとしても)宗教的な教義に基づき、既存の国家の正統性を全面的に否定し、国境を超えた活動を展開したといえます。実際、「ムスリム」としての一体性の強調は、差別や格差に直面する欧米諸国のムスリムの間からも支持者を生みました。

これに対して、ウィラトゥ師の場合、その過激な言動はあくまで既存の国境線に即したもので、その関心は概ね国内に限定されています。ウィラトゥ師の最も有名な説法の一つは、「ともかくナショナリストとして行動せよ」。つまり、ウィラトゥ師にとって、ミャンマーは「仏教徒の国」であり、ロヒンギャなどのムスリムはその「正しいあり方」を損なう異分子であるがゆえに排除されるべき対象なのですが、「自分たちの領域」の外での宗派間の関係には、格別の注意を払っているようにみえません

例えば、2012年9月、ロヒンギャ問題も一つの要因となり、隣国バングラデシュで2万人以上のムスリムが仏教寺院を襲撃し、10以上の伽藍が焼け落ちる事態となりましたが、こういった国外での仏教徒の苦難にウィラトゥ師は大きな関心を示していません。

「自分たちの土地」から異教徒を排除しようとする主張は、イスラーム過激派にも共通します。ただし、ウィラトゥ師の場合、国境をまたいだムスリムとしての一体性を強調したビン・ラディンと異なり、仏教徒の結束より国家の存続を優先させています。つまり、ビン・ラディンが国家を超える宗教によって「世界の浄化」を発信していたとするなら、ウィラトゥ師は宗教と国家を結びつけて「国家の純化」を求めているといえます

その意味で、ウィラトゥ師には移民排斥を叫ぶヨーロッパ極右や、ムスリムの入国制限を主張するトランプ大統領とも類似性を見出せます。実際、ウィラトゥ師は「トランプ氏は自分に似ている」と認めたうえで、「世界は我々を非難しているが、我々はただ我々の国を守ろうとしているだけだ」とも述べています。いわば、ウィラトゥ師は、宗教過激派であると同時に、ポピュリストでもあるといえるでしょう。

イスラーム過激派が急進化した契機とは

それでは、ウィラトゥ師に対する説法の禁止で、ミャンマーにおける対立は抑えられるのでしょうか。その点については、悲観的にならざるを得ません。公式のイデオロギーや体制に敵対的な活動には、それが抑制された場合、より先鋭化することが珍しくありません。ビン・ラディンは、その典型です。

ビン・ラディンは、1991年の湾岸戦争で母国サウジアラビアがイラクへの攻撃に加わり、米軍の駐留を認めたことを契機に、政府への批判を活発化させました。その後、サウジ政府による取り締まりが強化されたことで、国外に逃亡し、アル・カイダ創設に至ったのです。

サウジ政府だけでなく、イスラーム主流派も、ビン・ラディンの排斥に向かいました。(正式の仏僧であるウィラトゥ師と異なり)ビン・ラディンは正式の修業を積んだ聖職者ではないため、イスラームの伝統的な解釈によると、その「ジハード宣言」に正統性はありません。サウジ政府と結びついた高位聖職者からもその教説が否定されたことは、ビン・ラディンをイスラーム世界においても「アウトロー」にしたといえます

ビン・ラディンの事例は、社会において「尊重されてしかるべき」と考える者が、実際の政治や社会の変化のなかで、必ずしもその自己評価に見合う「正統派」としての認知を公式に得られず、むしろその言動を規制された場合に、より過激化しやすいことを示しています。つまり、サウジ政府による取り締まりと、それと結びついたイスラーム主流派からの拒絶は、少なくとも結果的に、ビン・ラディンによるテロ活動を加速させたといえます。

説法禁止のゆくえ

社会の主流派とみなされる考え方や意見に不満を抱き、規制を「不当な抑圧」と捉えることで、活動をより過激化させる点では、欧米諸国における極右勢力も同様です。そして、ミャンマーにも同様の構図を見出すことができます。

先述のように、2015年選挙でのNLD勝利によって、民主化がさらに進んだことは確かです。しかし、大衆社会における民主主義のもとでは、指導者と有権者の距離が近いがゆえに、後者は前者に感化されやすくなり、前者は後者から影響を受けやすくなります

ミャンマーにおいても、民主化が進んだゆえに、スー・チー氏だけでなく、全ての政治家や政党は、ビルマ人の間に広がる反ムスリム感情と、発信力の高い969運動を無視できません。それはちょうど、極右政党の台頭によって、有権者の間に広がる移民対策への要求を認識した既存政党が、よりマイルドにではあっても、「移民規制」を口にせざるを得ないのと同様です。

この背景のもと、スー・チー氏が実質的な指導者となった後も、ミャンマー政府はウィラトゥ師らに対する規制に及び腰でしたが、ロヒンギャ問題で高まった国際的な非難に応じる格好で、2016年5月にヘイトスピーチ規制法を導入。今回の説法の禁止も、内外から批判を受けたミャンマー政府の意向が反映されたものとみてよいでしょう。

これはいわば必然ですが、ビン・ラディンや極右勢力のパターンは、社会の「正統派」から「異端」と位置付けられたことが、それまで以上に過激な言動に向かう契機になったことを示しています。つまり、ミャンマー政府や仏教主流派が抑制に舵を切ったことで、ウィラトゥ師や969運動が、これまでよりロヒンギャやエスタブリッシュメントへの敵意を強めたとしても、不思議ではありません

その場合、ミャンマーは対テロ戦争の大きな戦線になる可能性すらあります。先述のように、ロヒンギャ問題はイスラーム世界でも関心を集めており、ミャンマーはイスラーム過激派の標的になりつつあります。例えば、TTP(パキスタン・タリバン運動)は、ロヒンギャ問題をめぐり、ミャンマーへの報復を宣言しています。この観点からみても、説法の禁止を契機にウィラトゥ師の活動が逆に活発化すれば、ミャンマーはこれまで以上の混乱に直面することになるとみられるのです。