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トルコ‐シリア関係の悪化がもたらすもの

六辻彰二国際政治学者

トルコに対するシリアの攻撃

現地時間の10月3日夜、トルコ南東部シャンルウルファ県の住宅地に、シリアから迫撃砲が打ち込まれ、子どもを含む少なくとも5人の死者と、十数人の負傷者を出しました。トルコ軍はすぐに、迫撃砲による報復攻撃を行い、さらに4日には議会が越境攻撃の承認を決議しました。

これに対してシリア政府は、死傷者が出たことに哀悼の意を示しながらも、「意図的な攻撃ではなく、原因は調査中」としてトルコとの戦争の意思を示していません。しかし、4日以来、5日、6日、7日とシリアからトルコ領への着弾は続き、これに対するトルコ側の報復攻撃も連日続いています。シリアの強調するようにアクシデントだとしても、それが連日続くとすれば、その方がむしろ問題です。いずれにせよ、ロシア、EU、さらにシリアへの軍事介入に消極的なアメリカからも、両国に自制を求める声があがるなか、しかしトルコ国内のシリアへの反発の高まりもあり、両国の関係は急速に悪化しつつあるのです。

トルコ‐シリア対立の背景

今回の武力衝突は、いくつかの伏線の上に発生したものです。

同じくイスラーム圏の隣国同士とはいえ、トルコとシリアは歴史的に友好的と言い難い関係にあります。冷戦時代、トルコはアメリカの対ソ戦略において欠かせないジュニア・パートナーでした。ソ連の地中海、中東方面への進出に睨みを効かせるため、西側の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)加盟国のトルコには、アメリカの弾道ミサイルが配備されていました。

一方、シリアはアサド現大統領の父親で先代大統領ハーフェズの時代から、第三次中東戦争でゴラン高原を占領したイスラエル、さらにその支援者たるアメリカと敵対し続けてきました。ソ連崩壊後も、ロシアから物心両面での支援を受け、シリアはイスラエル、アメリカなど西側と対峙してきたのです。

いわばお互いに、敵対する陣営に属する隣国同士として、トルコとシリアの間には冷たい敵意が渦巻いていたのですが、この関係を一旦修復させたのは、シリアのアサド現大統領でした。2000年に大統領に就任したアサドは、イスラエルやアメリカを敵視する方針は堅持しながらも、その他の国との関係改善に向かいました。そこには、父・ハーフェズとの差異化だけでなく、近隣諸国との経済協力も念頭にあったと思われます。

一方、この頃はトルコにもまた、シリアとの関係改善を受け入れる素地ができていました。独立以来、トルコは近代化を推し進めた国父ケマル・アタテュルクの思想に基づき、世俗主義の原則をとってきました。国民の多くはムスリムですが、宗教は個人の内面にとどめるものという西欧的な政教分離が導入され、国教が定められたり、特定の宗教的価値観に基づく法律が作られたりすることはありませんでした。しかし、アメリカに協力的な世俗的政府に国民の不信感が増幅した結果、2002年の総選挙でイスラームの価値観を強調する「公正発展党」が勝利。イスラームと民主主義の融合に乗り出したトルコは、基本的に西側との友好関係を維持しながらも、シリアだけでなくイランなど反イスラエルを掲げる近隣のイスラーム諸国とも関係改善に向かったのです。

友好善隣から対立へ

こうして、トルコとシリアの友好関係は続くかにみえました。ところが、そこに発生したのが2010年末からの政治変動、「アラブの春」でした。トルコの公正発展党は、チュニジアやエジプトで誕生した穏健なイスラーム主義政権の、いわば先輩格にあたります。イスラームと民主主義を融合させた新勢力の筆頭として、トルコは反政府勢力を武力で弾圧するシリアのアサド政権への非難を強めていきました。

一方で、シリアもまた、トルコが自国の反政府勢力に拠点を提供していると主張し、両者の関係は急速に悪化。今年9月、シリアの反政府勢力の連合体「自由シリア軍」がトルコ領内からシリア北部に司令部を移したことは、内戦が一層逼迫した状態になったことと同時に、「トルコが反政府勢力を支援している」というシリアの主張が必ずしも言いがかりでなかったことも示しています。今回の砲撃も、トルコ国境付近で活動する反政府勢力を狙ったものと言われていますが、仮にそうであったとしても、隣国領内に着弾することを厭わないのであれば、それは少なからず敵意の表れであり、さらにそれ程にアサド政権側が追い詰められていることをもうかがうことができるでしょう。

ともあれ、トルコーシリアの国境を跨いだ砲撃の応酬が、中東一帯に更なる緊張を走らせたことは間違いないでしょう。4日以降、原油価格はさらに上昇傾向をみせています。さらに、クリントン国務長官がシリア非難の声明を出したほか、アサド政権への対応を巡って折り合いがつかなかった国連安保理も、4日にはシリアを非難する決議を採択しました。砲撃で隣国市民に死傷者を出したとなると、さすがに中露もアサド政権を擁護できません。

トルコの圧力がシリア情勢の転換を加速させ得る

今後の推移は予断を許しませんが、仮にトルコーシリア間で大規模な戦闘に至った場合、それは少なからず自由シリア軍を側面から支援することになり、膠着したシリア内戦の形成が一気に変わる可能性すらあります。その場合、欧米諸国ではなくトルコが相手である以上、シリアの有力な同盟相手イランも、おいそれとは手が出せません。同じイスラーム圏に属するだけでなく、トルコはイランにとって重要な貿易相手です。今年度の両国間での貿易額は約250億ドル。これもあって、イランはトルコーシリア間の対立で、中立的な立場を余儀なくされているのです。それは引いては、トルコーシリア間の対立が激化した場合でも、欧米諸国に対するように、イランが核の威嚇を用いてまでトルコを抑制するのが困難なことを意味します。

一方で、トルコにしても、エルドアン首相が「シリアと戦争したいわけではない」と強調したように、全面戦争は避けたいところで、大規模な戦闘に発展しない可能性も大いにあります。しかし、その場合でも、アサド政権が不利な状況にあることは間違いありません。先に手を出したのがシリアで、それに対する「報復」という大義があるだけに、「越境攻撃できる」と示すことは、トルコにとって有力な外交カードです。また、「越境攻撃できるけど控えてやってもいい」とトルコ政府が示せれば、自由シリア軍との内戦が膠着状態にあるなか、それはアサド政権に大きな譲歩を迫ることになります。

シリア情勢をめぐっては、西側と中露の全面対決が鮮明になり、国連安保理が機能不全に陥ってアナン前事務総長の調停も不首尾におわっていただけに、最早内戦の勝敗でしか決着しないようにみえていました。しかし、おりしもアサド大統領のロシア亡命計画が露呈した直後だけに、トルコとの衝突は、どのように転んだとしても、シリア情勢の転換をさらに推し進める契機になり得るといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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