李大浩にバント、岩瀬(元中日)に左の代打 当たった韓国の采配[日本×韓国・北京五輪野球振り返り 2]
7月に開催が予定されている東京オリンピック(五輪)で、2008年の北京大会を最後に競技種目から外れた野球が3大会ぶりに復活する。本欄では13年前、金メダルを獲得した韓国代表の全9試合を現地観戦した筆者が、北京五輪を振り返る(その2)。
(その3 稲葉篤紀が見上げたイ・スンヨプの白球 金への思いと悔しい思い)
(その1 G.G.佐藤だけじゃない 韓国もエラーを連発。その原因は?)
定石破りの采配が的中
「運が良かったんだよ」
北京でチームを金メダルに導いたキム・ギョンムン監督に、知人がショートメッセージを送るとこんな言葉が返ってきたという。北京でのキム監督の采配は大事な場面で度々、的中していた。
2008年8月16日、予選リーグ4日目の日本-韓国戦。和田毅(ソフトバンク)とキム・グァンヒョンの両左腕が先発したこの試合は、日本が6回裏に新井貴浩(阪神)の2ランで均衡を破ると、韓国も7回表にイ・デホの2ランで同点に追いついた。
2-2のまま迎えた9回表、韓国は5番キム・ドンジュがヒットで出塁。前の打席でホームランを放っているイ・デホに打順が回った。
この場面でイ・デホは日本の3番手、岩瀬仁紀(中日)が右足を上げたところで、思いもよらぬ姿を見せた。大きな体をかがめてのバントの構えだ。イ・デホが転がした打球は岩瀬の前へ。イ・デホの送りバントは成功し、勝ち越しの走者が得点圏に進んだ。
その後2死一、二塁となって打順は9番の右打者キム・ミンジェ。この場面でキム監督はプロ3年目、20歳の左打者キム・ヒョンスを代打に送った。ここでキム・ヒョンスはカウント1-1の3球目、岩瀬が投じた真ん中低めのスライダーをセンターにはじき返し、勝ち越しの走者を迎え入れて3-2とした。
この回の韓国はさらに2点を追加。その裏に日本も追い上げるも及ばず、試合は韓国が5-3で勝利した。
選手交代のタイミングもハマる
イ・デホはバントについて、「ベンチの指示だった。バントは久しぶり過ぎて最後にいつやったか覚えていない」と話した。イ・デホの犠牲バントはKBOリーグで2004年に決めて以来、約4年ぶりだったが監督の指示を忠実に遂行した。
また当時の感覚では稀だった、左打者のキム・ヒョンスを初対戦の左投手・岩瀬にぶつけたことについて、キム監督はこう話した。
「左対左は投手が有利だとしても、チームの中心打者として活躍する選手はそうとは限らない。特にキム・ヒョンスは左投手を苦にしないとわかっていたので、迷わず起用した」。キム監督は当時トゥサンを率い、代打に送ったキム・ヒョンスもまたトゥサンの選手だった。
オリンピックではベンチ入り選手が24人と少なく、選手交代のタイミングが難しい。しかしキム監督は思い切った決断を見せ、それもハマっていた。
準決勝日本戦、1-2で1点を追う7回裏。韓国は1死後、6番イ・デホが3打席連続となる四球で歩いた。キム・ギョンムン監督はここが勝負どころと判断。イ・デホの代走に俊足のチョン・グンウを送った。
チョン・グンウは二塁に進んだ後、代打イ・ジンヨンの右前安打で俊足を飛ばして生還。同点のホームを踏んだ。もし走者がイ・デホのままだったら同じ結果にはなっていなかった。
動いた策が次々と当たった北京でのキム・ギョンムン監督。しかし、かたくなに不振の4番打者を動かすことはしなかった(つづく)。
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