野党が批判するのは前提

「批判型政党」か、「提案型政党」か、という議論がにわかに盛り上がっている。

筆者も指摘したように、先の衆院選で立憲民主党が議席減になった原因の一つとして、「立憲民主党は批判ばかりしている」と国民から見られているという指摘が数多くされ、そのイメージを払拭しようと、立憲民主党の泉健太新代表は「提案型政党」を掲げている。

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一方、これまでの中心メンバーだった、先の衆院選で落選した面々、従来からのコア支持層からは、「“批判”こそ必要」という声も上がっている。

立憲前議員が危惧する“提案型野党”への転向ーー「“批判”こそ必要なのでは」(女性自身)

またよくある「反論」として、与党案の約8割に賛成している、という声も上げられる。

しかし、「批判」、「賛成・反対」の有無を論じても、大した意味はない。

野党が批判するのは当たり前であり、前提だからだ。

提案をするにしても、批判的思考を持って、現状を検証しなければ提案することはできない。

ではなぜ、日本維新の会や国民民主党は「批判ばかり」とあまり批判されず、立憲民主党ばかり「批判ばかり」と言われるのか。

端的に言えば、批判の質が良くない、批判の背景にある価値観・理念が見えない、からである。

より細分化すると、

1.取り上げるテーマが良くない

2.批判の中身が共感されていない(質問力が弱い)

3.新たな問題提起になっていない

4.口調が文句っぽい(建設的な姿勢が弱い)

5.目指す国家像が見えない

という点を指摘することができる。

1.取り上げるテーマが良くない

立憲民主党の国会活動が支持されない、一つ目の理由が、取り上げるテーマの優先度が、国民の感覚(期待)とずれている、という点である。

一番象徴的だったのは、2020年の通常国会冒頭にあった、代表質問だ。

立憲民主党と国民民主党の違いが際立った代表質問(室橋祐貴)

代表質問というのは、その名の通り、各政党の代表(幹部)が質問する、もっともその政党が重視しているテーマが見える機会である。

そこで、スキャンダルに3割以上を割いた立憲民主党(枝野幸男前代表)と、ほぼ100%、女性や子ども・若者に関する問題への具体的提案を訴えた国民民主党(玉木雄一郎代表)では、重点テーマが異なることは明確である。

立憲民主党と国民民主党の違いが際立った代表質問(室橋祐貴)
立憲民主党と国民民主党の違いが際立った代表質問(室橋祐貴)

立憲民主党と国民民主党の違いが際立った代表質問(室橋祐貴)
立憲民主党と国民民主党の違いが際立った代表質問(室橋祐貴)

その後、一部旧・国民民主党から合流の動きがあったが、基本的な方針は2021年になっても大きな変化はなかった。

その根底にある違いは、当時記事に書いた通りである。

こちらも、従来から「対決よりも提案」を重視してきた国民民主党らしい内容であり、両者のスタンスの違いがよくわかったのではないだろうか。

より直接的に言えば、ずっと「野党」であり続けるのか、(今は野党だとしても)あくまで「与党候補」であるのか、その意識の違いである。

「反安倍」なのか、「新しい政権」なのかと言い換えても良い。後者であれば具体的な政権構想を打ち出すのが前提である。

そして、こうした根底にある哲学的な違いを踏まえれば、それらを無視した拙速な合流はやはり無理があり、途中で瓦解するのは誰の目にも明らかである。

本当の意味で「一つの大きなかたまり」を目指すのであれば、個別の政策以上に、どういうスタンスの政党を目指すのか、すり合わせが重要であろう。

引用元:立憲民主党と国民民主党の違いが際立った代表質問(室橋祐貴)

2.批判の中身が共感されていない(質問力が弱い)

次に、批判もしくは提案の中身が共感されていない。端的にいうと、「質問力」が弱い。

今は、国会質問もインターネットで見える時代であり、良い質問であれば、ツイッター上で拡散することも珍しくはない。

たとえば、2021年の臨時国会で、痴漢対策を取り上げた日本共産党の小池晃書記局長による代表質問は、ツイッター上で拡散され、「よく取り上げてくれた」という声が多く並んでいた。

「痴漢被害の実態調査を行う」日本共産党代表質問 #NoMoreChikan(室橋祐貴)

ほかにも、2020年通常国会にて、日本維新の会の藤田文武衆議院議員は、積極的に官僚の労働環境、国会対応の大変さ(厚労省への質問の多さ等)を取り上げ、国会対応の改善を進めている。

良い質問の例を取り上げれば、キリがないが、質問数の多さに比して、立憲民主党の議員による質問が「いい指摘!」と言われる機会は少ない。

「よく聞いてくれた!」という質問であれば、「批判ばかり」という評価にはならない。

また、長年幹部の顔ぶれが変わっていなかったり、議員の不祥事、「Choose Life Project」に資金提供していたりと、他党の批判の前に、自党が変わらなければならないテーマも少なくなく、質問の説得力に欠けている。

3.新たな問題提起になっていない

2の内容と重なる部分であるが、立憲民主党の議員による質問は、週刊誌やネット上で話題になっているテーマが取り上げられる機会が多く、自分たちで有権者と対話し、自ら発見した、新しい問題提起が少ない。

先日、日本若者協議会の会員(主に高校生と大学生)に対し、2021年に活躍した国会議員がだれかアンケートを取ったが、こうした時に立憲民主党の議員名が挙がることは少ない。

若者が選ぶ、2021年活躍した国会議員はだれか?(室橋祐貴)

他党であれば、給料引き上げを提起した国民民主党の玉木代表、孤独対策や生理政策を提起した同じく国民民主党の伊藤孝恵議員、同じく生理政策を進めた、竹谷とし子議員(公明党)、佐々木さやか議員(公明党)、こども(家庭)庁設置に向けた議論を主導した山田太郎議員(自民党)、自見はなこ議員(自民党)、男性育休義務化を進めた和田義明議員(自民党)、松川るい議員(自民党)など、多くの名前を挙げることができる。

もちろんPR不足などもあるだろうが、比較的関心の強い若者にさえ、認知されていなければ、広く有権者に認知されることは到底難しい。

4.口調が文句っぽい(建設的な姿勢が弱い、対話になっていない)

また感覚的な話ではあるが、口調が「上から目線」や「怒りっぽく」感じることが多く、批判というより、文句のように感じる場面も多い。

特に、そうした糾弾調の場面の方が、「絵」になりやすいため、テレビにも取り上げられやすい。

結果的に、そのイメージが強く広がっており、国民のために建設的に改善を求めるよりも、(自分たちのために)与党政府のイメージを下げることに精一杯のように映っている。

5.目指す国家像が見えない

そしてこれらの根底にあるのが、目指す国家像が見えない、つまりどの観点から批判しているのかがイマイチわからない。

自分たちの目指す国家像があった上で、それを目指すために必要な政策を訴えているというよりも、風見鶏的に、その時々に話題になっているテーマを取り上げるばかりになってしまっているのではないか。

だからこそ、新しい問題提起が少なく、一貫性にも欠けるように映る。

たとえば、給付付き税額控除などの再分配強化のために、マイナンバーの作成を進めたのが、民主党政権だが(法案の成立は第二次安倍政権だが、法案のもとを作ったのは民主党政権)、立憲民主党ではマイナンバーと口座情報との紐付けに反対するなど、一貫性に欠ける態度が散見される。

そうした事例からも、立憲民主党の目指す国家像が見えないからこそ、批判が目的化しているように見えている。

成長国家から課題山積国家へ

具体的提案までせずに、批判で終わることに、国民が嫌気を差しているのは、時代の変化が大きい。

「55年体制」が作られた、戦後の成長期であれば、政府の役割は最低限なものであり、企業が政府代わりのように、現役世代の社会保障をカバーしていたが、時代は大きく変わっている。

今となっては、少子高齢化、財政難、世界的な低成長、気候変動、価値観の多様化など、課題が山積しており、批判することは容易い。

さまざまな制約があるのが前提だからだ。

そうした時代にあっては、政治家に求められるのは、具体的な課題解決であり、その手段の提示である。

つまり、「批判」はあくまで前提的なものであり(新しい問題提起であれば批判自体にも大きな価値があるが)、将来的な「与党」として、さまざまな制約を考慮した上で、解決手段まで考えなければ、なかなか広く支持を集めることは難しい。

そう考えると、「批判型政党」か、「提案型政党」か、という議論は特に意味がなく、批判の質を上げる、提案の中身を改善する、問題解決に貢献する、そのためにも党の目指す国家像を明確にする、その王道に邁進することが重要、という、論を俟たない話である。