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リーグ戦1部に昇格した東洋大学が王者・東海大学撃破。「番狂わせの条件」とは?【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
左からウーストハイゼン、齋藤主将、福永監督(筆者撮影)

 9月11日、東京・秩父宮ラグビー場でジャイアントキリングと言われる試合があった。

 関東大学リーグ戦1部の初戦。5連覇を狙う東海大学を、29シーズンぶりに1部昇格の東洋大学が下した。27―24。国際色豊かな顔ぶれが一枚岩の防御を築き、好機には用意されたプレーを狙い通りに決めた。

 齋藤良明慈縁。さいとう らみんじえんと読む。

 セネガル出身の父と日本人の母との間に生まれた東洋大学の主将は、ひたすらタックルを重ねたうえでこう発した。

「29年間、先輩方が1部の舞台を目指しても、昇格できず、日本一すら目指せないなかにいた。そういう頑張ってきた先輩方を代表して自分たちが戦うんだと、(周りの部員には)常に言っておりました。またきょうはたくさんの方々が応援し、エネルギーを送ってくれた。自分ひとりの力でラグビーをしているプレーヤーはひとりもいないので、その気持ちも持って戦おうと何度も話していました」

 1993年度を最後にリーグ戦1部から遠ざかっていた東洋大学は、近年、着実にクラブの土壌を耕してきていた。

 リーグワンの埼玉パナソニックワイルドナイツと提携し、環境を整備した。現場では大学OBである福永昇三監督は「まずはかっこいい男になろう」と人格形成を重視。各部の練習を視察するリーグワンの採用関係者からも「東洋大学は雰囲気がよかった。きつい走り込みでも自分たちからテンションを上げていた」と評判はよかった。

 ただ、対する東海大学は日本一の経験こそないものの、全国有数の強豪大学と謳われている。

 大学選手権で4強入り以上を果たしたのは、初めてファイナリストとなる前年の2008年度から通算して計10回。学内の広大なウェイトトレーニング施設、規律を重んじる空気により、系列校をはじめとした強豪高校出身の選手を次々と頑丈にしてきた。その流れで、リーチ マイケルら数多くの日本代表選手も輩出した。

 直近の実績だけを鑑みれば、このゲームは「番狂わせ」と捉えてもよさそうだ。

歴史的1戦からの教訓

 一般論として、戦前の下馬評が覆る場合は、この3つの条件が重なっていることが多い。

1, 挑む側のち密な準備が実を結ぶ

2, 挑まれる側の慢心もしくは混乱が表面化する

3,レフリングへの対応が対照的である

 思い出されるのは、2015年のワールドカップイングランド大会での一戦だ。

 大会通算1勝だった日本代表が、当時優勝2回の南アフリカ代表を破った。後半ロスタイムの逆転トライで34―32。劇的な光景とそのプロセスに関わった日本代表は、試合会場にちなみ「ブライトンの奇跡」と称賛された。

 この午後にはまったのは「ビート・ザ・ボクス」の計画だ(南アフリカ代表の愛称はスプリングボクス)。エディー・ジョーンズ率いる日本代表が同年のキャンプで落とし込んだ、ゲームプランのことだ。

 グラウンドの奥へキックを蹴り込み、追い込み、五郎丸歩のペナルティーゴールでスコアを刻んだ。タックルの苦手な選手へランナーを突っ込ませるなど、分析の成果も示した。

 さらには、この日の担当レフリーを事前キャンプへ招いて笛の意図を予習。試合が終われば、主将だったリーチが「レフリーとよくコミュニケーションが取れた」と笑顔を浮かべた。上記で言う「1」と「3」の領域で、満額回答を示したと言える。

 かたや南アフリカ代表は、相手に嫌がられるはずのフィジカリティを駆使した戦いに専心できず。途中出場のフーリー・デュプレアの談話が、上記の「2」を満たしていると証明した。

「南アフリカ代表の選手には、日本代表の試合をそこまで観たことがない人もいた」

「あの試合ではフェーズラグビー(パスを駆使した継続)を多くしていました。日本代表に対して、それはよくないやり方だった。どの選手たちも、試合中に上手くいくと、過信していたのかもしれません」

「エディー・ジョーンズとは、ワールドカップが始まる前に話をしました。『君たちを倒せると信じている選手は何人かいる』と言っていました。信じることですべては可能。それを全ての人が学べたと思います」

 今回、東洋大学が作った80分間においても、「ブライトンの奇跡」に近い要素がにじんでいた。

 東洋大学が「1」の条件を満たしたのは、当日までの過ごし方を振り返れば明白だ。

 試合日程が決まった約100日前から、「東海大学戦まであと●日」と書かれた日めくりカレンダーを作った。開幕戦への熱を徐々に高めた。

 果たして当日は、狭い区画に好ランナーを走らせるボールの運び方が機能していた。東海大学を攻略すべく、具体策を練っていた様子がにじむ。

 かたや東海大学も、残念ながら「2」、さらには「3」のポイントに強く関わってしまった。

敗者の底力

 中心選手が随所に強みを発揮しながら、チャンスの場面では自分たちで防げる類のペナルティーやエラーを連発。攻撃の起点となるラインアウトでは、対するロックで身長211センチのジュアン・ウーストハイゼンの無形の圧力に難儀。球をまっすぐ投げ入れられない反則を重ねた。

 センターで主将の伊藤峻祐は、担当レフリーの笛の基準を試合中に何度も確認。その内容をもとに、部員たちに注意喚起した。

 ところが、自滅の傾向は最後まで変わらなかった。

 試合後の会見で、伊藤は「この日、シビアに勝敗と向き合うことになったのはどの時間帯からか」と聞かれる。

「勝敗というよりかは、自分たちのラグビーができていなかったので、そこにフォーカスを置いていました」と話し、こう続けた。

「気づかぬうちにどこかで焦っていた部分もあったと思います。そこで『冷静になって、もう1回、自分たちのラグビーをしよう』という風に、チームで意思統一しようとしました」 

 見方を変えれば、東海大学は試合中に初めて「焦り」を覚えるようなチーム状態ながら、右肩上がりの新興チームと3点差の接戦を演じていた。底力は確かだ。

 イングランド大会での南アフリカ代表が日本代表戦後に再起し3位で終わったように、東海大学にも捲土重来のチャンスは残されている。

両軍指揮官はどう見た?

 勝った福永昇三監督は、「下級生から試合に出ているメンバーが多くて、(勝因となったラインアウトの制圧については)すごく自分たちで話をしていた。私たちからはアドバイスすることもなく過ごしてきた」。かたや敗れた木村監督は「(力を出し切れなかった理由は)選手に聞いた方が…」とし、こうまとめた。

「ゲームのなかでやっちゃいけないことをして、それを修正しきれないまま前半が終わって(10―7と東洋大学がリードしていた)。いろいろな要因があるとは思いますが、(自分たちにとっての基本に)立ち返れなかった。それは緊張なのか、受けていた(受け身だった)のか、その辺はわかりませんけど、自分たちがやることをできなかったという事実はあります」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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