今夏のオリンピック東京大会で男子7人制日本代表だった石田吉平が9月1日、12チーム中11位に終わった同大会を振り返った。

 公式で「身長167センチ、体重73キロ」と小柄も、鋭いランとコンタクトへの積極性が際立つ。東京大会ではチーム唯一の大学生選手として気を吐いたが、出番は限られた。

 現在は所属する明治大学ラグビー部に戻り、15人制のシーズン開幕を間近に控える。夏の菅平合宿から合流し、3年生のウイングとして徐々に練習試合での出場時間を徐々に延ばしている。

 以下、単独取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)

——改めてあなたにとって東京大会はどんな時間でしたか。

「正直、悔しがることのできなかった大会で。でも、その自分のなかでの悔しさはある。それを糧に次のパリ大会(2023年)に向けて頑張りたいです」

——大会期間中、当時の岩渕健輔ヘッドコーチへのアピールは。

「1試合、1試合、ゲームスタイルがあり、それに合わせてメンバーが変わる感じでした。自分はまだ、信頼される立場じゃなかったのかなと思います」

——グラウンドに立っている間の働きは光っていたような。

「いえいえ。ブチさんからも『お前は積極的に行けばチームが変わる』と言われたのもあり、積極的に行きました。ただ、自分としては(100点満点中)20点くらいです。通用しないところもあって。これから、下の世代に(経験を)伝える時間もある。いつか『これ(東京大会)があったから日本は強くなったんだ』と言えるようにしていきたい。

外から見ていて『自分ならこうするな』というものもたくさんあった。これも糧として役立てたい。たらればの話ですが、一番近くで見て(それを感じて)勉強になった」

 初日の初戦では、最終的に金メダルを獲るフィジー代表に惜敗した。5点差を追う試合終了間際にペナルティーゴールを得た際、タッチラインの外に蹴り出しラインアウトを狙うも失敗した。19―24で敗れた。

——この時、クイックタップを選んでいれば…とも言われています。

「そうですね。フィジーの選手も疲れていましたし、日本のやることは速く行って…というものだったので(蜂のように動くという意味で『Bee Rugby』をスローガンに掲げていた)。でも、もうそれは(現実には)ないので。…悔しい気持ちはそんなになくて、今後、どうするかを考えさせられる大会でした」

——ナショナルチームの体制はやがて刷新されます。

「次の監督から信頼される選手にならなくてはいけないです。引っ張っていける立場で、世界で通用する選手にならないと難しいと思う。オールマイティに、セブンズであればフォワード、バックスともできるようになるとか、キック(を磨く)とか、ですね。あとは、チームを一丸となれるチームにしないといけない」

 厳しい結果を受けての「悔しがることのできなかった大会だった」という振り返りは、かえって出番を得られなかったことへのもどかしさを伝えているような。2023年のオリンピックフランス大会に向け、石田は「経験を活かす」だけではなく「下の世代に(経験を)伝える」のだと決意する。

 7人制と15人制はグラウンドの広さこそ同じながらプレーする人数や試合時間が異なる。片方からもう片方への移行はそう簡単ではないが、石田は夏の練習試合ですでに存在感を示す。

 全体練習後は「自分のやることは決まっている」と、いつもラダートレーニングで瞬発力を養う。

 今年6月に就任した神鳥裕之監督には、こう評されている。

「替えが利かない特殊な選手です。至近距離でもスピードを落とさずにステップを切る。かつ、(衝突への)怖さもない。ここが強みでしょうね。止める側は大変だろうと見せつけられています」

 本人は改めて言う。

「まだ15人制は2~3週間くらいしかしていない。人が多いのでたくさんコミュニケーションを取らなくてはいけないし、コンタクトの回数が多いので15人制の身体にしていかないといけません。体重は昨季で77くらい。セブンズをしている間に72~3くらいに減ったので、これからもう5キロくらいは増量できるようにしていきたい。

(指揮官には)練習試合が終わった後、『楽しめたか?』と聞かれました。楽しかったですし、もっと楽しめるようにやっていきたいです。自分ではまだまだ改善することがいっぱいで。15人制にはまだ慣れてないですし、もっと自分を出していかないと。7人制代表だから(安泰と思うの)ではなく、いちからチャレンジャーとしてひたむきにやらないと通用しない」

 加盟する関東大学対抗戦Aでは、12日に初戦を迎える(対青山学院大学/東京・明大八幡山グラウンド)。